第9話「テーゼの象徴」
ーーー領主邸ーーー
「……お姉ちゃん、『はぐれ』ってホントにここに来るのかな……?」
夕食の席で、リンが心配げにエリシアに聞いてきた。
リンには、『はぐれ』迎撃の準備をしている事は秘密にしていた。
しかし、エリシア自身にも、実際に戦いになるかどうかはわからない。
今できる事は、すぐにでも避難できるよう準備を完了させる事、それだけだった。
「来るかもしれないし、来ないかもしれない。
とにかく、いつ来てもいいように準備だけは万全にしておく。
『はぐれ』のいる場所とここまではまだ少し距離がある。
今は、警戒地点に人をやって、動きを監視してるところだ。
そこを通過したらすぐに知らせが届く。
そしたら、リンはマーサ達と一緒に避難してくれ」
リンがピクッとした。
お姉ちゃんは……?、ホサは……?
そんな言葉が口から溢れそうになる。
その表情を見て、少し苦笑いを浮かべるエリシア。
「ハハ……、私もアルベルトも後から行くさ。
ただな……、領主が街のみんなを置いて、さっさと隠れてしまっては、『はぐれ』がいなくなって街に戻った時にカッコつかないだろ。
私は……最後まで残るさ……」
納得したように頷くリン。
あぁ、そうなんだろうな、と。
それでも、やはり溢れ出る感情は抑え難い。
ムリに貼り付けた笑顔の上をポロポロと涙が零れていった。
「……私も……残る、私も……一緒に残る……」
エリシアはスッと立ち上がってリンの隣に座った。
肩を抱き、頭を撫で、涙を拭いてやる。
「……リン、ありがとう、心配してくれて……。
でもな……、お前は避難しなきゃいけないぞ。
アルベルトも、マーサも、ゼクスも、きっとそう言う。
ゴッヅもアンナも、ベンもマギーも院長も、エヴァだってそう言うぞ。……シド……は……チョットわからんが……」
「……でも、でも……」
「大丈夫だって。別に死地に赴くわけじゃないんだから。死地から逃れるんだ。その順番が最後ってだけだよ。
皆が無事避難して、それを見届ける。それが領主の責務だ。
みんなが避難したら、私もさっさと逃げるとするさ」
「……ホサも……ゼクスじいじも……お姉ちゃんと一緒に……残るんでしょ……」
「……そうだな、ゼクスは……残るって言いそうだ。
『お嬢みたいな娘っ子ひとり残して、ワシが退くと思うか!』って一喝されるのが目に浮かぶよ」
「そうだね……きっとそう言う……」
リンも赤く腫れた目を細めて微笑んだ。
「……でも……ホサ……、ホサは……?」
アルベルトは今この場にいない。
対策本部で対応に追われている。
自分の相棒の顔を思い浮かべた時、エリシアの瞳に、僅かに別の色が浮かんだ。
淋しさ……不安……惜念……
それが何だったのか、エリシアもわからなかった。
「……アイツには先に避難してもらう。
これは決定事項だ」
「……え……?」
エリシアは、驚くリンに目を向けられなかった。
リンの目を見たら、途端に心が決壊して、自分の抑えているモノが溢れ出てしまうような気がしたからだった。
エリシアは視線を虚空に漂わせたまま、想いを馳せた。
「……アイツはこの街に必要不可欠な人材だ。
アイツさえいれば、この街は大丈夫だ。
……もしかしてな……もしかして……私がいなくなったとしても……アイツなら領主代行の職務をしっかり果たしてくれる。
これまでずっと私よりも”領主”してただろう。
アイツは……私が領主だって事なんて……もうすっかり忘れてるんじゃないか……ハハハ……」
「……お姉ちゃん……」
リンの顔を見て、慌てて頭を振った。
なにを言っているんだ、私は……。
覚悟を決めなきゃならない……?
まだそんな深刻な状況じゃないだろう……。
「……ハハハ……ちょっと大げさだったかな。
……でもさ、アイツは……、アイツには……」
リンがエリシアに抱きついた。
同時に、堪えていたエリシアの感情のタガが外れてしまった。
ふたりとも泣いた。
エリシアは声を殺し、リンは大声で。
ふたりとも長い時間、しゃくりを上げて泣いていた。
❖ ❖
「それはできません」
翌日、執務室で昨夜の話をされたアルベルトは、サラリとエリシアの決定事項を一蹴した。
「な、なぜだ!?お前がいれば、どんなに被害を受けてもテーゼは立ち直れる!
統治者と代行者を分散避難させるのは当然のリスク管理だろう!」
エリシアの驚愕混じりの反論に、アルベルトは少し上向き加減で顎を撫でた。
「ふむ……、確かに統治に関するリスク管理としては全くもって正しいご意見です。
成長なさってますね、ご立派です」
「……では……なぜ……」
意図がわからないという表情のエリシアに、柔らかく笑いかける。
「最後まで残るのは私だからですよ。
あなたは先に避難していて下さい。
それがリスク分散です」
え?、と固まるエリシア。
責任者が最後まで残るという選択は一致している。
だが、対象が違う。
「……いや!ダメだ、そんな事……!」
激しく頭を振るエリシアだが、対照的にアルベルトは依然平静だった。
「いえいえ……、あなたこそテーゼに在らねばならない。
あなたは象徴なんですよ、ここ独立都市テーゼの。
私ではその役はできません」
象徴という言葉に、エリシアは反論できなかった。
独立主権を背景に、テーゼは"自由"を標榜してきた。
興祖ソーマ・ベルベットが、周辺国の政治体制、思想、宗教観に囚われることなく打ち出したテーゼの矜持。
辣腕の官吏ーーという肩書だけでは埋められない、不可視の領域だった。
エリシアにはアルベルトの言が十分すぎるほど理解できていた。
しかしやはり忸怩たる思いは強い。
「……だが、領主がさっさと逃げるなど……」
「別にいの一番に逃げろとは言っていません。
ただ、適当なところで避難はしていただきます。
最後まで残るのは私です。
騎士団長もマーサも賛成してくれますよ」
「……だが……お前は……」
エリシアのすがるような目。
その目を避けるように、顔を少しだけ横に逸らす。
「やめて下さい、まるで死地に赴くみたいじゃないですか。違いますよ、私も逃げます……。
ただ順番が最後になるだけの話です……。
それだけ……ですよ……」
努めて楽観的に振る舞うアルベルト。
だが、実際彼の心中は必ずしも態度の通りではなかった。
死ぬつもりはさらさらない。
しかしーー
予想通りにこちらに向かってきたなら…
予想に反した速度でこちらに向かってきたなら……。
このアルベルトの予感は、ほぼ最悪の形で的中してしまう。
『はぐれ』が最終警戒地点を通過し、テーゼに向かって進んでいるとの報が届いたのは、その翌日の事だった。




