012 再びの招待状と問題発生
舞踏会から、十日以上が経ったある日。
イザドラはその日も、広間の窓辺に座り、本を読んでいた。
やはりあの舞踏会以来、エセルバートからは何の連絡もない。このまま普段通りの生活に戻っていくのだろうと、若干の寂しさを感じながら、イザドラが思っていた矢先のことだった。
読書にいそしんでいたイザドラに、イザドラ宛に招待状が届いていると、家令が声をかけてきた。
「……私宛に招待状? どなたから?」
「シェリダン大公閣下からでございます」
十日以上音沙汰のなかったエセルバートから、しかも文ではなく、招待状。
「……見せて」
クリーム色の封書には、黒い封蝋が押されている。薔薇の形を模した封蝋だ。その封蝋を見たイザドラは、わずかに違和感を持った。
何に違和感を持ったのかしばらく考えていたイザドラだったが、すぐにその原因に思い至った。以前届いた招待状とは、封蝋が異なっているのだ。
(前回は、大公家の印である鷲の紋章が、緑の封蝋で押されていた筈よね)
けれど今回は黒。しかも薔薇だ。
なんの意図があるのかまではわからなかったが、それほど重要な変化ではないだろう。あるいは今回は二回目の招待状なので、趣向を変えてみただけなのかもしれない。
その封蝋をゆっくりとはがしながら、中のカードを取り出した。カードには、大公邸で開催する晩餐会へ、家族全員を招待すると書かれていた。
(家族全員……)
「招待状は、家族全員分来ているの?」
「いいえ。ブライアン様宛に一通。イザドラお嬢様宛に一通です」
(お父様と、私?)
何か特別なことでも書いてあっただろうかと、イザドラはもう一度招待状の文面を読み直した。けれど、通常の招待状と何ら変わったところはない。
と思ったところで、変わったところがあることに気が付いた。変わっていたのは中身ではなく、外側だ。
(私個人宛だから、封蝋を変えたのね)
細かいところまで気を遣うのは、さすが大公家といったところだろうか。きっと舞踏会のことがあったから、少しだけ、特別扱いしてくれたのかもしれない。そう思うと、わずかに心が浮き立った。
パトリシアは、最初晩餐会への出席を渋っていた。
けれど、何故出席を嫌がるかのその理由は、エセルバートに口留めされているため、パトリシアは口にすることができない。以前のパトリシアは、むしろエセルバートに対し積極的だったため、何故今回はそこまで出席を嫌がるのかと、両親に不思議がられていた。
最終的には両親の説得により、パトリシアは晩餐会に出ることを承諾した。
そして大公邸の晩餐会を数日後に控えたある日、アドコック家に問題が起こった。
正確に言えば、問題が起こったのはアドコックの家ではない。問題が起こった――というよりは、問題を起こしたのは、ヘイデンンだ。
どうやら、かつてイザドラが危惧していた通りのことが起こってしまったようだ。
「ヘイデンと……ミレイユ様が?」
家族での夕食時。
皆が席に着いたところを見計らい、ブライアンが重い口を開いた。
ブライアンから突如持たらされたのは、ヘイデンとミレイユの婚約が、ミレイユの家シーデーン家側の要請で、解消となったという驚きの情報だった。
パトリシアは目を見開いて驚いているが、イザドラは驚きつつも、心の中ではそれ見たことかと、ヘイデンを非難していた。
それでも、こうもあっさりと二人の婚約が解消されたことには、純粋に驚いている。
「よく……ウェルズリーの家が了承しましたね」
ウェルズリーの家は、子爵家。対して、シーデーンの家は男爵家だ。
次男であるヘイデンは、婚姻後、シーデーン男爵家へ婿に入る予定だった。選ぶ権利はシーデーン家側にあるとはいえ、相手は家格が上の子爵家。突然の婚約解消に、まったくごねはしなかったのか。
イザドラの質問に答えたのは、ベリンダだった。
「話を聞いたところ、ヘイデン側に瑕疵があるらしいのよ。どうも普段から友人たちの前で、ミレイユ様を貶していたりしたのですって。
それだけでなく、二人で出席するパーティーなどでも、ミレイユ様のエスコートを放って別の女性とばかり踊っていたと言うんだから、それはヘイデンが悪いわ」
社交好きのベリンダだが、常識を無視して享楽にふけるような性格ではない。物事に頓着しない質ではあるが、それは良く言えばさっぱりとした性格であるとも言える。
実際イザドラも、ベリンダから不吉だの、陰気だのと悪口を言われたことは一度もない。だからイザドラも、ベリンダのことはパトリシア同様性格は合わないとは思っていたが、嫌ってはいなかったのだ。
「そんな……! それだけで婚約解消なの? ヘイデンが可哀相だわ」
俯き悲しんでいるパトリシアに対し、イザドラ含め家族は皆無言だ。
(……貴女は、ヘイデンと踊っていた側だものね)
「……パティ。そういえば貴女、よくヘイデンと踊っていたわね。従兄妹同士なのだからと大目に見ていたけれど、ヘイデンとの間に、何かあったわけではないわよね?」
目を細め、ベリンダが己の娘であるパトリシアを見つめている。見つめられた当の本人は、確認を取られた瞬間、頬を膨らませた。
(お義母さま……いくらパトリシアといえど、さすがにそこまでは……)
イザドラでさえそう思うのだ、案の定、パトリシアが怒り出した。
「ひどいわ、お母様! ヘイデンは純粋に、従兄として私を想ってくれただけよ!」
純粋ではない想いがヘイデンにあることをイザドラは知っていたが、パトリシアは本当にそう思っているのだろう。
(鈍い……というより、意中の相手以外には無関心なのよね)
少なくとも、パトリシアはヘイデンのことを、異性としては見ていない。そうイザドラは思っていたのだが――その後に続いたパトリシアの言葉は、正にベリンダが心配するのもわかると納得してしまうような言葉だった。
「そうだわ! ヘイデンとミレイユ様との婚約が解消されたのなら、私のお婿さんになれば良いのよ! 私、ヘイデンとなら結婚しても良いわ!」
名案とばかりに満面の笑顔で告げたパトリシアに、イザドラは度肝を抜かれた。
(……パトリシア。ヘイデンのこと、ただの従兄として見ていたんじゃないの?)
やましいことはなかったけれど、従兄妹以上の想いは双方抱いていたということなのだろうか。どうやら、イザドラの考えは間違っていたらしい。
「……婿?」
ベリンダが不思議そうに、けれど、どことなく怒りを感じさせる笑顔をパトリシアに向けた。
「そうよ、お母様! だって、お姉様では、いつ婿を迎えられるかわからないじゃない。もう十一回も婚約を断られているのよ?」
パトリシアが言い放った瞬間、ブライアンの表情が変わった。だが今にも口を開こうとしたブライアンを、ベリンダが止めた。
「ブライアン。私が言うわ」
「お母様?」
パトリシアが、小首を傾げベリンダを見つめている。その仕草は、可憐なパトリシアに嫌になるほど似合っていた。
そんなパトリシアを見つめ、ベリンダが小さく溜息を吐いた。
「パティ。貴女勘違いをしているのね。この家を継ぐのは、イザドラよ。貴女じゃないわ、パトリシア」
(お義母様……)
普段後継のことには口を出さないベリンダが、はっきりとこの家の後継はイザドラだと口にした。確かにこれは、ブライアンが言うより、パトリシアには効果的だろう。今のパトリシアは、いつも自分の味方だと思っていた母親を、敵に回したような気分でいるのではないだろうか。
「お母様、どうして……? だって、お姉様じゃ……」
「パトリシア。貴女のことは可愛いわ。でも貴女に、侯爵夫人は無理よ。せいぜい男爵夫人ね。いえ、男爵夫人も無理かしら? そうね……愛人だったら務まるかもしれないわ」
(お義母様……それは、さすがにキツ過ぎないかしら……?)
言われているのは自分ではない筈なのに、何故かイザドラの心臓がバクバクと鳴っている。
確かにパトリシアの無邪気さは、高位貴族の妻としては致命的だ。だが、実の娘に愛人なら務まるとは……。
そう思っているのはイザドラだけではないだろう、ベリンダの隣で、ブライアンもハラハラとしながら、母と娘の攻防を見守っている。だが、止めるつもりもないらしい。
「だって、だって……! 誰もお姉様と結婚したがらないじゃない! そうなったら、家はどうなるの⁉」
パトリシアの言い分は、腹は立つがもっともだ。
この件については、イザドラもパトリシアの意見に賛同したいと思っている。
残念ながらイザドラは、家を継がなくなったとしても嫁にいけるかどうかもわからない身だが、パトリシアの元へなら、きっと喜んで婿に来たいという者は大勢いる筈だからだ。
「お義母様。この件については……――」
イザドラがパトリシアに味方しようと口を開いたが、その声は、興奮したパトリシアによって遮られた。




