第三章 屋島の戦い 開戦2
背中を見せる平家軍に、義経軍はいきり立った。
ことに義経は――
(それでこそ棟梁だ、宗盛殿。そうあってくれと願ったよ)
――わが策成れりと胸中で安堵しながらも、全軍に檄を飛ばす。
「見よ! 平賊は退却を始めたぞ! 勝機はここにある! 攻め寄せよ!」
帝の無事を考えれば引くのが上策。そう考えてくれるほど、宗盛がまともであってくれた。
棟梁の性格によっては、安徳を頂いて死中の活を求めるがごとく、徹底抗戦命令が平家に下されることもありえた。
帝のためにと平家軍が死力を振り絞れば、たちまち義経の用いた兵数の迷彩は暴かれていただろう。
ここでむざと敗死するつもりは、義経にはあるはずもなかったが。
奇襲が失敗すれば景時軍の到着までなんとか生き延びて継戦することになり、今よりもさらに困難な戦いになることは明らかだった。
だが、義経の読みは当たった。
宗盛は、勝つあてもなく無謀な戦いに、安徳と一族を向かわせることをしない棟梁だった。
自軍が寡兵であることは、義経軍の全員が嫌というほど承知している。
しかしこれなら勝てる。
むしろ今この時にしか自分たちの生き目はないと、彼らは全霊を振り絞って平家軍を海へ追い立てた。
さらに義経が叫ぶ。
「深追いするな、追い打ちよりも敵陣を奪え!」
目先の勢いにまやかされない義経の感性が、ここでもものを言った。
そして、平家の舟の大部分が瀬戸内海へ漕ぎだしたころ。
海から陸を見て、視野が広がれば、嫌でもわかる。
宗盛がぼそりと言った。
「……鎌倉の兵は、……少ない」
ばかな、とは言葉にならない。
(これは、兵の数でも、地の利でも、帝のもとでの士気においても、有利だったのは我らではないか)
そも宗盛は、一ノ谷以前ほどには充実していなくとも、それでも海を前にして源軍ごときに後れを取ることはないという自負とともに布陣していた。
それを、ただ数条の煙でもって、ただ己の心得違いを誘われて、すべてを覆されてしまった。
単に武力で打ち負けたのではなく、己の頭の中を侵されたような異形の敗北感が、宗盛を包んだ。
平家の勇敢な兵が何艘か、陸へと戻ろうとする。
それを見た宗盛が気を取り直しかけた。
「そうじゃ、水島(※)の時のように、こちらから上陸して……」
(※平家軍が義仲に大勝した戦い)
だが海へ向かって立てられた楯は、すでに義経のものになっていた。
海から攻め寄せる鎌倉兵を撃退するための備えが、今、そのまま自分たちの前にそびえている。
義経が号令した。
「我に続け! 汀を制せよ!」
田代信綱、金子家忠、その息子の近則、そして伊勢義盛らが、海岸線を完全に制圧すべく義経に続く。
平家の舟がそれに合わせて巧みに海を滑り、兵が矢を放った。
だが、馬術巧みな義経らに当たることはなく、空しく空を切るのみであった。
一方で、義経軍の佐藤嗣信、弟の忠信、後藤実基、その養子基清らは、代理や陣への放火を続けた。
もはや取り返す甲斐もないような消し炭に、平家本陣が変わり果てていく。
だがこれにむしろ奮い立つ者が、平家にはいる。
「貴様ら鎌倉の賊ども、ただで帰れると思うな!」
歴戦の勇士である平盛継、上総忠光。
彼らは船を降り、波打ち際に布陣した。
たちまち、嗣信らとの陸上戦が巻き起こった。
屋島合戦唯一の正面戦闘は、その一瞬にすさまじい光芒を走らせた。
激戦により、嗣信が射抜かれて死ぬ。
だが、平家軍はついに屋島から追い払われ、屋島合戦は終わった。
九州では範頼が上陸に成功し、こちらからも平家を追い込んでいく。
屋島の戦いをして、単に平家を兵力も減損させずに海へ追い出しただけなので、義経の功績は大したものではないと評する現代の声もある。
だが直接的な兵力の損耗は僅少であっても、平家の陸上拠点を奪取したのは、奇をてらわず考えれば当然に多大なる軍功であった。
義経も平家も損耗は少ない。その点では、源平互角である。
だが屋島を失った平家はいよいよ補給線も援軍のあても失い、滅亡に向けて、海上に孤立するのである。
・梶原景時軍は二十二日に屋島に到着している。
この時義経が景時に遅参だと皮肉を言うくだりが平家物語にあるが、示し合わせた日時での到着だと思われるので、創作だろう。
・後日談として、義経は悲嘆にくれて愛馬大夫黒を現地の僧に寄進して、嗣信を悼んでいる。
那須与一の伝説は物語上にしか見られないが、大夫黒寄進は平家物語の創作ではない。




