六章 凶兆の朝
翌朝。少女とトーストの朝食を摂った後、工具箱と人工皮膚等が入った肩掛け鞄を持って家を出た。夜に出しておいた岡持ちは既に跡形も無く消えている。
林を抜けると、早くも空気がもわっとしていた。そよ風が吹いているのがせめてもの救い。
(あれ?あの人……)
聖者様のお屋敷前。傍の林道で若い男性が立ち止まり、じっと一階の窓を覗いている。クレオさんより二、三歳年上、赤毛を短く刈り込んだ人。正直、赤髪は怖い義父を連想してしまうから苦手だ。
「あの、何か御用ですか?」
思い切って声を掛けると、鋭い視線が皮肉気な物に変わった。
「いや、知り合いが住んでいる所なんでちょっと見てただけさ。――お嬢ちゃん、何度か街の中で見かけた事があるな。名前は?」
何だろうこの人……まるで爬虫類みたいな冷血の目。お姉ちゃんも時々似たような眼差しをするけれど、その中にもちゃんと人間らしい温かみが感じられる。
「リサ・タイナー。学生です」殆ど通信教育しか受けていない身だが、無職と言うのも恥ずかしい。
「へぇ……お嬢ちゃん、よくデカい女と一緒に歩いてるよな?――姉妹か、にしては似てないな。君の方がよっぽど可愛い」
厭だ、怖い……何で?ただ世間話をしているだけなのに……?
「お兄さんは何てお名前なんですか?」
「俺はボクサー、LWPで今は連合政府のバイトさ。あの屋敷にいるクレオ・ランバートと部署は違うがな」
「何だ、クレオさんの友達だったんですか。呼んで来ましょうか?今朝は私と約束しているから、まだ屋敷にいるはずですよ」
「へえ、デートか?来たばっかりだってのに、やるなぁあいつ」
からかいの言葉も、何処か空虚でちぐはぐだ。あのポニーテールの少女の抑揚の無さでさえ、こんな不気味な違和感は感じない。
「いいえ、私は修理に来ただけです。何なら一緒に行きますか?」
男性は首を横に振り、止めとくよ、これから仕事なんで、そう断って政府館の方へ走り去る。後姿を見ながら、良かった……、思わず口から漏れる呟き。
(あの人もエレミア人なんだ……でも正直、もう顔を合わせたくないな)
私は強張った肩を解放するために深い息を吐き、改めてお屋敷へ向かった。
バンバンバン!「駄目だ、全然映らない!」「オリオールが叩き過ぎたせいだよ。だから修理の人呼ぼうって言ったのにー!」
玄関前に立つなり、そんな元気な喧嘩声が聞こえてきた。取り敢えずインターホンを押す。
ピンポーン。「はい、今行きます!」ガチャッ。
出てきた青髪の青年は、相変わらず人間にしか見えない程精巧だ。ふふ、前髪、寝癖付いてる。作り手のお母さんの芸の細かさには、会う度吃驚しちゃう。
「あ!お待ちしていましたリサさん。どうぞ上がって下さい」
「お邪魔します」
リビングに通される。そこではレティちゃんとつい最近急に大きくなったオリオール君が、砂嵐のテレビの前で困り顔をしていた。
「どうしたの二人共?壊れたの?」
「あ、リサお姉ちゃん!あのね聞いてよ。オリオールってば、昨日の夜映りが悪いからって思い切り何回も叩いたの!その時一旦は直ったんだけど、今朝スイッチを入れてからずっとこの状態!ねえ、もう映らないの?」
「こら、レティ」階段から親友の同級生、ルザさんが降りて来て注意する。「お姉さんはクレオの修理に来たのよ。邪魔しちゃ駄目でしょ?」
「構いませんルザさん。――ちょっと待っててねレティちゃん。終わったらすぐ見るから」
「クレオ、何処か悪いの?」テレビの事も忘れ、少女は心配そうにこちらを見上げた。そしてふるふる首を横にする。「うん、私待ってる。だから早く治してあげて、お姉ちゃん」
「ありがとう。じゃあクレオさん。そこのソファに横になって、ズボンを脱いで包帯を取って下さい」
素直な彼は言われた通りの体勢を取ってくれた。シンプルな白のパンツにドキッとしつつ、早速太腿の傷口を診せてもらう。昨夜の電話通り配線は既に繋がっていて、人工皮膚だけが破れた状態だ。これなら持ってきた分で足りそう、良かった。
「今塞ぐので、少し動かないで下さいね」
「はい」
持参の人工皮膚をカッターで傷口ぴったりに切り、接着剤を塗って慎重に貼り合わせた。少し隙間はあるけれど、自己再生ですぐ塞がるだろう。ぴとぴと、これでよし。
「終わりました。もう動いても大丈夫ですよ」
彼は具合を確かめた後、流石リサさん、ありがとうございます、嬉しそうにお礼を言ってくれた。その笑顔を見るだけで心臓が勝手に高鳴ってしまう。
ズボンを履き直すクレオさんに背を向け、私は約束通りテレビの点検を始めた。画面を確認しながら、背面の複数のツマミを順に操作する。程無く、鮮明な音声と共にニュースキャスターのおじさんの顔がくっきり映った。
「やった!どうやったのお姉ちゃん!?」
「えっと、ここに電波のボリュームを調整するツマミがあるの。古いテレビだから少し緩んでいたみたい。そこに叩いた衝撃で受信が最小になって」
「なぁんだ、やっぱりオリオールが悪いんじゃない」
「う……ごめん」
上手くやり込めたレティちゃんはケラケラ笑い、ピョコンと私に頭を下げた。
「ありがとうリサお姉ちゃん!凄い、まるで魔術みたい!!」
「大した事じゃないよ。知識さえあれば誰だってこれぐらい」
褒められ慣れない私は、そう返事するのが精一杯だった。
「リサ、朝早く疲れたでしょ?座ってて」それからルザさんはすぐにキッチンからトレーを持って現れた。ソファに腰を下ろした私の前へ、コーヒーの入ったカップと手作りクッキー入りの小さなバスケットを並べてくれる。
「わあ、ありがとうございます。これ、ルザさんが?」
「いいえ。昨日レティとオリオールが作ったの、ね?」
「うん。形は良くないけど、味は保証済みだよ」
「じゃあ遠慮無く」ぱく。もぐもぐもぐ……。「美味しい!」
「良かったー!一杯食べてねお姉ちゃん」
その後ルザさんがコーヒーとカフェオレを二杯ずつ淹れて配り、皆で私を囲むように座った。すぐ右隣に大好きな人の整った横顔がある。
―――昨夜”白の星”夜那珂警察署を脱走した反社会組織『明けの空』のメンバー五人は、現在民間宇宙船を奪って逃走中です。警察及び連合政府はこれに対し、速やかな捕縛と厳罰を行うと合同表明しています。
「まだいたんですか、彼等」
キャスターが淡々と読み上げたニュースに、クレオさんが不安そうに反応した。
「全く、ゴキブリ並みのしぶとさだわ」ルザさんが呆れたように呟く。「そう言えばレティ。あなたと最初に暮らしていたおじさん、もう怪我治ったの?確か電話番号、交換してたわよね?」
「二週間ぐらいで退院出来たみたいだよ。まだ自宅療養中らしいけど、来週からまた宇宙船に乗るんだって」
「そんなに重傷だったの?お父様の奇跡を受けたのに」
「何か持病の『ギックリゴシ』が起きて、入院が伸びたんだって。大変だね大人は」
悪戯っぽく笑い、復帰したら一回休みの日に会いに来るって、その時はまた沢山クッキー作ろうね、振り返って背後のオリオール君に言った。
ニュースが“蒼の星”で行われた今年初の花火大会を伝え始めても、クレオさんの人工眼球は恐れの色に染まったままだ。見兼ねたルザさんが、しっかりしなさいよ、私より先に声を掛けた。
「しかしルザ、もしまた被害者が出たら……」
「あんたが気に病む事?何ならエルシェンカに言って捜索隊に加えてもらう?……あんたは大人しく大学の課題してなさい。今日も行くんでしょ?出来たの?」
「まだ半分、未完成ですよ」
「見てあげるわ。持って来て」
「え!?い、嫌です!!どうしてルザに見せないといけないんですか!?」
何の話?レティちゃんに尋ねる。
「クレオ、大学の体験入学に行ってるんだ。絵の教室の」
「調査団の仕事をしながら?凄いね」
「いえ、普段は休日だけですよ。熊髭先生からは、教室が開いている時は何時でも来ていいと言われてますし」
「熊髭先生?」
「渾名です、他の受講生は皆そう呼んでいるので。夏なのに顎も鼻の下も凄い髭を生やしているんです」
クレオさん、とても楽しそう。きっと教室に何人も友達がいるんだろうな……不登校の私とは大違い。ちょっと羨ましい。
「今は何を描いているんですか?」
「人物画……ですね。僕は風景画が殆どで、人は数える程しか描いた事がありません。つまり……余り上手じゃないんです。今回は特に……初めての題材なので」
「えー、普通にそっくりだったじゃない」
「!?レティさん、部屋を覗いたんですか!だ、駄目ですよ!プライバシーの侵害です!!」
「それは楽しみだわ。あなたも見たいわよね?」勿論頷く。「ほらほら、さっさと持って来て」
「うう……分かりました」
観念して階段を上がっていく。しばらくして、閉じたスケッチブック片手に降りて来た。
パラッ。「これです。余りジロジロ見ないで下さいね」
人物画と言う事で予想は付いていたが、凛々しい横顔のデッサンのモデルは紛れも無く姉、シルク・タイナーだった。真っ直ぐ画面右側を向いている。――初めて見るけれど凄い画力だ、しかも……この絵には、モデルへの隠し切れない愛情が詰まっている。鑑賞者の胸を熱くさせずにはいられない。
「良い絵じゃない。これで未完成なの?」
「ええ。残りは今日教室で描こうと思って」
「これは水彩画ですか?それとも油絵?」
「いえ、僕の場合デッサンで完成です。エレミアでも絵の具は一度も使った事が無くて……塗ったら失敗しそうで、怖いんです」
「成程。そうですね」繊細な陰影は色など付けない方が味がある。「完成したらまた見せてもらえませんか?」
私が頼むと、片想いの人は気弱な表情をしつつも承諾してくれた。




