010 呪われた子と不吉の子
(そう、なのね……。竜を倒したって、てっきり剣で倒したのかと思っていたけれど……)
普通に考えれば、竜に剣が通じるわけがない。実際は、魔力で倒したということなのだろう。
「だが、先ほど握手をした者の中に、なかなかに強力な魔除けを持っていた者がいたらしい」
「魔除け……ですか?」
聞いたことはある。
一般的な魔除けとは、聖なる力を封じ込めた護符や宝石などのことで、魔物などを遠ざける効果があるという。
だが、エセルバートは魔物ではない。まさかその身に受けている呪いに魔除けが反応したのだろうかと考えたイザドラだったが、そうではないという。
「一般的に流通している魔除けとは、少し違う。もっと実用的なものだ。世間では魔術は廃れたと思われているが、まったく存在しなくなったわけではない。そういった魔術の類から身を護るため、高貴な身分の者の中には、魔術返し専用の魔除けを持っている者も少なくないのだ」
「魔術、返し……」
「私の場合、自らにかけた幻術に魔除けが反応した。姿を偽るということは、通常は相手を騙そうという意図があるとみなされるからな」
「そう……なのですね」
現存する魔術がいかようなものかはイザドラにはわからないが、もし相手を陥れようという目的で幻術を使われた場合、確かに相手が不利益を被る場合はあるだろう。
「魔除けの効果は、しばらく続く。この姿を見られぬよう、急いであの場から離れる必要があった」
だから、焦るエセルバートを見たイザドラは、体調が悪くなったと勘違いしてしまったのだ。
「どうして、そのような術を……」
言ってから、イザドラは自分の馬鹿さ加減に呆れた。これではパトリシアやヘイデンのことを、言えた義理ではない。
イザドラの黒い髪や、黒い瞳と一緒だ。
イザドラだって、隠せるものならこの髪や瞳の色を隠したい。父の持つ、明るい赤髪に群青色の瞳。パトリシアの持つ、淡い金髪に父と同じ色の瞳。
ベリンダの持つ、パトリシアより濃い金髪に透明な水色の瞳。亡き母の持っていた、褐色の髪に緑の瞳。
どれほど、彼等の色を渇望し、憧れたことか。
「世間は、貴女のような者ばかりではない。ほとんどの者にとって、この鱗は不吉の象徴。痣や傷跡よりもなお、醜いものだ」
「そんなこと……」
そもそも王族であるエセルバートがその呪いを受けるに至った原因は、王家の祖先が、荒ぶる竜を退治したことにある。皆のためを想って行われたであろうその行為に、感謝こそすれ、厭うことなど本来ならあってはならないというのに。
それでも――。
イザドラはエセルバートの鱗を美しいと思っているが、やはりエセルバートにとっては、隠せるものならば隠してしまいたいものだったのだろう。
しかもエセルバートの鱗は、呪いによって現れたもの。ただの痣でさえ、欠点とされる世の中だ。彼の言う通り、呪いの証としての鱗など、どれほど口さがなく言われるかわかったものではない。
けれど――やはりこうして見ていても、イザドラはエセルバートの青い鱗を美しいとしか思えない。
「……貴方のその姿を醜いという方の心理は、私には理解できません。だってこんなにも青く煌めいていて、美しいのに……」
青銀色に光る鱗だったが、月の光を受けると、途端に虹色の光沢が浮かんでくる。醜いどころか、これまでに見た、どのような宝石よりも美しい。
うっかり、鱗で覆われた箇所に手を伸ばしかけ、エセルバートに見つめられていることに気付いたイザドラは、慌ててその手を引こうとした。しかしその行動は、エセルバートによって阻まれる。
イザドラの手を握りこんだエセルバートは、一度は引こうとしたイザドラの手を、自ら頬へと誘った。
エセルバートの行動に戸惑ったのは、一瞬だった。
(冷たい……)
左上部、額から頬にかけて広がる鱗は、かなりの範囲を覆っている。
触れた鱗は、思いのほか柔らかかった。そしてイザドラの皮膚よりも僅かに冷たく、指先をついと動かせば、つるりとした感触が伝わってくる。
エセルバートはその間、じっとイザドラを見つめていた。イザドラのどのような仕草も、そしてそこに宿る感情一つ、見逃すまいとするように。
エセルバートはおそらく、イザドラを試している。本当に自分を恐れていないのか、自分のありのままの姿を、本当に受け入れてくれているのか。
もしイザドラが手を引く仕草を一瞬でもしようものなら、彼はきっとそこで諦めてしまうだろう。本当の己が誰かに受け入れられることは、生涯ないのだと。
イザドラを見つめるエセルバートの、真摯な瞳。
何でもいい。彼のその瞳に、何か応えを返さなければと思ったイザドラの口から出てきたのは――。
「思っていたよりも、柔らかいです……」
ただの感想だった。
もっと気の利いたことは言えないのかと、イザドラが心の中で己を罵倒していると、エセルバートがふっと、小さな笑いをこぼした。
「大公様……」
「イザドラ嬢。会って間もない貴女にこんな話をするのも少々気が引けるのだが……どうか、私の母の話を聞いてくれないだろうか」
(大公様の、お母様……)
確か、エセルバートの母は、先王の側妃。
そして、今から二十年以上も前に、身罷っている。
イザドラの答えを待つエセルバートの表情は、今までにないほどに、柔らかい。
突然エセルバートを取り巻く空気が変わったことに驚きながらも、イザドラは頷いた。
イザドラの承諾に、エセルバートが「ありがとう」と呟いた。それから、自らの言葉ひとつひとつを噛みしめるように、ゆっくりと話しはじめた。
「……知っての通り、先の王の即妃だった私の母は、すでに亡くなっている。私が八歳の時に、自ら命を絶ったんだ」
エセルバートから語られた真実に、イザドラは息を呑んだ。
側妃の死の原因は、病気と公表さえている。
(まさか、ご自分で命を絶っていたなんて……)
「……生まれてきた私の姿を見て、心を病んでしまったんだ。母は、私のような化け物を産んだことを、ずっと悔いていた」
「そんな……」
彼の顔と、手の甲に広がる青い鱗。
だがもしかしたら、彼の体全体に、この鱗は広がっているのかもしれない。彼の受けた呪いが、どこまで彼を蝕んでいるのか、イザドラには知るよしがない。
(もし、そうだとしても。だからと言って……)
だが、イザドラはエセルバートの母ではない。
彼女がどのような気持ちで、生まれた彼を見ていたのか。何故、命を絶ったのか。どのような言葉を、彼に残したのか。わかりようもないのだ。
ふいにイザドラの脳裏に、イザドラの父が、イザドラが婚約を断られるたびにすまないと言って詫びる姿がよぎった。
(お父様は……私がこの姿で生まれてきたことを、自分のせいだと思っているのかしら……)
イザドラの母は、この黒髪も、黒い瞳も祖父から継いでいない。両親は、まさか孫であるイザドラにこの色が出るとは、思っていなかったのかもしれない。すでに南方の血は薄れ、もうこの色を持つ存在は生まれない筈だと、そう思っていたのかもしれない。
でも、それではイザドラという存在は、どうなるのか。父に、この世に誕生させたことを、申し訳ないと思わせるような存在。想定外の、もうこの世に生まれる筈ではなかった存在。
だが、それでは――。
それではあまりにも、イザドラという存在が哀れではないか。
「だから、私は生涯結婚するつもりはなかった。私の妻となり、私の子の母となる女性に、私の母と同じ思いをさせるわけにはいかないからだ」
――そして、我が子に自分と同じ思いをさせるわけにもいかない。
自らを皮肉るように落とされたエセルバートの言葉に、イザドラは彼の怒りの正体を知った思いがした。
彼が結婚しなくても、いずれまた、王家に呪われた子は生まれてくるだろう。それでも彼は、少しでもその可能性をなくしたいと考えているのかもしれない。
それがいかに理不尽なことだろうと、彼一人を孤独に落とすことになろうと、彼はその道を進むことを選んだ。
だが、それは真実、彼の望んだ道ではない筈だ。




