017 番外編 呪われ大公は、黒薔薇に囚われる 1
「お前もそろそろ、嫁を貰っても良い頃合いではないか?」
拝謁の挨拶をするなり告げられた言葉に、エセルバートは嘆息した。この国の王でありエセルバートの兄であるイデオンは、こうして二人で会うたびに、結婚の催促をしてくるのだ。
そしてその度に、エセルバートの返す言葉は決まっている。
「必要ありません」
「必要はある。お前には、王家の血を保持する役目があるだろうに」
兄の言う役目とは、現王の弟としての役割の一つでしかなく、必ずしもエセルバートの血を残さなければならないという意味ではない。
「クレストン公爵家があります」
クレストン公爵家は、エセルバートたちの父の妹、元王女が降嫁した家。大本の血筋を辿れば、十五代前の王弟が興した家でもある。その他クレストン公爵家には数代毎に王子や王女が臣籍降下しているため、王家の血の保全という役割では、今のところ彼の家に勝る家はない。
「だがなあ。クレストンには今代あたりで再び血を入れなくてはならないところ、私には嫁にやれるちょうど良い歳の王女がいないのだ」
クレストンの家には、十八になる嫡男がいる。だが、王女は現在三歳。さすがに王女の成人を待てというのは、酷な話だろう。王女が成人するまでには、あと十三年ある。その時クレストンの嫡男は、すでに三十一だ。
だがそうなれば、その嫡男と今の自分とが一歳の差しかないことに気付き、エセルバートは複雑な心境になった。
「次の代でもよろしいでしょう」
「そう都合良くいけば良いが」
「戦争中というわけではありませんし、疫病が流行っているわけでもありません。焦る必要はないかと」
エセルバートの言葉に、兄が諦めたように息を吐いた。
✛✛✛✛✛
だが諦めたと思ったのは、エセルバートの勘違いだったらしい。
数日後。再び呼び出されたエセルバートは、兄から告げられた言葉に、己の聞き間違いを疑った。
「……今なんとおっしゃいましたか?」
「アドコック侯爵家へ、婚約の打診をしておいた。あそこには美しい姉妹が二人いる。歳の頃は、姉が二十四、妹が十八」
「……フレドリク殿下のお相手には、少々歳の差がありすぎるかと」
「お前の相手に決まっているだろう。フレドリクはまだ九つだぞ」
そんなことは理解している。理解しているが、受け入れたくないからとぼけてみたのだ。ついでに言えば、悪びれもしない兄に対する反抗心から出た言葉でもある。
「……私は、結婚する気はありません」
「だが、すでに打診を出した後だ。一度くらい、会ってみるつもりはないか?」
一度とはいえ、顔を会わせること自体が、エセルバートにとっては心的負担となる。
そうは思ったが、兄としては、エセルバートの身を案じてしたことであるともわかっていたため、無下にはできなかった。さらには断るにしても、王自らが打診した縁談を、断りの文一つで済ますわけにはいかないだろう。
「……わかりました。それでは、我が邸にて晩餐会を開くこととしましょう。誠意を尽くせば、侯爵もわかってくださるでしょう」
そう答えた直後、エセルバートの視界に、困ったように苦笑する兄の顔が映った。その顔を直視することが辛く、エセルバートは視線を逸らした。
心配をかけていることは、わかっている。
だが、大層ふがいないことではあるが、こればかりはどうしようもないことなのだ。
「……それで、姉と妹。どちらに打診をなさったのですか?」
先ほど兄は、アドコック侯爵家へ婚約の打診をした旨と、美しい姉妹が二人いるとしか言っていない。端から断るつもりだったのでその時は聞き返さなかったが、一度とはいえ会うとなれば話は別だった。
「それは先方が選ぶことになっている」
「は……?」
「まあ、あちらにも少々事情があってな。返事待ちだ」
普通に考えれば、エセルバートと年の近い姉の方が相手だろう。だが、その事情というものがどういう種類のものかによっては、妹が相手となる可能性も出てくるということだ。
「調査書を渡すから、帰って目を通せ」
兄の言葉に、エセルバートはあっけにとられた。
エセルバートの意志を伺うことなく先方に婚姻の打診をした上、相手側の持つ事情すらこの場で説明するつもりはないらしい。
しかし、このような強硬手段に出る程に不出来な弟の身の上を案じているらしい兄に、エセルバートは怒りよりも申し訳なさを感じていた。
「……承知しました」
なので、不本意ながらも承諾するしかなかった。
✛✛✛✛✛
晩餐会のことを考えると、今から気が重くて仕方ない。
だが相手側の返事がどうであろうと、断ると決めているからには、詫びとしての晩餐会は開かれなくてはならないのだ。
エセルバートは、兄から渡された調査書に目を通しつつ、溜息を吐いた。
当主であるブライアンとは何度か顔を会わせているが、その家族となると夫人くらいしかエセルバートは情報を持っていない。その夫人の情報にしても、確か先の夫人が亡くなったため、親戚筋から後妻に入ったことくらいしか知らなかった。
調書に書かれていたアドコック侯爵家の面々は、当主であるブライアンとその妻ベリンダ。長子であるイザドラに、その異母妹であるパトリシアの四人だ。
「男児はいないのか……」
跡取りの男児がいないのであれば、二人の娘の内どちらかが婿を取ることになっているのだろう。保守的なこの国においては、これまで女性が爵位を継ぎ当主となった例はないからだ。
だが、イザドラはすでに二十四。これから跡取りである婿を取るには、いささか遅い年齢ではあるまいか。
(となると、妹が婿を取るのか……)
では、縁談の相手は必然的に姉の方になるだろうと、姉のイザドラの釣り書きに先に目を通したエセルバートは、とある文言に注意を引かれた。
「黒髪に……黒い瞳」
姉のイザドラ・アドコックは、黒髪に黒い瞳という、この国では大変珍しい色彩を持っているらしい。黒は不吉といわれる色合いではあるが、そのようなもの、エセルバートの鱗に比べればなんてことはない。
だが調書によると、そのせいでイザドラは幾度も婚約の打診を相手側から断られているらしい。しかもその婚約は、イザドラが嫁ぐことを想定したものではなく、相手が婿に入ることを想定して行われたもののようだ。
「なんだ……姉が婿を取るのか。では、相手は妹か?」
アドコック家はこれまで、姉のイザドラの縁談をかれこれ十回も繰り返している。ここまで粘ったのならば、ここへきて突然方針を変える可能性は、低いと思われた。
「しかし……十回も縁談を断られているとは」
この国に限らず、貴族はわかりやすい美しさを好む傾向にある。不吉とされる黒をその身に持つイザドラや、エセルバートのような貴族の好む美の範疇から外れる特徴を持つ者は、忌避されやすいのだ。
陰鬱な気持ちで調書をめくっていたエセルバートだったが、添付されていた姿絵が目に入った途端、思わず感嘆の息を吐いた。
その姿絵には、美しい二人の女性が描かれていた。椅子に腰かける黒髪の女性のすぐ傍には、淡い金髪の女性が寄り添い立っている。
兄の言う通り、確かに美しい姉妹だった。
妹の方は、淡い金髪に群青色の瞳という世間で好まれる色を持っている上、繊細で優し気な美貌を持っている。
対して姉の方は、調査書通りの、黒髪に黒い瞳。だが、その容貌は悪くない。どころか、エセルバートが想像していたよりも数段美しい。妹よりは若干険しめの顔つきをしているが、その凛とした表情は気高き薔薇を思わせる。
微笑んだら、さぞ魅力的なのだろう。エセルバートが、そんな自分らしくない想像をついしてしまう程には、姉のイザドラは美貌の女性だった。
「これほどに美しい女性を、ただ不吉の色を持つからという理由だけで、縁を結ぶことを拒否したのか……」
エセルバートにしたら、到底信じられるものではない。
だが、たとえこの姉がエセルバートの縁談相手に選ばれたとして、結局エセルバートも彼女との縁を断らなければならないのだ。そのことを考えたエセルバートは、不思議とやるせない気持ちになった。
どうにも気分が落ち込んでしまったため、続けて今夜中に妹の調書にまで目を通す気が削がれてしまった。
こういう時に無理をしても、どうせ内容など頭に入ってこないだろう。それに、この調書に目を通すことは仕事ではないし、何よりまだ相手側からの返事も来ていない状態だ。
(調書の続きには、明日目を通すことにしよう)
そう割り切ったエセルバートは、そのまま調書を閉じ、使用人が準備してくれた酒を一杯煽ってから眠りにつくことを選択した。
翌日、調書に目を通したエセルバートは、やはり自分の縁談相手は妹のパトリシアになるのだろうと結論を出したのだが――。なんとも予想外の結果が兄からもたらされたのは、エセルバートが兄に呼び出しを受けてから、実に四日後のことだった。
✛✛✛✛✛
鏡の前に立ち、しっかりと鱗が隠れているかを確認してから、エセルバートは晩餐会場に向かった。
扉をくぐると、いつも通りの視線が突き刺ささってきた。その視線は賞賛や感嘆という友好的な類のものだったが、姿を偽っているエセルバートにとっては、何ら意味を成すものではない。
鱗さえなければ、エセルバートの容姿は優れている。そこはイザドラと同じだ。だが、イザドラが纏う色を変えられないように、エセルバートも、肌に張り付く鱗をはぎ取ることはできない。
幻術により、見た目には普通の肌と同じに見えるだろうこの鱗も、触れれば鱗本来の感触を相手に伝えてしまう。
どれだけ見た目を誤魔化そうと、エセルバートの本質は変わらない。否、変えられないのだ。
「……呼び出しておきながら、遅れて申し訳ない」
遅れてきたことを詫びると、イザドラからは優しい微笑みが返ってきた。わずかに強張ってはいるが、思っていた通りの魅力的な笑顔だ。
その笑顔を見たエセルバートは、これからこの縁談を断らなければならない己に対し、行き場のない怒りと失望を感じていた。




