018 番外編 呪われ大公は、黒薔薇に囚われる 2
アドコック侯爵家の面々との晩餐会を終え、エセルバートはそれですべてが片付いたと思っていた。今回のことに懲り、これで兄も今後はエセルバートに縁談など持ってこようとはしないだろうと。
ようやく、いつもの平穏な日々が戻ってきた。そう安心していたエセルバートは、しかし二月ばかり経った頃、兄から再び呼び出されてしまった。その呼び出しに、エセルバートは嫌な予感を覚えた。
出向いた先で兄に告げられた言葉は、エセルバートのその予感が当たっていたことを、裏付けるような内容だった。
「城で舞踏会を開こうと思う。アドコック侯爵家の者たちへの詫びも兼ねているので、彼らは全員出席する予定だ」
王家主催の舞踏会にゲストとして呼ばれるのは、大変な名誉となる。しかも王直々に招いたとなれば、今後アドコック侯爵家は王に目をかけられているとして、一目置かれることになるだろう。
もしかしたら、これまでずっと縁談を断られてきたというイザドラに対しても、今回のことは良い方向へと働くかもしれない。そう考えれば、次に続いた兄の「お前も出席しろ」という言葉に対しても、すげなく断ることが憚られた。
「……今回だけですよ」
「そういうな。私としては、今後もお前に表舞台で活躍してもらいたいと思っている」
エセルバートは、兄の言葉に何を返すこともできなかった。
エセルバートとて、今でも王弟として兄を補佐し、面倒ごとはできるだけ己の仕事として処理している。だがこれまで、人との表立った交流は控えて来た。仕事は主に、邸にて行っている。
幻術を使えば、エセルバートの鱗は跡形もなく隠される。他人の目だけではなく、己自身の目にも、滑らかな肌としか映らない。だがそれでも、これまではできるだけ、人前に己の姿をさらすことは避けてきた。
エセルバートの魔力は多い。身体に現れる鱗の範囲と、持ち得る魔力の量は比例するからだ。半身以上の範囲を鱗に覆われているエセルバートの魔力は、歴代の王族の中でも、相当なものだろう。人の目に触れる箇所のみに幻術を施しているので、魔力の消耗も微々たるものだ。問題は魔力の消費ではなく、精神の消耗にある。
幻術を施す際に使う魔力は少量だが、それを随時維持するためには、繊細な魔力の微調整が必要となる。幻術を維持しながら国の政策に関わるような仕事をこなすには、かなり精神を疲弊させることになるのだ。エセルバートは邸でも使用人の前では幻術を用いたままなので、そうなると、一日中気を張り詰めることになる。
エセルバートが完全に幻術を解くのは、私室に一人でいる時だけだった。それすら、己で己の肌を見たくないと思う程に精神が疲弊している時には、幻術を使用したままとなることもある。
現状、兄が希望するようにこれ以上エセルバートが表舞台に立つことは、難しいと言わざるを得ない。
エセルバートが黙ったままでいると、兄から「言ってみただけだ」との言葉が返ってきた。
邸に帰ったエセルバートは、さっそく舞踏会用の衣装を用意しておくよう、使用人に言いつけた。それから、侍従にしばらく休むと宣言し私室へと籠り、一人きりになったところで、ようやく幻術を解いた。
己の手の甲に視線を向ければ、そこにはたちまち青白く煌めく鱗が現れる。その鱗を、エセルバートは苦い思いで見つめていた。
「今度は舞踏会か……」
アドコック家との晩餐会には素手で臨んだエセルバートだったが、舞踏会という誰かと踊る可能性がある催しに出席する以上、今度は手袋を着用しなければならないだろう。
「まったく、面倒な」
一難が去ったと思えば、また一難。
兄にはほとほと困ったものだと、エセルバートは嘆息した。
だが、兄は何かというとエセルバートの世話を焼こうとし表舞台へと出したがるが、それはすべてエセルバートを想ってのことだと理解していた。そしてエセルバートにとっては、この兄だけが唯一頭の上がらない存在でもあったのだ。
エセルバートのこの鱗を見て誰もが一度は眉を顰める中、兄だけはまったく顔色を変えたことがない。
母に厭われ、父にはその魔力を妬まれたエセルバートに、兄だけが普通の家族として接してくれたのだ。
あの兄でなければ、エセルバートはとっくに王弟という身分を返上し、隠遁生活をしていたことだろう。人気のない田舎の領地にでも居を構え、週に何度か通いの使用人でも雇えばそれで事足りる。
ただ、このような自分でも兄の役に立てることがあると理解しているから、今の身分に留まっているにすぎないのだ。
もっと兄の役に立てたら、と思うこともある。
せめて邸の中だけでも幻術を解いて生活することができれば、今よりは表立った仕事に従事することは可能となるかもしれない。だが、エセルバートはそれをするつもりはなかった。
邸の者たちを信用していないわけではないが、秘密を漏らすことはなくとも、呪いの象徴を普段から目にすることは、彼らにとって気分の良いものではないと思っているからだ。
そもそもが、兄以外の他人にこの鱗を晒すことは、エセルバートにとっては苦痛以外の何物でもない。三十になった今でも、そのことだけは克服できていないのだ。
たまに、呪われているのはこの身ではなく、心の方なのではないかと思う時がある。しかしそう思った次の瞬間には、自分は己の心の弱さを呪いのせいにしているだけなのではないかと気づき、愕然とすることがあるのだ。
このような男が妻を娶るなど、できよう筈もないだろう。
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普段舞踏会などといった催しに出席しないエセルバートは、大勢の者たちから注目されることに、慣れていない。
だが鱗を隠した己の容姿が、人――特に異性を引き付けることは十分に理解していた。
舞踏会場に入るなりエセルバートに突き刺さった多数の視線には、羨望と欲望が見て取れた。
父はよくエセルバートのことを、美貌を謳われた亡き母に生き写しであると言っていた。稀に仕事で会う兄の臣下たちからは、外見を褒めそやされた。
それでも、彼らの言葉にエセルバートの心が動くことはない。彼らが見ているのは、エセルバートの真の姿ではないからだ。
幻術で目くらましをかけた、偽りの姿。
どれほど今の姿のエセルバートに恋情を向けていようと、真実の姿を見たが最後、その情熱は一瞬で冷めることだろう。エセルバートの偽りの姿に執着する者ほど、その姿が醜く変じた時の落差は大きいはずだ。
たとえば――アドコック侯爵家の令嬢、パトリシア・アドコック。
エセルバートの偽りの姿に焦がれ、欲している。己の欲望に忠実な目。
今まさに目の前にまろびでてきた彼女の態度と視線には、嫌という程覚えがあった。
十二で幻術を覚えるまでは、エセルバートはこの鱗を隠すため、城の自室へと引きこもり、滅多に人前に出ることはなかった。それまでは、乳母一人が身の回りの世話のすべてを行なっていた。
そしてその乳母も、エセルバートが幻術を覚えたことでお役御免となり、多額の退職金を受け取り、田舎の故郷へと戻って行った。
幻術を覚えたことで、普通の生活になるかと思っていた。だが今度は、男女問わず鱗を隠したエセルバートの姿に懸想する使用人が後を絶たなくなった為、結局エセルバートは人前に姿を見せることに対して、次第に忌避感を抱くようになっていったのだ。
見た目一つで、エセルバートに対する人々の評価は真逆へと変わってしまう。なんと馬鹿げたことなのか。
だからこそエセルバートは、こういった男女がひしめく催事とは距離を置いて生きてきたと言うのに――。
エセルバートは、目の前で己を見上げるパトリシアを見下ろした。
確かに、外見は美しい。彼女はある意味、エセルバートと同じだ。その美しく見える外見で、周囲の者たちを騙している。己の本質を誤魔化している。異なっている点があるとすれば、エセルバートにはその自覚があるが、おそらく彼女にはその自覚がないということだろうか。
その彼女にダンスを請われた時、エセルバートはいっそこのま踵を返し、舞踏会場を出ようかと考えた。その衝動を押し殺し、ようやく一言だけの断りを入れる。普通の令嬢なら、そのすげない言葉と態度で、エセルバートの意志を察する筈だった。
だが、彼女はしぶとかった。
婦女子の方から一度でも良いからなどと請われてしまえば、それを主だった理由もなく断ることは、さすがに紳士の端くれとして憚られる。婦女子に恥をかかすことになるからだ。
誰か既知の者でもいれば、その者と話があるからとでも言い、この場を逃れることができるかもしれない。そう思って周囲を見渡せば、見覚えのある人物が目に入った。
黒髪に、黒い瞳。濃紺色のドレスが、シャンデリアの光を浴びて艶めかしく輝いている。
彼女ならば、と一歩足を踏み出しそうになり、そこでエセルバートは我に返った。何も彼女と踊らずとも、彼女を言い訳として断りを入れることは可能だ。
もっともらしい断り文句を伝え、エセルバートはその場を去ろうとした。
だが、パトリシアはエセルバートが思うより、よほど強かだったらしい。
パトリシアは、エセルバートがこれまで誰とも踊っていないことを突いてきた。彼女の言っていることは正論であるが故に、これはエセルバートの分が悪い。
それでも、彼女と踊ることだけはどうにか避けたかった。一度でも既成事実を作ってしまえば、こういった類の者はそれを口実として、ぶしつけに距離を縮めようとしてくるからだ。
踊るならせめて、彼女以外の誰かと。
そう考えた瞬間、すぐに一人の女性の姿が頭に思い浮かんだ。奇しくも先ほど、エセルバート自ら踊る必要はないと判断した人物だ。
けれど、先ほどと今の状況は異なっている。パトリシアからの指摘を覆すには、誰かと踊る必要がある。ならば、彼女が一番、今宵エセルバートと踊るに相応しい理由のある人物だろう。
彼女の姿を探すと、すぐにまたその姿を視界に捉えることができた。どこか焦っているような、または困惑しているような複雑な表情を見せる彼女を目指し、エセルバートは歩みを進める。
一歩、また一歩と近づくにつれにわかに高鳴ってきた胸の鼓動に気付かないふりをし、エセルバートは彼女に向けて手を差し出した。
「イザドラ嬢。私と一曲、踊ってくれないだろうか」




