三章 親友との攻防
私の心配を余所に、翌朝デイシーちゃん達は無事シャバムに戻って来た。二人で朝食のチーズとブロッコリーのトーストを食べていると、壁の電話が鳴る。昨日のは何だったの?私が尋ねると、ちょっと調べ物してから行くね~、話はその時に~、そう言って生欠伸をされ、一方的に切られてしまった。
少女との共同生活も、三日目ともなると大分慣れた。他人には殆ど干渉しない子で、政府館の外で遊ぶ同年代の子に比べればずっと気が楽だ。それにとにかく機械の知識が豊富で、質問すれば何でも答えてくれる。
(まるで妹が出来たみたい)このままお姉ちゃんと三人暮らすのも悪くない。(でも)きっと怪我が治ったら、少女は卵と行ってしまうのだろう。感情の無い目は、気が付くと窓の外を見ている。
親友が来たのは時計が十一時を打ち、ランチは何がいい?相変わらず本を読む少女に尋ねた時だった。彼女は突然立ち上がり、一昨日より引き摺りの少なくなった脚で二階へ上がっていく。そんな事をする理由はただ一つ、来客だ。慌てて私も痕跡の毛布を工作室へ隠す。
チャイムの音と元気な声。デイシーちゃんは来るなり玄関から中を覗き込んだ。気付かれた?まさか。あの子はちゃんと上に潜んでいる。
「どうしたのデイシーちゃん?今日はちゃんと片付けてるよ」
「先生に聞いてきたの~。リサちゃん猫拾ったんだって~?見せて見せて~!」
わざわざ主治医の所に?調べ物ってそんな事だったの?
「ご、ごめんねデイシーちゃん。猫ちゃんは昨日の夜、まだ包帯も取れてないのに出て行っちゃったの。家、機械を沢山置いてて金属臭いから、多分嫌だったんだと思う」
「そう、残念だな~」
言いつつ、何故か全く気落ちした様子でない。まるで最初から猫なんていないと分かっていたかのような……考え過ぎ?
「今日ちょっと暑いね。リサちゃんの家はエアコンあっていいな~」
「工作室だけだよ。他の部屋だと汗だく」
「それでもいいよ~どうしても耐えられなかったら逃げ込めるし~」
デイシーちゃんはピンク色の舌を出し、シャツの襟をぱたぱた。
「そんなに暑い?ジュース飲む?」
「ごめんね~最近頑張り過ぎて、ちょ~っと疲労が溜まってるみたい~。じゃあ、お言葉に甘えて上がるね~」
「どうぞどうぞ」
柔らかい方のソファに親友を座らせ、キッチンの冷蔵庫を開ける。キンキンに冷えたアップルジュースを二つのグラスに注ぎ、ストローを付けた。私達だけってのも気が引ける。後であの子にも飲ませてあげよう。
「はい、持って来たよ」
「ありがと~」
余程咽喉が渇いていたみたいだ。一気に半分以上啜って、満足そうに唇を離す。
「美味し~!」
「お代わりなら遠慮無く言ってね。アイスコーヒーもあるよ」
彼女はコップをテーブルに置き、ソファに背中を凭れた。
「ねえリサちゃん、何処で猫拾ったの~?先生の話だと、確か脚を挫いてたんだよね~?」
「ああ、家の裏の楡の樹よ。乗った拍子に枝が折れたみたいで、一昨日の朝私が行った時にはもうぐったりしてた」
「猫は身軽だって言うけど、そんな事もないんだね~」
良かった。怪しんでると思ったのは、私の勘違いだったみたい。
「まだ探せば近くにいるかもね~どんな子?」
「えっと、白い子猫ちゃんだよ。賢そうな黒目をしてて、人間の言葉も分かってるみたいに頷くの」
「へ~」
「まぁ腫れも引いて歩いてたし、無理さえしなかったらあのまま治るんじゃないかな」
これ以上嘘を重ねたら勘の良い新聞記者だ、秘密に気付いてしまう。それを察知したあの子が逃げないとも限らない。まだ捻挫は治っていないけれど、いざとなったら何時でも出て行くはずだ。
「あれ、あんまり心配してないんだね~」
「だって、何処行ったか分からないし。包帯巻いたままだから、誰かが見つけたら獣医さんに連れて行ってくれるよ多分。それよりデイシーちゃん、昨日言ってた危機はどうなったの?」
そのせいで昨夜は寝付きが悪かったのだ。是非とも聞かせてもらわないと。
「ん~?ちゃんと解決したよ?ルザちゃんの事とかもあるけど~、取り敢えずは大丈夫~。少なくとも、お兄様にとっては良い結果だったと思う~」
「聖者様がどうかしたの?」
「旅に出たの、とっても遠い所……大丈夫、お兄様はもう正気だよ」
「そう、良かった……でも、もう会えないのかな?」
「多分ね~」
初めて病院で診察された時の笑顔を思い出す。温かな氣と引き換えに、私は心配ばかり返していた気がする。せめて彼の前ではもっとしっかりしていれば良かった。正直にそう言うと、デイシーちゃんは少し驚いた顔を見せた。
「?どうしたの?」
「ううん。何でも~」
私にしては前向きな台詞だったかな?
自分の分のジュースを三分の一程飲んだ後、今度はコーヒーでも淹れてこようか?空のコップを見て尋ねた。
すると何故か彼女は口元を押さえ、そろそろ止めないリサちゃん?笑いを堪えて言った。
「どう言う意味?」
「猫じゃないんでしょ拾ったの」
「え?」
夏用の薄い白のコート、その胸ポケットから花柄の手帳を取り出し、ページを捲る。
「心臓医の先生の証言では~、リサちゃんは包帯と消毒薬、ガーゼと絆創膏を貰ったんだよね~?その後、自分の頭痛用の鎮痛剤を~」
「そうよ。どこか変?」
「どうして猫ちゃん用の痛み止めを貰わず、自分の分だけ頼んだの~?う~ん、そもそも病院に来るなら、患者を抱えてきた方が早いよね~?なのにわざわざ自分で手当てするなんて」
「それは素直に謝るよ。でも本当に捻挫は軽かったの。猫ちゃんも最初気絶してて痛くなさそうだったし、獣医さんに診せる程じゃなかった」
「成程~一理あるね~」
同意しつつ、親友の目は油断ならない光を宿している。全然納得していない様子だ。
「どうして私が嘘を吐いていると思ったの?昨日も帰り際にリビング覗いてたよね?」
「奥で何か動いたのが見えたから。猫ちゃんがいるなら言ってくれれば良かったのに~」
おかしい。あの子は死角のソファの陰でずっとじっとしていたはずだ。見られるなんて有り得ない。ブラフ?
「だって昨日のデイシーちゃん、シュークリーム持って急いでたから。引き止めたら悪いなと思って」
「やっぱりあの時見えたのがそうだったんだね~」
本気か演技か、親友は両手を上にして喜ぶ。
「――子猫はもういないのに、どうして拘るの?猫じゃなかったって言うなら証拠を見せて」
出せる訳が無い。少女は怪我して以来、一歩も外に出ていないのだから。
「まず変だな~と思ったのは、やっぱり『ルイ・キャンドル』のシュークリームだね~。幾らお腹が空いてても、私の握り拳より大きなのを二つも一人で食べたとは考えにくいな~、リサちゃん少食だし。だからてっきり友達でもいるのかと思って覗いたの」
家に上げる程親しい友人が、自分以外ほぼ皆無なのを知ってて。わざとらしい。
「それだけ?まあ流石に一度で二個は無理だったから、一個は今日の朝ご飯に食べたの。流石行列店、とっても美味しかったよ」
「で~、帰り際にお家の裏へ回ったの~。他意は無いよ~。ほら、ここ通れば政府館への近道だし~」
「なら当然折れた楡の枝も見たよね?」
「うん。変だな~、と思いながら通り過ぎた」
「変?」一昨日の朝の光景を思い出してみる。昨日もう一度赴き、少女の持ち物が落ちていないかも確認した。流石に重い枝を一人で片付けるのは無理なので、それは放置したままだが。「何処が?」
「あの枝、細いけど普通に丈夫そうだったの~断面見ても特に腐ってなかったし。なのにどうして折れたんだろうって~。ここ数日、枝を折るような強風が吹いていた訳でもないのに~」
「だからそれは猫が乗って」
「子猫が乗ったぐらいで~?……もっと重い物なら折れるかもしれないけどね~」
確かに。私が覚えている限り、風であの樹の枝が折れた事は一度も無い。
「そこで今朝シャバムに戻って来るまでに色々考えて、今度は主治医の先生に話を聞きに行ったの~。シルクさんや私がいないなら、困った時は相談しに行くはずだと思って~。で~、首尾良く猫の話とリサちゃんの奇妙な様子を聞き出したって訳~」
「私が奇妙?」
「先生の話では~、リサちゃんは急いで病院に駆け込んできたらしいね~。心臓疾患があるとは思えない程元気にロビーへ飛び込んできたって~」
先生、余計な事をぺらぺらと……今度会ったら一言言っておかなきゃ。医者の守秘義務はどうしたんですか?って。
「猫ちゃんは軽傷だったんだよね~?なのに何で走ってきたの~?」
くっ……駄目、反論の言葉が見つからない。
「猫じゃなかったら、デイシーちゃんは何だと思うの?」私は開き直って逆に尋ねた。
親友はソファの上で腕を組み、成程~口止めはしてないんだ、そう独り言を呟いた。
「!!?」
「う~ん、あのねリサちゃん。私、多分その子猫ちゃんと知り合いなの~。向こうは迷惑な人間ぐらいにしか思ってないだろうけど~」
「あの女の子の事知ってるの!?」
ケタケタケタ。
「あ~あ。駄目だよ、嘘は最後まで吐き通さなきゃ。でもま、あなたも気にしてないでしょ~?」
「ええ」
「うわっ!!?」
音も無く降りてきていた少女に吃驚仰天する。
「私達の話はずっと聞いてたよね?」
「ええ。だけど何故私だと?痕跡は一切残していないはずですが?」
「人目を避けて樹の上に潜んで、救助者にここまで気を遣わせる子供なんてあなた以外そうそういません~。特にそれ」黒い卵状の物体を指差す。「身体に対して大き過ぎます~。疲れませんか~?偶には降ろしたらどうです~?」
彼女は答えず、一層抱えた両手に力を込めただけだ。
「デイシーちゃん……」
すると親友はにっこり笑い、そんなに不安そうにしなくていいよ、誰にも言わないから。
「本当?」
「大親友相手に嘘なんて言わないよ~私。怪我の具合はど~?診てあげるよ~」
「そうだね。――こっち座って。大丈夫よ、デイシーちゃんこう見えても回復魔術が得意なの」
少女は肩を竦め、成程、電撃で破壊行為に勤しむよりは建設的です、と言って私の隣に腰掛ける。促されるまま白いパンプスを脱ぎ、包帯の巻かれた足首を親友の膝の上へ置く。
しゅるしゅるしゅる……ぱさっ。
「一昨日の朝は腫れてて、夜には引いてたんだけど……どう?」
「問題無いよ~。迅速な手当てと安静にしていたのが良かったんだね~。大丈夫~あと一週間もすれば完治するよ。魔術も必要無いかな~今と同じように固定して~、三食栄養のある物を摂っていればOK~」
「良かった……」正直、自分がちゃんと応急処置出来たか不安だった。切り傷や火傷ぐらいなら何回か経験あったけれどこんな重傷、しかも赤の他人の怪我の治療なんて初めてで。
手の甲の擦り傷ももうかさぶたになっていて、絆創膏を貼らなくていいそう。
「もう降ろします」
「うん。診せてくれてありがと~」




