第15話「暗転」
「よし、第5射、いきます!」
射手の声とともに、再び弦が引き絞られた。
ガイイイン!
放たれた矢は『はぐれ』の右脚、膝関節を狙った。
パリンッ!
壺が砕け、灼硫液が右膝の関節にシュウシュウと音を立てて染み込んでいく。
「ギ、ギィィィィッ……!」
『はぐれ』がうめき声を上げた。
その声を聞き、アルベルトは僅かだが手応えを感じた。
(決定打にはなっていない……。
だが、ダメージは与えている!)
「6射目、発射!」
ガイイイン!
放たれた矢はブンッという音を残して、『はぐれ』の左脚に向かった。
だが、動いた脚を捉えきれず、僅かに脇を掠めて、『はぐれ』の後方で破砕した。
「チィッ!また外したか!」
2番の射手が苛立ち、ダンッとバリスタを叩いた。
これで2発目のミス。
3射して1発しか当ててない。
残り2発しかない。
その自責の念が射手に重くのしかかっていた。
「なあに!ーー深刻な顔を!ーーしてるんですかっ!」
次の矢を装填しながら、ルナがあっけらかんとした声で射手に話しかけた。
えっ?と振り向く射手。
ガリガリと弦を引き絞りながら、サラリとした口調で続ける。
「私たちは!ーーそりゃ力は!ーーう〜ん!ーーありますよ!だからココで……バリスタ引いてますっ!」
弦のセットを完了し、ふうっと息を吐く。
そして射手の頭をポンッと叩き、ビシッと『はぐれ』を指差して言った。
「でも私たちでは、アイツに当てられない。
技術がないんです。アイツに当てる技術が」
そして射手の背中を軽く押した。
「あなたにはその技術がある。
アイツの膝に見事当てたでしょ。
私にはできません。
だからあなたは、ココにいるんです」
ルナはニコッと笑いかけて射手と並び、ともに照準溝を覗き込んだ。
「あと2発。絶対外せないって思うのは当然です。
でも、見てください。
今度の的はアイツの胴体です。脚に比べてあんなにデカい。外しようがありませんよ」
射手の心からイヤな緊張感が消えた。
グッと顔を引き締め、照準を合わせる。
ちょうど1番バリスタが7射目を放ったところだった。
矢は『はぐれ』の右脚太腿付近を捉え、ウロコの変色と煙を呼んだ。
「よっし!花束は残り4つ!数はないが、ひとつひとつの大きさはコレまでの倍ほどあるわ!
ヤツの胸にキッチリ抱えさせろや!」
「了解!!」
2番が照準溝越しに『はぐれ』を睨む。
(……あと2発、頭は……ダメだ……距離がある……。
的としては小さすぎる……。
ムダにはできない……。確実に当てる……!)
照準溝と『はぐれ』、その脇腹が射線に重なった。
(そこッ!!)
ガイイイン!
ブンッ!と唸りを上げて矢が飛んだ。
「行けぇーーー!!」
パリーン!
破砕音とともに壺が砕け散り、『はぐれ』の右脇腹付近をぐっしょりと濡らす。
シュウシュウと白い煙が立ち、辺りに咆哮が響いた。
「……ガアアアアアアアアアッ!!」
これまでとは明らかに違ううめき声。
明確に痛みを堪える、そんな声だ。
「やった!効いてーーー」
その時、『はぐれ』が身を捩った。
ブンッ!
巨大な尾が地を掃くように振られ、食糧の入った木箱を1番バリスタに向けて弾き飛ばした。
「危ないっ!」
「シド!」
「シドさんっ!」
「!!」
すかさずシドがバリスタの前に立つ。
降ってくる食材をパパンと払い除けながら、食材を吐き終えて飛来する木箱を睨みつける。
木箱はバリスタの前方でバウンドし、バラバラになる寸前の状態でバリスタに襲いかかった。
グッと腰を降ろし、右足が地を蹴る。
右足に乗せた重心が踏み込む左足に乗り、そこから繰り出された右拳が、木箱を正面から迎え討った。
「ーーー!!」
バキャッ!!
唸りを上げて繰り出された右拳が木箱を砕き四散させる。
バラバラと落ちる破片を被りながら、シドがビシッと『はぐれ』を指差した。
「はいっ!」
声なき指示に応答し、1番バリスタが9射目を撃ち放った。
矢が飛ぶ。
ほぼ直線の軌跡を描き、左胸部を捉えた。
続けざまに2番バリスタが最後の一射を放った。
ガシャーンという音とともに壺が首の下ではじけた。
「ギギイイイイイイ!!」
立ちのぼる煙を纏い、『はぐれ』が苦しそうに呻く。
間違いなくダメージが蓄積している。
「クソッ、タネ切れだ!もう少しなのに!」
2番射手が手札の少なさを今更ながら嘆いた。
だが、その傍らでルナが後方を見ている。
「ルナさん、もう矢は…」
「ねえ、その後ろに置いてるヤツを1本くれません?」
ルナが指したのは通常の鉄の矢じりのついた矢だった。
団員が訝しげに返す。
「おい、こりゃヤツには効かねえって話じゃー」
「花束はないけど、それはあります。使いましょう。
団長が言ってたでしょ、やれる事はやったって明日誇れって」
そう言って矢を受け取り、弦を張ろうとハンドルに手を掛けた。
その時、『はぐれ』がグラリとよろめき、ズシンと倒れ込んだ。
「……え……?」
誰もが息を呑んだ。
あの災厄が地に伏した。
剣も槍も、あらゆる武器が全く通じないと言われた『はぐれ』が、『鉄食いの水』という、戦闘とは全く関係ない代物に敗北した?
片翼は潰され、両の脚と巨体に酸を浴び、横たわる様を見てーー
団員から歓声が上がりかけた。
「まだだ!油断するな!」
アルベルトが叫ぶ。
わかっている。
わかっているはずなのに、視界の端で確かに緩む空気があった。
無理もない。
絶対的な脅威だったはずの『はぐれ』が、目の前で無様に地に伏している。
誰だって、そこに"終わり"を見たくなる。
だがーー
「……ガ……アアアアアアアアアッ!!」
『はぐれ』の咆哮が変わった。
これまでの、痛みに悶える悲鳴ではない。
腹の底から絞り出すような、獣そのものの怒号。
両目に宿る光が、明確に変わったのをアルベルトは見た。
"何を"と侮っていた光が消え、そこにあるのは純粋な、殺意にも似た憤怒に見えた。
(……マズい)
背筋に冷たいものが走る。
痛めたはずの脚が、地面を掻いた。
崩れた膝のまま、それでも『はぐれ』は身体を持ち上げようとする。
酸に侵されたであろう脚が、軋むような音を立てた。
「馬鹿な……、まだ……!」
射手のひとりが声を漏らす。
「アイツ、まだ動く気か……!」
アルベルトは唇を噛んだ。
膝関節も、脚の筋肉も、相当痛んでいる。
胴体もだ。
灼硫液を浴びた箇所はジリジリと音を立て、熱を帯びた煙がウロコから立ち上っている。
それでも『はぐれ』は、痛みそのものを噛み潰すように、身体を起こし、ジリジリとこちらへ向かってくる。
(理屈じゃない……。あれはもう、本能の意地だ)
ふと、かつて聞いた『はぐれ』を表す言葉が脳裏をよぎる。
交渉も、改心も、後悔もない。
ただ在り、ただ壊す。
それが『はぐれ』だ。
人間の理屈で"もう動けないはず"と決めつけていい相手ではなかった。
「1番!最後の花束じゃ!」
ゼクスの声が飛ぶ。
一切の動揺を見せない、いつもの野太い号令。
「最後じゃ、確実に当てい!」
シドがハンドルを回し、弦を引く。
ガガガガガガッ!
その間も『はぐれ』はじりじりと距離を詰めてくる。
脚を引きずるように歩く、その速度は、決して速くはない。
だが、確実にこちらににじり寄る。
鈍い歩みのたびに、人間側が安全と見積もった境界が削られていく。
「む!、いかん!近い!」
その時だった。
『はぐれ』が、あの巨木のような尾を、力任せに振り上げた。
「ッ……!ダメだ!この距離は……!」
アルベルトが叫んだ声は、轟音にかき消された。
筋肉の塊りと言うべきその尾は、狙いも軌道も定まらないまま、ただ闇雲に、力の限り叩きつけられた。
ズオンッ!!
地面が抉れ、土煙が舞い上がる。
狙われたわけではない。
ただの、獣の断末魔の暴れ。
だが、それだけに避けようがなかった。
「危な……!」
誰かが叫んだ時には、既に遅かった。
尾の先端が1番バリスタを掠め、いや、掠めたなどという生易しいものではなかった。
ゴキャアッ、という耳障りな破砕音とともに、木製の架台が根元から折れ、支柱とともに宙を舞う。
射手が咄嗟に飛び退き、間一髪で下敷きを免れた。
「……!」
シドが補充担当の団員と最後の花束を身体で庇いながら、崩れ落ちるバリスタから距離を取る。
2番バリスタも、衝撃で歯車が歪んだのか、仰角調整ができなくなっている。
「狙いが、つけられません……!ハンドルが噛んでます!」
団員の悲痛な声が上がる。
「一旦距離を取れ!ヤツの間合いに入るな!!」
アルベルトが絶叫に近い声で指示を出し、全員を下がらせる。
(……灼硫液の矢は……1本……。普通の矢は……まだある……。だが……もう撃てない……!)
翼をもいだ、脚を封じた、そのはずだった。
それでも足りなかった。
この化け物は、これだけのダメージを負ってなお、意地だけで前に出てくる。
「騎士団長……!」
「わかっとる!」
ゼクスの声に、初めて焦りに似た色が混じった。
崩れ落ちたバリスタ。
軋みながらも、なお近づいてくる『はぐれ』。
団員たちの視線が一斉にゼクスへ集まった。
判断を、この場を仕切る者の言葉を、皆が待っている。
ゼクスは一瞬だけ、崩れたバリスタと『はぐれ』とを見比べた。
そして、腹の底から声を張った。
「撤退じゃあああッ!! 全員、下がれえええッ!!」




