011 似た者同士
「大公様は……怒っていらっしゃるのですね」
イザドラが思わず落とした言葉に、エセルバートが淡く微笑んだ。その表情を見る限り、とても怒っているなどとは思えない。
だが、それでもエセルバートはイザドラの言葉を肯定した。
「……貴女の言う通りだ。だが、私は周囲に対して怒っているわけではない」
「……はい」
(私と、同じだわ)
厳密に言えば、まったく同じという訳ではない。
エセルバートの方が、きっとイザドラより何倍も、辛い思いも苦しい思いもしているだろう。だが己自身を見て貰えない辛さや、外見で判断される悔しさは、よくわかっているつもりだ。
だがイザドラとて、理解してくれない周囲に対し、怒っているのではないのだ。
イザドラが、エセルバートが、本当に怒っているのは――。
「私は、私という存在に対して怒っている。母を殺したことへの怒り。兄に心配をかけ続けている、不甲斐なさに対する怒り。そして……周囲を拒絶しつつも、結局は誰かの愛を求めてしまう、己の弱さに対する怒りだ」
エセルバートが、イザドラに覆いかぶさるようにして上体を曲げた。イザドラの肩に付きそうで付かないエセルバートの頭を、イザドラは躊躇いを感じながらも、そっと己の肩に押し付ける。
イザドラも、自分の弱さに打ちのめされる時がある。もっと強くなりたいと思いながらそうなれない自分に、呆れると同時に、怒りが湧いてくるのだ。
やはり、似ている。
エセルバートとイザドラは、似た者同士だ。
彼ならば、イザドラの痛みを理解できる。イザドラも、彼の痛みを理解できる。
(大公様の求める、その誰かに……私がなれれば良いのに)
二人一緒にいれば、きっともう寂しい思いをしなくてすむ。
けれどその願いこそが己の心の弱さの表れのような気がして、イザドラはたまらず、エセルバートの頭を掻き抱いた。
✛✛✛✛✛
(とんでもないことを、してしまったわ……)
昨夜のことを思い出すと、今でも顔から火を噴きそうだ。羞恥に耐え切れず、ベッドの上、イザドラは抱えていたクッションに顔を埋めた。
(だってあの時の大公様は、まるで小さな子どものように思えてしまって……)
心の内を吐露しながら、上体を俯けたエセルバート。
顔を上げているのがつらく、縮こまってしまいたいと思う心情は、イザドラには良く理解できる。
イザドラがエセルバートを見つけた時、彼は顔を覆うようにして、地面に座っていた。あの時彼は、泣いていたのかもしれない。実際に涙を流さぬとも、心の中では、きっと泣いていた。
イザドラが思わずエセルバートの頭を抱きしめた時、エセルバートは抵抗しなかった。
しばらくの間二人で寄り添い、結構な時間が経ったのち、エセルバートがイザドラの身体を優しく遠ざけた。そして、「申し訳ない」と謝ってきた。むやみに婦女子の身体に触れてしまい、申し訳ないと。
(むやみに触れたのは、私の方なのに……)
エセルバートを自らに抱き寄せたのは、イザドラだ。抱きしめたのも、イザドラだ。むしろエセルバートは、なすがままだった。
(心が弱っているときって、もうすべてがどうでも良いと思うことってあるものね)
イザドラに謝った後のエセルバートは、なんと大公家の馬車で、イザドラを侯爵家まで送り届けてくれた。侍女は置いてくることになってしまったが、こちらも言付けを頼めたので問題ないだろう。
馬車の中で、エセルバートは何も喋らなかった。イザドラに怒っていたわけではないだろうけど、気まずい思いをしていた可能性はある。
馬車が邸に停まった際、ようやく一言「貴女には、感謝している」と、そう言ってくれただけだった。
きっとその礼は、話を聞いたことに対してのものだろう。誰にも言えない辛い過去は、おそらくは彼の重荷になっていた筈だ。誰かに話を聞いてもらうだけでも、心が軽くなる時はある。たとえそれが、会って間もない相手だとしても。
出迎えてくれた家令は、エセルバートと共に馬車から降りてきたイザドラを見て、目を白黒させていた。
家令とともに馬車を見送ったあと、イザドラはエセルバートに邸まで送ってもらった理由と侍女がいない理由とを家令に告げてから、覚束ない足取りで一人自室へと戻った。
とてもではないが、家族が帰ってくるのを、起きて待つ気力はなかった。そしてエセルバートに邸まで送ってもらったことに対しても、上手く説明できる気がしなかった。
だがそもそも、城から帰る際にある程度の事情は城の使用人へと言付けてあるし、家令からも報告は上がるだろうから、わざわざ今夜中にイザドラの口から報告する必要もないのだ。
そう考えたイザドラは、自室へと戻ったあとすぐに着替えをしてからベッドへと潜り込み、そしてそのまま朝を迎え――現在へと至っている。
(一晩経って冷静になってみると、本当にとんでもないことをしでかしてしまったわ)
自ら男性を抱き寄せるなど、淑女のして良いことではない。しかも、相手はこの国の王弟だ。
よくその場でお叱りを受けなかったものだと、イザドラは今更ながら、あの時の自分の向こう見ずな行動に冷や汗をかいた。
イザドラは今はじめて、確かに自分とパトリシアは姉妹だったのだと、納得することができた。
いずれ口留めとともにお叱りを受けるか、あるいは、もう二度とイザドラには近づかないか。エセルバートがとる対応としては、二つのうちのどちらかかだろう。
だが、きっと後者だろうとイザドラは考えていた。
イザドラとエセルバートは、似た者同士。そしてそれはきっと、エセルバートも感じていたことだろう。彼はイザドラの瞳を褒めてくれたが、この国において、黒い瞳がどのような印象を他者に与えるか、エセルバートが知らないわけがない。
自分と同じように、他者から厭われるような欠点を持つ者。そんな者が、いわば仲間を窮地に立たせるとは考えづらい。仲間意識のようなものが芽生えても、不思議ではない。よって、イザドラはエセルバートの秘密を他者には漏らさない。
エセルバートなら、そう、考えるだろうと。
ならばあとは、暗黙の了解の元、すべてをなかったことにするのが最善だ。
(それに私は、パトリシアへの口留めの場面を見ているものね。重ねて言う必要はないとも、思われたかもしれないわ。……きっと、もう二度と、大公様とはお会いできないかもしれないわね)
そのことを考えると、胸が軋む。だが、その痛みは己への戒めの痛みでもあるのだ。
(これで良いのよ。分かり合える人がこの世にいたというだけで、救われるわ。それ以上を、望んでは駄目よ)
そう己を律したイザドラは、ベッドから起き出し、侍女を呼んだ。すぐに侍女が入ってきて、イザドラの着替えの準備をし始める。
侍女に着替えを手伝ってもらっている間、イザドラは考えた。
きっと朝食の場では、両親とパトリシアに、いろいろ言い訳をしなければならないだろう。もし、両親がエセルバートと踊るイザドラの姿を見ているとしたら――否、エセルバートは、目立つから、きっと見ていた筈。
そしたらエセルバートに送ってきてもらったことも含めて、婚約騒動の詫びということにでもしておこう。きっとエセルバートも、昨夜のことには触れられたくはない筈だろうから。
頭の中で会話の予行演習をしながら、イザドラは朝食の席へと向かった。




