013 幸せは自分で決める
「だって……だってそうしないと、私が大公様の元へお嫁に行かなくちゃならないじゃない!」
パトリシアの叫びに、家族全員あっけにとられパトリシアを見つめた。パトリシアは、顔を歪めぽろぽろと涙を流している。
本当に嫌がっているのだな。いまだ、エセルバートに気があると思っていたのは勘違いだったのだ。よほどあの鱗が嫌なのだろうか。
そんなことを思いつつも、イザドラは同時に、何故そのような言葉がパトリシアの口からでてきたのかを考えていた。だが、考えてもまったくわからない。
(パトリシアが、大公様のところへ……? どうしてそうなるの?)
この言葉には、さきほどまでベリンダにすべてを任せていたブライアンも、口を挟まざるを得なかったらしい。
「……何を言っているんだ、パトリシア。何故、大公様の元へ嫁に行くなどと……」
「だって、一度断っておきながら、また晩餐会への招待状が来たのよ⁉ 今度はきっと、大公様は私を婚約者にと望むつもりなんだわ……!」
パトリシアは、あの場でエセルバートの鱗のことを、他言無用と命令されている。
しかも誰かに話せば、家族にまで類が及ぶと脅されているのだ。あのやりとりをしたあとで、何故エセルバートが自分を望んでいるなどと思えるのか、不思議でならない。
(まさか……秘密を知ったせいで、嫁に来いと脅されると思っているの?)
この場合、むしろ脅すとしたら、パトリシアの方だろう。だが、パトリシアはそうは思っていない。
パトリシアの思考回路は、イザドラが思っていたよりもずっと、理解不能のものだったらしい。
「パトリシア……それは……ないと思うわよ?」
控え目に言ったイザドラに、パトリシアはキっと眦を釣り上げて反論してきた。
「だって、お姉様! あの事があるから大公様はこれまで婚姻を避けていたというのなら、秘密を知った私なら、結婚するのにちょうど良い相手だと思われているかもしれないじゃない!」
その理屈には、一理ある。
だが、己の容姿を「怖い」と評した相手を、エセルバートが望むかは疑問だ。
そして秘密の内容こそ言わなかったが、それでも家族の前でエセルバートが何らかの「秘密」を持っていることを示唆してしまったパトリシアに対し、イザドラは頭が痛くなった。
(興奮しているとはいえ……いえ、私も悪かったわ。私の言葉で、パトリシアを刺激してしまったのだもの)
「パトリシア、落ち着いて……」
「そうだわ! あの場にいたということは、お姉様だって大公様の秘密を知っているということよね? やっぱりお姉様が大公様の元へ嫁げば良いのよ!」
「いい加減にしなさい、パトリシア!」
興奮しきっているパトリシアの口を噤ませるにはどうしたら良いのかと考えていたイザドラだったが、ついにブライアンが声を荒げた。
「確かに、大公閣下からは晩餐会への招待を受けた。閣下が私の娘を望んでいることも事実だ」
「あら」
「ほら! やっぱりそうじゃない!」
(嘘……。まさか本当に、パトリシアを……?)
そのことを考えた途端、イザドラの胸が痛んだ。だが、やはりとも思っていた。いくら怖がられたとはいえ、慣れてしまえばきっと、パトリシアは美しいエセルバートを愛するようになるだろう。彼もそう思ったのではないかと。
「来たのは招待状だけかと思っていたわ」
「……すまない、ベリンダ。招待状とは別に、婚姻の申し込みの文も来ていたんだが……少し一人で考えたかったんだ。考えがまとまってから、君に言うつもりだった」
「あらまあ……大公閣下が。それで? 閣下はどちらを望んでいるの?」
ベリンダに聞かれたブライアンが、イザドラに視線を合わせてきた。その視線を受けたイザドラは、驚愕しつつも、期待に胸を躍らせていた。
「イザドラ。大公閣下は、君を妻にと望んでおられる」
イザドラは、しばらくの間何も言えなかった。パトリシアではなく、自分が望まれていたことは驚いたし、嬉しいと感じていた。だが、なぜかブライアンが悲しそうな表情をしていることが気になったからだ。
「……お父様? 大公様は、何か条件でもお出しになったの?」
奇しくも先ほどのパトリシアの言葉通り、イザドラとて、エセルバートの秘密を知る身なのだ。しかも、イザドラは彼の過去の話までも聞いてしまっている。もしや妻とは名ばかりで、手元での監視という恐れもあるのではないかと、そう考えた。
「そうではない。私はずっと、イザドラとその婿二人で、このアドコック侯爵家を継いでほしいと思っていたんだ。それが、亡き妻との約束でもあったからだ。
だが、君が閣下の元へ嫁げば、その夢は果たせなくなる。それでも、イザドラ。君が閣下の元へ行きたいというのなら、君の意見を尊重しようとは思っていた。
けれど……先ほどのパトリシアの言葉を聞いたせいで、このまま君を閣下に嫁がせて良いものか、迷うことになってしまった」
「お父様……」
「イザドラ。パトリシア。君たちが、大公閣下のどのような秘密を知ってしまったのかはあえて聞かないでおく。だが、もしそのせいで閣下がイザドラを妻として望んでいるのだとしたら、簡単に婚姻を承諾するわけにはいかない」
ブライアンは、イザドラのことを考えてそう言ってくれたのだろう。だがイザドラは、父のその気持ちを嬉しく思う一方、たとえ監視されることになっても良いから、エセルバートの元へ行きたいとも思っていた。
「イザドラ。貴女は大公閣下のことを、どう思っているの?」
ベリンダに問われ、イザドラは言葉に詰まった。
エセルバートとは、出会ってからまだ日が浅い。
だがイザドラは、エセルバートの姿を、無意識に視線で追ってしまった。
青い鱗を、美しいと感じた。
彼の寂しさを、自分が埋めたいと願った。
それはすなわち、イザドラがエセルバートのことを好いているということに他ならない。
「私は……あのお方が私を望んでくださるというのなら……そのご要望に応えたいと思っています」
「ずいぶんと色気のない言い方ね。ねえ、イザドラ。貴女は閣下の元へ行けば、幸せになれるの?」
幸せになれるのか。
そんなことは、イザドラにはわからない。
ベリンダのいう幸せが、愛し愛される関係を指しているのだとしたら。それは、エセルバートの気持ち次第だろう。
だが彼の傍にいられることは、きっとイザドラにとっては幸せなことだ。
少なくとも、もう孤独を感じなくて済む。それに――。
たとえエセルバートの想いを得られなくとも、イザドラは彼の傍で、幸せになることを諦めない。自分のせいで母親は不幸だったのだと思っている彼に、少なくともイザドラはそうではないのだと、そのことを示し続けるために。
「……幸せになります」
大きな声ではなかった。
けれどイザドラは、ベリンダの瞳をまっすぐに見つめ、言い切った。
「……そう。ならば、パトリシアの婿探しを本格的にはじめなくてはね。ね? ブライアン」
「え、あ、そ……そうだな」
ベリンダに微笑まれたブライアンが、言葉を濁しながらも承諾した。
だが、その後落とされた「そうか。嫁に行くのか……」との寂しげな呟きには、イザドラもつい笑ってしまった。
話に決着がついたのがわかったのだろう、訳が分からないながらも口を出さずに大人しく成り行きを見守っていたパトリシアが、ここへきてまた元気を取り戻した。
「やっぱり私が婿を取るのね⁉ ねえ、だったらヘイデ……」
「却下よ」
喜び勇みヘイデンを推そうとしたパトリシアに、ベリンダが容赦のない一言を放った。
「どうしてよお⁉」
「あの子に、侯爵家を任せられるわけないでしょう? ねえ、ブライアン」
「そうだな。無理だ」
(……まあ、無理よね。男爵家の当主にすら、相応しくないと言われたも同然なのだもの)
「もういいわ! 私自分で見つけるから!」
そういって、パトリシアは部屋を出て行ってしまった。
(自分で見つけるって……)
まさか、自ら相手に婚約の申し込みなどする気ではないだろうか。
そう考え、急ぎパトリシアの後を追おうとしたイザドラだったが、ベリンダに止められた。
「放っておきなさい。今後はあの子も、再教育しなくちゃね」
(それは……)
遅くはないだろうかと思いつつも、懸命にもイザドラは、その言葉を口に出すことはなかった。イザドラが思っていたよりもずっと常識的で芯の通ったこの義母なら、なんだかんだ言いつつも、きっとやってのけるのだろうと思ったからだ。




