新たな伝承
おまたせしました
依存を司る闇の言葉に主人である央力も美奈もふぅむと悩むばかりだった。いったい何をすれば穏雅が目を開けるか、いいアイデアは一向に思いつかない。するとセィ=ヘルニェムは続けて、
「とりあえず穏雅の頭の中にある依存の対象をぶつけてみてはいかがでしょうか」
と言った。
「それってつまり…」
「わっ…私…」
央力はチラッと美奈の方に視線を向ける。恐らく穏雅が目を開けるには自分より彼女の方が適任だと、央力は直感的に理解していた。
しかしあれほどの声量で泣きついたというのに目を開けないとなると、それ以上の何かをしないと無理なのだろう。
そう考えていると、ふと央力の脳裏に甘えを司る闇や笑顔を司る闇を寝かしつける抱擁を司る闇の姿がよぎる。あの時、レマッサ・ティアーノは娘達に大きな本を読み聞かせていた。全体の内容はよく見てなかったけど、確かずっと起きない女を男がキスで起こすシーンがあったと思う。
つまり同じことをしてやればもしかしたら…
「んっ」
「…っ」
央力は指でトントンと自分の唇を触り、口づけの仕草を美奈に見せる。その内容はキチンと伝わり、彼女の頰がじわじわと火照って赤くなる。そういうことは基本的に夫の方からして来た仲であったから、いざ彼女の方からとなるといまひとつ勇気が出ないように見える。
「はぁ…」
そんなしばらくモジモジと踏み出せない美奈であったが、やがて自分がやらねばと自覚したのか大きなため息を吐いてからズルズルと穏雅に近づいていく。
シュルシュルッ
美奈は完全無防備状態の穏雅にその長き体を巻き付け、獲物が逃げぬよう固定する。さらに蛇のように鋭い目で標的を捉えると、両手で穏雅の顔をしっかり掴む。
そしてその瞳に決意を固めると、ふぅっと小さく息をつき…
「起きろッ!!」
ブワァッシィィンッッッ!!
持てる力を使って渾身の平手打ちを穏雅の頰にかました。
「いっ」
「えっ」
きっと美奈のことだから自分の送った合図通り口づけをするだろうと思っていた央力と側にいた依存を司る闇の口からは驚きの声が漏れてしまう。いったいどんな環境で過ごせば目覚めのキスがビンタに変わるのかと107人の娘達の親である央力は困惑を隠せない顔を浮かべるが、そんなの御構い無しと言わんばかりに彼女は何度も自分の手のひらを夫に打ち付けていく。
バチンッ!!
「とっとと!」
ベシィッ!!
「起きなさいっ!! このっ!!」
パァンッ!!
「妻子不幸者がぁっ!!」
スパァンッ!!
やがてビンタの数は10発を超え、穏雅の両頰が紅葉型に赤く染まっていく。すると、
「んっ……ん……」
と口元からほんのわずかに穏雅の声が漏れる。しかし、
「起きろッ!! 起きろよっ!! このバカァッ!!」
今までのストレスが爆発し、カッカと激昂した今の美奈にその言葉は最早届いていなかった。自分の蛇体で完全に体の自由を奪い、怒りのビンタを何度も打ち下ろす。その怒りは天界での修行を終え、強くなって戻って来た央力でさえかける言葉も無ければ、ましてや立ち入ることすら出来なかった。
「ちょっ…み、美奈…へぶっ!」
「とっとと起きなさいよぉっ!!」
「うわぁ…」
「……」
そこは完全に無秩序な空間だった。愛する夫にビンタを打ち下ろす妻、そしてその光景に立ち尽くすことし、うわぁとドン引きするしか出来ないかつて穏雅を殺した存在。そんな空気に耐え兼ねなくなったのか、はたまた自分の役割はもう終わったと察したのか、依存を司る闇は黙って央力の影の中へ戻っていく。
完全に場を止める者がいないこの状況。最早その台風の目となる大蛇の怒りが自然に収まるのを待つしかなかった。
「ふーっ! ふーっ! ふーっ…はぁ…」
「い……み、美奈……」
「…っ? あ、やっと目覚めた……もぅ…」
「えっ…う、うん……」
だがついに大蛇の炎が収まりを見せたのか、それとも殴り疲れたのか定かではないが、とうとう美奈のビンタが止まった。その隙に穏雅は腫れ上がり、ほうほうと火のように熱くなる頰の痛みに耐えながら愛する妻の名を呼んだ。その言葉がやっと届いたのか、怒り狂う大蛇の瞳は徐々に落ち着きを取り戻し、鎮火と言わんばかりの雨の涙を目いっぱいに降らせた。
ギュゥゥゥゥゥ…
ミシミシミシッ…
「はっ…はぁ……グス……」
「何でか分からんけど、泣いたら自慢の顔が台無しだぞ」
「ぐっ……ふぅ…ふぅ…」
二度と離さないかのようにミシミシと体の締め付けを強くしていく美奈を穏雅はなだめるように言った。
そこには前までの荒々しさや棘はまるで無く、元通りいつも通りの穏やかな顔を浮かべる穏雅の姿があった。それこそつい7日前、いやそれ以上前の立ち振る舞いとは正反対だ。
そんな夫の姿に安堵したのか、それとも無責任に帰って来たことに腹わたが煮え繰り返ったのか、はたまたその両方か、
「そんなの…誰のせいだと思ってんのよっ!!」
ブワァチィンッ!!
「っ!?」
喜びか、怒りか、どっちつかずな顔で美奈は再びビンタを再開した。
そんな2人に、最早付き合い切れないと愛想を尽かした央力はやれやれと首を振りながらその場から立ち去る。何で穏雅があんな風になっちまったという疑問はあるが、今はそれを聞ける状況では無いことは分かっていた。それに自分も長らく会えなかった娘達との再会を家族水入らずで喜びたい気分でもあったので、誰にも邪魔が入らないうちにさっさとこの場から離れることにしたのだ。
ズズズズ…
「っ! ご主人様っ!!」
「ご主人様っ!!」
「ご主人様っ」
「よぉ、久しぶり」
央力が自らの『究極の闇』の中に入ると、娘達が我先にと飛びついて来た。その喜怒哀楽のこもった手を感触を1人1人確かめながら、央力は娘達に迎え入れられる。
その再会を邪魔する者は誰1人としていない。
もしも『黄金の戦士』にまつわる書物の製作者が今の央力の姿を白紙に綴るとしたら、恐らくこのように筆を踊らせるだろう。
『邪悪なる戦士、内なる闇を沈め、光の対とならん時、天より落つる火をまといて現れ、地に堕ちた光を葬る者とならん。』
そして愛妻ビンタを頰に喰らい続け、やっと許してもらえた頃にはもう穏雅の頰は真紅に腫れていた。
「いっち…美奈、ちょっと叩き過ぎじゃない?」
「うるさいうるさいっ!! あんなこと妻にしておきながら、ビンタ数発で許してあげる私を寛大に思いなさいっ!!」
「数発…? つか、ごめん。あんなことって言われても何のことやらさっぱ…」
「覚えてないなんて言わせないからねっ!!」
困惑の色が拭いきれない穏雅に対し、美奈はブリブリと怒りの残り香をたぎらせていた。完全に元通りになった夫への安堵故か、上手に出てはガミガミと暴言の雨あられを降らす。
しかし穏雅はそれをただ聞く…というよりも耳に入って来るものを受け止めるしか出来なかった。彼女の言っていることがいまひとつ飲み込めないので、『あんなこと』とざっくり言われても何が何だか分からないのだ。だがそれを説明しようと口を開いても、返って来るのは支離滅裂かつ理解不能な言葉のみ。今のままじゃとても話にならないと、一旦我が家に戻ろうと穏雅は彼女に提案した。
「ふんっ!! けど罰としてしばらく家事全般は穏雅がやってよねっ!!」
「あっ、うん。うん? 美奈が家事手伝ってくれたことって…」
「それと清の世話もちゃんとすることっ!!」
「は、はい…」
そう言われながら歩いていると、ふと美奈の体の奥に何やら倒れている影を穏雅は見つけた。そこに近寄ると、シィンと倒れ伏せたまま微動だにしないロボの姿があるではないか。
「えっ、何でロボが」
「コイツもあんたの犠牲者よっ。バッテリー切れらしいから、穏雅が運びなさいっ」
「うぇえ…ロボ重いんだよな…」
「はいっ! グズグズしないっ!!」
わけの分からないまま穏雅はバッテリー切れのロボを担ぐと、止むところを見せない暴言の雨を浴びながら地獄の道を歩くのだった。
次回の投稿もお楽しみに




