第四話 暗闇の瞳
『アナタはダァレ?』
「―――っ!?」
今まで聞いたことのないようなどんよりとした声がすぐ背後から聞こえた。秋良の背筋が凍りつき、自然と歩みが止まる。
空兎もこの声が聞こえているのか秋良と同じタイミングで足を止めた。しかし、こちらを振り向こうとはしない。いや、振り向けないのだ。今の秋良と同じで、金縛りにあったように体が動かないのだろう。
『ねぇネェ、アナタはダァレ?』
体温がどんどん低くなっていくのに対して、体からは滝のように汗が流れでる。
空兎はあいかわらず振り向かないまま、秋良の数メートル前にいる。秋良はこの状況を作り出したであろうにも関わらず、何も行動を起こさない空兎に対して、かなりの怒りを覚えていた。
だか次の瞬間、その怒りは一片たりとも残さず、すべてが恐怖へと置き換わった。
『やっぱりキミもチガウのカナァ』
「―――っ!」
視界の上からぬるっと上下が逆さまの顔が入り込んでくる。今すぐにでも顔を横にずらしたいが金縛りがそれを許してはくれない。
肌は濁ったような青色で、顔全体にシワがあり、その頭から伸びている真っ黒な長い髪はだらんと地面まで垂れている。顔には耳元まで裂けた大きな口があり、その口を三日月型に開き、おぞましい笑みを浮かべている。本来眼球がはいるはずの部位には何もなく、ただ全てを飲み込むかのような暗闇が広がっているだけだ。
一目見るだけでこの世のものではないのだと本能的に気付かされる。
こいつはバケモノなのだと。
そんなバケモノと秋良は目が合ってしまった。いや、それはおかしい。このバケモノには文字通り目が無い。そんなバケモノと目が合うなどあるはずがない。そんな感情がこのバケモノのおぞましさを一層際立たせていた。
『じゃあイイヤ。キミのメ、チョウだい……?』
(……は?俺の…目?)
このバケモノの声はとても聞き取りづらい。もともとの声質もあるが、単純に滑舌があまり良くない。だが、今の言葉だけはなぜだかすぅーっと自然の摂理かのように聞き取ることができた。
バケモノの冷たい冷たい両手が秋良の両肩に乗せられる。まるで、自分の獲物を逃がすまいとするかのように。
もとから50センチほどしか離れていなかったバケモノの顔がだんだんと秋良の顔との距離を縮め始めた。
秋良は抵抗しようとするが、金縛りが邪魔をし、身動きが一切取れない。
40
30
視界の端に映り込んでいた周りの壁がバケモノの顔で隠れ、視界にはバケモノの顔面以外のものがなくなる。
20
10
ついにはバケモノの眼球のない暗い空洞だけが視界を埋め尽くした。
だんだんと、だんだんと、その暗闇に吸い込まれていき、頭がぼぉーっとしだす。まるで、底の見えない大きな穴の手前からその穴を眺めているかのように。
そして、自分が立っているのか座っているのかも分からなくなり、穴に落ちていく感覚に飲み込まれたその瞬間、
金縛りと共に目の前からバケモノが姿を消した。
それと同時に全身の力が抜け、秋良は膝から崩れ落ちた。自然と四つん這いの姿勢になる。
「……はぁ……はぁ………」
今まで呼吸をしていなかったのか、肺に酸素が入ってくるのを喜んでいる感覚がある。
だが、それよりも、
(はぁ……あぶっ…なかっ、た………はぁ、はぁ……あれ以上は……)
バケモノが消えるのが後少しでも遅ければ、一体どうなっていたのか想像もしたくない。あれ以上は不味かった。
その感覚が肌で感じられた。
ボタッ ボタッ
頭から髪を伝って流れ落ちてくる汗が、アスファルトの地面を濡らしていく。
汗が出るほど体温は上昇しているのに、身体の芯は未だ冷え切ったままだ。
視界がだんだんと霞んでいく。汗に交じって涙が地面を濡らす手伝いをしているのだろう。
「はぁ、はぁ…………うぅ……ぅっ」
荒い呼吸の合間に混じって、嗚咽が漏れる。
「ゆっくり息を吸え。吸って…吐いて…」
誰かの手が秋良の背中にそっと添えられる。一瞬あのバケモノかと思い体が強張っだが、すぐに違うのだと分かった。その手は、とても温かかった。あの冷たい手とは違い、とても温かく、とても優しかった。
秋良の背中に回された手が軽くトン、トン、と呼吸のリズムを教えてくれる。そのリズムがなぜだか心地よく感じられた。
5分ほど経った頃、秋良の荒かった呼吸も落ち着きを取り戻した。
「立てるか?とりあえず、あそこの公園まで行こうぜ」
「……あぁ」
差し出された手を取り、そのまま立ち上がる。そして、空兎が指をさす方向に2人で歩いていった。
薄暗いこの道から逃げるようにして。
公園に着くと空兎と秋良は砂場の近くにあるベンチに座った。1つに3人で座れるよう空間が区切られているベンチで、空兎は右端に、秋良は左端に座った。
そうとう汗をかいたためか喉が渇いていた。先に水筒のお茶を飲んで喉を潤してから先ほどのことを空兎に聞いた。
「……空兎、説明してもらっていいか」
「あぁ、わかった。先に言っとくが別に俺も詳しいわけじゃないからな」
空兎は体を大きく開き、一度深呼吸をしてから話し始めた。
「あの怪物みたいな、バケモノみたいな奴は【ハグレ】っていうんだ」
(ハグレ……?)
「なんでも、未練を残した人間がその未練を晴らすためにあんな感じで姿を変えてこの世界に残り続けてるらしい。いわゆる幽霊だな」
(幽霊か…ん?その話し方だとまるで……)
「なぁ空兎、その話し方だとまるで、他にもあんな奴がいるみたいに聞こえるんだが……」
体を空兎に向けながら信じたくない疑問を投げかける。
「まぁいるからな他にも」
「………まじかぁ…」
信じたくない疑問を肯定されてしまい、秋良は頭を抱える。そして、1つの疑問を抱く。
「ん?いやでも待て、今まで生きてきたなかで1回もそのハグレって奴には出会ったことがないぞ?」
「あぁそれか。なんでかはわかんないけど、どうやらここらへんの地域でしかハグレは出ないらしい」
またもや信じたくないことをさらっと空兎に言われてしまう。
(………まじかぁ……こんな場所でこれから暮らしてかないといけないのかよ……。いや待て、ここの人たちはそのことを知ってるのか?)
「そのことはみんな知ってるのか?」
「みんなって?」
「その、学校の人たちとか地域の人とかさ」
あんなバケモノが出てくるとみんなが知っていたら、誰もこの地域には住まないだろう。そう思い、また疑問を投げかける。
「いや?みんな知ってるぞ」
「知ってんのかよ」
「まぁな、それにハグレに会おうとしなきゃ基本害は無いしな」
「会わない事が…できるのか?」
空兎の発言に少しの希望を見出す。
「そりゃーな。さっき会ったのは【ひとみさん】っていうハグレだ。あのハグレに会う条件は、4時ピッタリにあの裏道を2人以上で通ること。さっきの俺たちみたいにな。そして、その中から1人選ばれて、秋良がされたみたいに質問を投げかけられる。〈アナタはダァレ?〉ってな。もし、その言葉に何か答えてしまったら、そいつはひとみさんに目を盗られるらしい。だから俺は喋るなってお前に言ったんだ」
空兎が右手で目を奪われる仕草をする。
空兎の言葉を聞いて、先ほどの光景が頭に浮かんでくる。奇妙な色をした肌、異常なほどに長い髪、そして、眼球のない暗闇。
先ほどの悪寒が秋良のことを襲う。すべてを飲み込むかのようなあの暗闇に飲み込まれていたら、一体どうなっていただろうか。何度も何度も、そのことが頭をよぎる。
「おい大丈夫か、顔色悪いぞ」
空兎が秋良の肩を揺さぶったことにより、現実世界に呼び戻される。どうやら顔に出ていたらしい。
「あ、あぁ、大丈夫。ありがとう」
いつの間にか空兎が端から真ん中のところに移動していた。そんな空兎に礼を言いながら秋良は軽く笑顔を見せる。
空兎にはその笑顔が苦しそうに見えた。
「それでさ、空兎――」
「悪い、そろそろ帰らなきゃいけなくてさ。また、明日でいいか?」
「え、あぁ、わかった」
秋良はまだ聞きたいことがあったのだが、空兎がそろそろ帰らなくてはいけないらしくまた明日にすることにした。
「最後に1つ、家帰ったらちゃんと手洗えよな。じゃあな」
「………?…あぁ」
(手?…うわっ、いつの間にこんな……)
空兎に言われ秋良は自分の手を見てみると、両手とも血まみれになっていた。どうやらさっきの出来事で無意識に拳を強く握っていたらしい。
さっきまでは気づいていなかったからか何ともなかったが、自分の怪我に気づいてからはヒリヒリとした痛みがやってくる。
(痛てて、早く家に帰ろ)
公園の水道で軽く血を流し、手を拭きながら家への帰り道を辿っていった。




