四章 義姉
翌日の昼過ぎ。リビングの壁掛け電話が鳴った。卵を抱えてうとうとしていた少女の肩がぴくっ!となるのを横目で見つつ、受話器を取る。
「もしもし」
『リサ、私だ』
「お姉ちゃん!?だ、大丈夫なの怪我?」
向こう側の姉はいつもと変わらない、屈託の無い逞しい笑い声を上げた。
『心配無い。お前の方はどうだ?また夏風邪を引いてはいないか?』
「私は平気だよ。一人じゃないし」言って慌てて訂正する。「ち、違うの!デイシーちゃんやクレオさん達が毎日様子を見に来てくれるから」
『そうか、なら安心だ』
「お姉ちゃんはどうなの?」
『ん?』
「お父さん……しかお見舞いに来なくて、寂しくない?着替えとか困ってない?」
あの赤毛の義父の事、見舞いに凡そ役立ちそうな物など持って行きそうにない。勿論定番のお花や果物なんて、とてもとても。
「私、そっちに行こうか?下着とか、女同士でないと頼みにくいでしょ?」
『リサ……』
「どうしたの?」
『いや、お前がそんな事を言ってくれるとは思わなくてな。――ただ、あの男が常用しているだけあって、ここは柄の良くない病院なのだ。ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ』
「そう……無理しないでね、お姉ちゃん」
他人のあの子でも心臓が止まりそうだったのに、大事な家族の大怪我なんて……考えただけで死んでしまいそう。
「お姉ちゃん、もし……私が自力で治療費を出せたら……危ない仕事、止めてくれる?」
何故突然こんな言葉が口から!?大体私、半分引き篭もりだけど一応まだ学生で。
『……恐らくそれは出来ないな。金の事は勿論あるが、私はどうやら根っからの武人らしい。女らしく毎日家事をして暮らせる気がしないんだ』
真面目な返答には一切の嘘が感じられなかった。
「だよね……ごめんね、変な事言って」
『リサ、私がいない間に何かあったのか?』フッ、受話器の向こうで息を吐く。『少し話さない内に随分逞しくなったな』
「うん――猫、拾ったの」
振り返り、後ろで丸くなった少女を眺めながら言葉を続ける。
「ちょっと無愛想だけど、とっても可愛いんだよ。――お姉ちゃんが帰ってくる頃には多分、いなくなってると思うけど……」
『風来坊な奴だな。子猫か?』
「うん、親猫とはぐれたみたい。怪我が治ったらきっと……また探しに行くんだと思う」
『親か。無事に会えるといいな』
私もそう願わずにはいられない。あの子に安住の地と、笑顔が戻る事を。
『――もしも会えるなら……リサは会いたいか、両親に?』
「いいよ別に」
『何?』
「私が小さい頃死んじゃったんでしょ?会いに来てもらっても、何話していいか分からないし……それに、死んでまで心配掛けたくないから」
『他人行儀だな。親は何時になっても子を想う物だぞ?』
「一体どうしたのお姉ちゃん?急にお父さん達の事言い出すなんて」
『いや……入院していると、色々考えてしまってな。あの男では到底まともな話し相手にはならんし、この病院には新聞も雑誌も無い。正直暇なんだ』
「なら毎日でも電話してきてよ。何ならこっちから掛けようか?病院の電話代って結構馬鹿にならないし」
私は住んでいるのも同じ街だから殆ど掛けない。が、別の星から来た人は退院時に高い使用料を払うと説明されていても、よくロビーの公衆電話を使っている。
『済まない。ここはその……さっきも言ったが後ろ暗い所でな、外部からの連絡は禁止なんだ。声が聞きたくなったら私の方が掛けさせてもらう。気を遣わせて済まん』
「いいよ、お姉ちゃんは怪我人なんだもの。何時でも掛けてきて」
それから私は姉がいない間の話をした。勿論、女の子は猫としてだ。
『……不思議だ。リサ、その猫はお前を随分成長させてしまったらしい。話しているだけで分かる――エリヤ殿の預言、なのか?人生を大きく変える者……そうか』
私は自然に元気な声を出し、別れの挨拶で電話を切った。今日は今までになく姉と話した気がする。
「姉?」
「うん。結構元気そうだったよ、良かった」
ピンポーン。インターホンが鳴った。「はーい」パタパタ、ガチャン。
「突然済まねえ」
筋肉質で大柄な三十代ぐらいの男性は、そう謝ってから花束を差し出した。向日葵を中心とした夏らしい鮮やかなセレクト。
「どちら様ですか?」
身長は二メートル近くあるだろうか。何となく見覚えがあるような気がしないでもないが……。
「ああ済まん、紹介がまだだったな。俺は不死族の靭、お嬢ちゃんの姉さんには色々世話になってる。――タイナー、遠くに入院してるんだってな」
花束からは生命力のある良い香り。わざわざお花屋さんで購入したのだろう。本人がいないのに申し訳無かった。
「はい。私もお見舞いに行きたいのは山々なんですけど、本人に悪い所だから来なくていいってさっき断られちゃいました」
「闇医者の類か」
「昔からお父さんと危ない仕事してたから、そう言う知り合いもいるみたい」
防衛団の前は二人で傭兵稼業に就いていた、と聞いてはいる。でも多分嘘。何も言わない所を見るに、相当後ろ暗い仕事のはずだ。――例えば、暗殺、とか。
「心配するなよお嬢ちゃん。大体連中は揃ってプライドが高え。金さえ積めばどんな大怪我でもバッチリ治してくれるさ」
靭さんはそう慰めた後、不意に一歩下がって玄関の敷居を跨いだ。
「ああ、済まねえ。今一人なんだろ?俺みたいな図体のデカいおっさんが急に押し掛けてきて怖いよな?タイナーも妹は人見知りが激しいと言っていたし」
両手を胸の前でぶるぶる振り、言っとくが俺はロリコンじゃないぞ、本当だからな!本気で弁解を始める。
「分かってますよ。お姉ちゃんが言っていた不死省の友達ってあなただったんですね。お花ありがとうございます。生憎肝心のお姉ちゃんは不在ですけど、大切に飾らせてもらいますね」
「いいや。タイナーにはいつも世話になってるからな、これぐらいは当然だ。――言っとくが武芸を極めようとする同士としてだぞ?」
「ええ。あの朴念仁のお姉ちゃんが、誰かと付き合ってるなんて思ってません」
素直な感情表現をするクレオさんの恋心さえ勘付いていないのだ。姉には恋愛回路が備わっていないに違いない。”花花キャンパス”なんて乙女チックで非現実的な漫画を読んでいるのに、全く効果無し。防衛団の人に薦められるまま購読しているが、その目は武芸書を読むときより鋭い。
「だな。傍目にもそうそういない良い女なんだが、如何せん鈍い。防衛団の男共もほの字だそうだが漏れなく全員スルーらしいぞ。酷え話だ」
ちょっとホッとした。既に恋人がいたらクレオさん、絶対ショックでオーバーヒートしてしまう。
「もしかして、靭さんもお姉ちゃんを?」
「まさか……いや、まぁ……な」照れてバリバリ頭を掻く。「いかんよな流石に。お嬢ちゃんだって、姉さんの相手が父親程も年の離れたむさ苦しいおっさんは嫌だろ?」
「私は別に構いませんよ。本人がその気になれば、の話ですけど」
「あー……だよな。うん、おっさんなりに努力してみる」
無理だろうなあ。お姉ちゃん、完全に靭さんとは友達って感じだもん。でもやる気を挫く事は言わないでおいてあげよう。良い人みたいだし。
「ところでお嬢ちゃん、飯はどうしてるんだ?ずっと家で一人で食ってんのか?」
「え、ええ。外に食べに行くとお金掛かるので」それに自炊はダイエットにもなる。
「今夜もか?毎日三食の用意は大変だろ。ただでさえ心臓弱えのに」
「それ関係ありませんよ。うーん……でももう慣れてますから。面倒な時はサラダとか簡単な物で済ませちゃいますけど」
ここ数日は少女がいる事もあり、夕食はそこそこ手の込んだ物を準備していた。味はともかく栄養バランスが悪いとあの子、容赦無く突っ込んでくるんだもの。
すると靭さん、分厚い胸板を拳で叩いた。
「よし、今晩はおっさんの店のラーメンを配達してやるよ。美味いんだぞ、うちのスープ。シャバム一と言っても過言じゃねえ」
「え?で、でも……お姉ちゃんがいないのにそんな、悪いです」
「良いって良いって。花だけってのも味気無えしな。気に入ったらまた今度、姉妹揃って食いに来てくれ」
そこまで言われたら仕方ない。あの子と二人分、ううん。
「分かりました。じゃあ三杯お願いします」
「?一人でそんだけ食うのか?」
「いいえ。親友のデイシーちゃんが今夜来るので、彼女の分も一緒に」
「ああ、エルシェンカの孫娘か……今は大丈夫なのか?」
恐れを含んだ反応で何となく予想が付く。一週間前の暴走で彼女、この人にも手を上げたに違いない。
「はい、もうすっかり」
「なら安心だな。分かった、七時ぐらいでいいか?」
私の首肯に、大男は丈夫そうな歯を見せた。




