八章 別離の予兆
書店で平積みの流行本を三冊、お肉屋さんでコロッケと豚肉を買う。この時期は毎年夏バテするので、しゃぶしゃぶサラダで少しでもスタミナを付けておかないと。汗も掻かず涼しい顔しているけど、あの子も見るからに体力無さそうだし。
(あれ……?)玄関ドアが僅かに開いている。出掛ける前、確かに外鍵を掛けたはず。あの子が開けたのかな?
「ただいま」
いつもソファにあるはずの少女の姿が無い。私は慌ててリビングに入り、部屋を見回した。
「何処!隠れてないで出て来て!!」
キィッ……。「おかえりなさい」
裏口から入ってきた彼女は俯いたまま首を横に振り、済みません、取り逃がしました、と突然謝った。
「ど、どうしたの一体?」
「三十分前、この家に二人組の空き巣が侵入しました、外出中に偶然。感知し、急いで引き返し警告を発動。ですが、走行出来たなら捕縛も可能な状態でした」
外出って……そうか、この子……私の留守中にいなくなろうとしてたんだ。泥棒に入られたのはショックだけど、彼女を引き戻してくれたのは不幸中の幸い。
「そんな、いいのよ。空き巣と会ったのね?怪我は無い?」
思わず屈み込んで尋ねる。
「ええ、彼等は武器を携帯していませんでした。負傷はありません。損害はその抽斗の」開きっ放しの一番上を指差す。「現金のみです。他の物との接触は認められませんでしたが、一応再度確認を推奨します。法機関への連絡も」
「分かった。でも取り敢えず、お昼ご飯に揚げたてコロッケを買って来たの。お腹空いたし、食べてからにしましょう」
勿論理解していた。彼女は何れまた独り旅立ってしまう。家族や友人達に囲まれた私とは根本的に住む世界が違う。――でも、
「あと―――せめて、さよなら、ぐらい言ってね?」
少女は眉を上げ、それがあなたの望みなら善処します、抑揚の無い声でそう返した。うん、これでこちらの心の準備無くいなくなる事はないだろう、恐らくは……。
茶色の油紙から二人、手掴みでコロッケを頬張りつつ、泥棒について私は尋ねた。
「二人共染色体配列は人間の男性です。年齢は推定三十代後半。免疫抗体の分析結果から、同種の特殊な風土ウイルスに感染していた形跡が認められます」
「他には何かある?喋っていた内容は?」
「政府館を爆破、要人の暗殺……医療施設や銀行襲撃計画も口に上らせていたわ」
瞬間、頭の中で全てが繋がる。
「!!?ねえ、彼等、自分達を『明けの空』と言ってなかった?」
「ええ。その単語は何度か耳にしました。反政府主義組織でしょう?」
「そうよ。別の星の刑務所を脱走して、今シャバムに潜伏してるらしいの。良かった……」
「何がです?」
小首を傾げ訊ねてくる。
「あなたの無事に決まってるじゃない。追い掛けて、もしも暴力を受けてたら大変だったのよ?もう危ない事はしないで」
「暴力?私が、人間から?何故?」呆れた風に言う。
「何故って、あなた子供だもの。武器も持ってないし」
「スピリチュアル・エーテルでの攻撃はともかく、生物の運動能力で私の解析速度を上回る事は不可能です」
「相手はテロリストよ。銃を持ってたらどうするの!?」
「銃弾は予備動作から弾道を計算して充分避けられます」
「ああ言えばこう言う!とにかく駄目なの!!」
「??矢張り、人間の感情は理解不能」
話は終わり、と言った風にようやくコロッケを一口食べる。「酸化油は身体に様々な悪影響を与えます」もぐもぐ。彼女の場合、感想が全く当てにならない。代わりにこうして二口三口を入れる様子で、美味しいかそうでないかが判断出来る。
「ねえ、今度あなたの好きな物作ってあげようか?あ、食べ物の話ね。何がいい?」
衣の欠片を口の端に付けた彼女は小首を傾げ、質問の意図を勘繰っているようだ。
「私はね、焼きとうもろこしが一番好き。お醤油がたっぷり掛かって焦げ目の付いたの。――昔、お姉ちゃんと一回だけ街の夏祭りに行ったの。偶々その年は夏風邪を引くのが遅かったから、二人で浴衣を着てね。その時食べた屋台の焼きとうもろこしが凄く美味しくて……どうして家のコンロだと上手く作れないのかな?」
「火力」
「だよね。どうせなら自作しちゃおうか。冬はお餅やマシュマロ焼いてもいいし、バーべキューも楽しそう」
クレオさん、焼肉食べるのかな?そもそも何が好きなんだろう?
「――ホットケーキ」
ぽつり、少女の声。
「私も好きよ。ブルーベリージャムを一杯掛けるの」
「――焼き立てにバターと蜂蜜をたっぷり、皿から溢れる程……」ぎゅっ。恐怖を押さえ込もうと、また卵を抱き締める。
「じゃあ近い内に焼いてあげる。一緒に食べようね」
「………」
やっぱり返事してくれないか……。




