第17話 遥か彼方の先で
「ねえ、トロイメライ。あなたはどう思うの? ねえ、疲れてるの、さっきからウトウトしてるようだけど、私の話、聞こえてるのかしら」
ぼんやりとした意識のなかで、ふいに聞こえた呼びかけに、アタシはそれまで自分の顎をささえていたであろう左手の拳の上から、顎を落とし、テーブルに顎をしこたまうち当て、「イタっ!」と一声をあげ、目が覚めた。
それまで寝ていたのかな? という意識がわずかにあり、ぼんやりと、周囲を眺めた。目の前には、困り顔でアタシを見つめる見覚えのありそうな若い女性の姿があった。だが、状況がさっぱりつかめない。そこで周囲を見回した。
場所は、アルコールと軽食を出すカフェテリアだった。大きなガラス壁を通して見える外の街は、天気もよく、とても賑やかだった。店内の時計は午後の1時10分をさしている。
「ちょっと、どうしたの?」
アタシを呼ぶ目の前の主の方を振り向いた。それなりに育ちの良さそうな若い女性が眉間に皺を寄らせてアタシを見ていた。
「休みだから街を案内してって、誘ったのアンタでしょ。それがさっきからうとうと。この店に入るのも、アタシが肩かついで入れたのよ」
あれ? 何だろう。この違和感。自分はトロイメライ、ってこの娘が呼んでたけど。アタシは誰だっけ?
女であることには違いない。肩がこらない程度に胸のふくらみがあり、目の前の彼女の瞳に映る自分の顔にも、当然見覚えはある。
アタシだ。薄化粧で、髪はプラチナブロンドでショートボブのミデアムセミロング、顔つきはアジア系とアーリア人が混じった感じ、肌は白く、きめ細かく、シミもそばかすもないきれいな素肌である。
「あなた誰だっけ、それと、アタシって誰だ?」
ふいに、今の疑問を口に出してしまった。それも無理はない。目の前の人は記憶にはあるが、ついさっきまで一緒にいた感覚も無いのだ。そもそも自分の名前が思い出せないでいた。病院のベットで目を覚ました。もしくは、事故から生還し、介抱された後であれば、そういうこともありうるだろう。
だが、ここはカフェ。アタシは知人であろう人と、さっきまで話をしていたというのだ。
「もう、何、寝ぼけてるの? 冗談でもひどいわよ。トロイメライ? いったい、どうしたの? 記憶喪失? ボケてる? ウェアラブル端末見なよ」
言われてアタシは左手首の端末に右手で触れた。生体認証でアタシを認識し、「ようこうそ、トロイメライ!」の音声と文字が空間に表示される。プロフィールの記号を選択すると、その詳細が出た。
アタシの名は、トロイメライ・コベナント・アナスツィアータ。この国では、ミドルネームがファミリーネームを示し、三番目は爵位に応じて与えられる名前だ。爵位は侯爵? 侯爵令嬢ではなく、自身が侯爵。まるで他人事のように感じる。
そして、バチスカン公国工科大学情報応用工学科の大学四年生で特待生の記述もあった。
大災害後の世界の成人年齢は15歳。大学進学年齢は15歳から、大災害前と異なり、大学へ進学する者は、国の中枢機関を将来担う一部の恵まれた才能と富を持つ者だけ。アタシは特待生で、4年前から大学に編入している。
そして、ワタシはバチスカン家の遠縁のコベナント家の長女、トロイメライ・・・、なんか思い出して来た。
「アタシは、トロイメライ・コベナント・アナスツィアータ、」
「そうよ。それがアンタの名前でしょ。しっかり、してよ。いちおう、アンタ。遠縁とは言っても、王族なんだから、・・・、アンタと居るといろいろ特権使えるしね」
「あのね、アタシは別にアンタのサービスパスポートじゃないのよ。キャメロン」
知らずのうちに、この娘の名前がふいに出た。この娘はキャメロン。キャメロン・ディアナス・シュトレーゼ。アタシの幼馴染で悪友。公国の上流貴族のご令嬢だ。5女てことで自由奔放さが高く、社交性も高く、文武両党の才女だ。
アタシより3つ年上のお姉さんだが、アタシが飛び級したことで今は同級生なのだ。
・・・・? なんだか植え付けられた記憶を棒読みしているよう感じがするのは気のせいか?
「じゃあ、落ち着いたところで、食事すませて、アンタが見たがっていたバチスカン城に行くわよ!」
「バチスカン城?」
「昔は王様が住んでいたそうだけど、今は観光客向けに一般開放されてるの。て、王族のアンタなら周知のこととは思うけど。王都には今まで行ったことないってことだったから、城マニアのアタシが、観光ガイドにないスポットを教えてあげようって思ってるのよ。
それに明日の舞踏会の下見もかねてね」
アタシは、キャメロンの話をぽかんと聞いていた。頭に入ってこないというのが正しいだろうか。
そして、唐突に、ぐーーーと腹の虫が泣いた。
世間一般的なうら若き女性なら赤面してこわばってしまうところだろうが。何故か、アタシは気にならなかった。
それどころか、襲ってくる空腹を満たそうと、目の前のパスタ料理とパン、スープを流し込むようにむさぼり、次々とお代わりを頼んでしまった。
キャメロンは驚き顔だったことは言うまでもないが、一緒に食べ始めた彼女の食事を止めるほどとは、我ながら恐れ入った。
「今日はどうしたのトロイメライ? あんなに食べて、断食でもしてた?」
身に覚えはないが、腹覚えはあるというほどに、アタシはひどく空腹だった。三日は何も食べていない感覚だ。
「ごめん、なんか無性にお腹が空いて。みっともないとこ見せちゃったわね」
キャメロンにはしっくり来ないが、とりあえず取り繕うことにした。
「いつものことだけど、さすがに今のはびっくりしたわよ。まあ、アンタ、腹筋すごいし、代謝もいいから、少々バカ食いしても太らないものね。羨ましい」
この言われ方には慣れと親しみを感じる。アタシの腹筋を知ってるとか、服脱いで見せなきゃ知られないものだもの。この娘なら、右足の付け根の黒子のことだって知っているだろう。
頭がちょっとぼんやりしただけで、目の前の友人を他人のように感じるなんて、今日のアタシは本当にどうかしてる。
そう思ったら自然と笑いがこみ上げ、アタシはケタケタと笑ってしまった。
「もう、その笑い方、やめなさいよ。はしたないわよ」と、言いながらもキャメロンも笑い出した。
笑うことでアタシの気持ちはスッキリした。この娘はキャメロン。アタシの同郷の唯一無二の親友だ。
アタシらは店を出て繁華街に入り、3キロ先の丘の上にそびえるバチスカン城を目指しながら、街を散策しはじめた。
そう、キャメロンが言うように、明日は王室主催の舞踏会が催されるのだ。今日は建国記念日。大災害を経て、再び王制国家で混沌とした人々を統率し、民主制へと変遷して、建国二百年祭の真っ最中なのだ。
観光客で街がマヒしないよう、観光客が入る場所と市民のしかも貴族がいる場所は区画が分けてある。こちらは週末の土日祝日と変わらない程度の込み具合だ。
「ねえ、舞踏会へ行くドレスはもう決まった?」
キャメロンの問いかけにアタシの記憶は反応する。ここ2週間、ドレスをあれこれ試着しては、メイド長のクレアに文句を言って困らせていたことを思い出した。
「もう決めてるわ。15歳の誕生日に父が贈ってくれたドレスを仕立て直しているの」
「半年前か。成長期なのに着れるの?」
「もうアタシは止まったんじゃないかな。158cmからもう伸びないみたい」
「そうね。あたしみたいに170cmもあると、ヒールの高さも気をつけないとアランの身長を越してしまうから気を使うわ。
貴族男性は災害前より寛容になったとは言っても、プライドは高いからね。
あなたはカールと行くのでしょう。6歳から婚約してるって、どんな感じか想像もつかないけど、あなたの場合、公国の工科大学の特待生だから、お相手の方が気を使うか。
国家の将来を担う重要な人材ですからね。今、こうして歩いていても前と、後ろに拳銃所持のボディガードがいるんだもん。私の目線では誰が誰か分からないけどさ」
「世の要人って、そんなものでしょう。100パーセント安全じゃないから、アタシ自身も軍隊格闘術身に着けているんだから。それはキャメロン。アナタも同じでしょ」
「あれ、大変なのよね。先生も厳しくて、この間、どっかの空手の世界チャンピオンとかいう大物格闘家が招待されてさ、1週間の特別訓練キャンプがあったのよ」
「え、それ初耳。アタシのところに連絡なかったよ」
「ある訳無いでしょ。あなたは国宝級の科学者なのよ。1週間もの合宿なんかに招待したりしないわよ」
「カズキとかいう人だったわ。東洋系の血が濃いけど、ロシア系も混じっている感じだったわね」
「そもそも大災害の後で、純血人種っているの? だよ。アタシも東洋系と欧州白人系の混じりだし、アンタは、アラブ系と欧州白人系でしょ。DNA調べたら見た目以上の人種が混ざってたわ」
「ごめん、人種の話をしたいのじゃなくて、教官の容姿を説明したかっただけなの。
それで、彼って、身長は190センチはあったはね。年はまだ25歳で、奥さんと娘さんがいて、副業でやってる高級和食居酒屋には、諸外国のセレブたちがお忍びで足を運ぶとか、なんかむちゃくちゃなスペックなのよね。
生徒の中にもの凄い格闘マニアがいてね。興奮しすぎて、初日にぶっ倒れていたわね。格闘腐女子の間ではアイドル的存在でもあるのですって」
それは凄い、でもなんか他人事に思えないと感じる気持ちが起きた。
「彼の経営する、その諸外国のセレブが集う高級和食居酒屋というのは、興味深だわね。この国にも居酒屋はあるけど、自国民がやってるからかしら、なんか嘘っぽい感じがするの。
アタシも行ってみたいけど、この身は国外出国がほぼ認められてないから」
「それは同情する。なんでも手に入る御身分のトロイメライ嬢も、国外旅行だけはできないからね。アタシは交代要員が5人要るから最大1か月は国外旅行できるわ。監視付きでね」
「それはさぞや羽を伸ばせるでしょうね。伸ばした手の先にグラサン引っ掛けないようにね」
「ズラかもよ」
アタシらは自分らのボディガードのたわいもない話に笑い出した。今時の護衛がグラサンやズラで身分や容姿隠しとかしてないからだ。
それは子供のころに彼女と自室で見た大災害前の連続ドラマの話しだ。要人の護衛、ボディガードと聞くと現実のものよりも、あからさまなあり得無さに爆笑して、それが妙に思い出されておかしくなったのだ。
「それで、そのカズキとかいう人の話、もう少し聞かせてよ、まさか惚れた。タイプだった?」
「おや、何、その食らいつき。恋バナ話に興味のないんじゃ無かったの」
「話すときのアンタの目が輝いていたから、ちょっと気になったのよ」
キャメロンは少しばかり頬を赤らめた。
大災害後の男女間の恋愛事情は、大災害前と異なり自由度は高くなっている。相手が既婚者であっても、契約が結ばれれば、多夫、多妻は合法なのだ。
離れて暮らす場合でも、互いの家庭を崩壊させない。互いに干渉し合わない、対象相手を不安にさせないことを守ればいいだけなのだ。
「それで、彼はね、物腰も話す言葉も、もの凄く柔らかいのだけど、真顔できつい練習課題出してくるのよ。
けど、誰ひとりとして、リタイヤさせなかったわ。ひとり、ひとり真剣につきあって、上手に導くのよね。一日のトレーニングが終わるとマッサージがあるのだけど、彼はその場も取り仕切っていて、マッサージ師を指導するのよ。彼の指導を受けたマッサージ師の施術を受け取るとすごく身がほぐれたものよ。彼は選手としても優秀なのでしょうけど、トレーナーとしても超一流みたいよ。
おかげでアタシ、かなり絞れて、かすかに腹筋が浮き出て来たわよ」
キャメロンは上着をめくって見せたかったが、アタシじゃないから彼女はめくりあげるなんてせず、お腹の脇を両手で当てて、やや威張ったポーズでアピールした。
「それは、ご苦労様ね。あなたが私のボディガードで頼もしいわ」
「それは、どういたしまして。愛しき姫を守るためであれば、この御身を鍛えるのは、姫の騎士たる我が名誉でございますう・・・・」
キャメロンは我慢できず笑い出す。アタシもケタケタと笑うと、キャメロンは、口の上に一指し指を立てて、その笑い方、やめなさいよのジェスチャーをする。
アタシは、キャメロンの真剣なのだが冗談めいて見せる態度にとても感謝した。我々の身分は、富も権力も持たぬ世間の人々にとっては羨望の眼差しの対象だが、当人たちにとっては、とても大変な身の上なのだ。
公国の貴族階級はとてつもない資産家でもあり、国の内外から命を狙われている。身内や使用人がその首謀者であることも多い。
ただ彼らの社会的奉仕は絶大なので、社会福祉は充実した国ではある。けれども、国内の貧富の差は激しく、犯罪に対する処罰も厳しい。大災害前の時代が過剰な人権主義だったことを改めなおした結果である。
凶悪犯罪の死刑制度はあり、若年層にも適用。但し、警察が現場で殺害することに関しては抑え気味。犯人がおもちゃの拳銃持って脅して、射殺なんてことは無いし、人種優位主義も行えば保護観察される。貴族といえど免れないとういうのが表向きの言い回し。
当然、既得権益が存在するが、それを公にする者はいない。調和を乱す愚か者が罰を受けているだけにすぎないのだ。
? なんだかアタシ、悪者の側のヒトみたい。
そんな他愛もない話をしながら、アタシたちはバチスカン城の正門にたどり着いた。アタシは衛兵に身分証であるウェアラブル端末を見せた。衛兵は目視で紋章を確認し、アタシの体をスキャニングし、アタシの身分を確認した。
衛兵はキャメロンにも同様のことを行った。実際、確認は10秒もかからずに結果は出てるのだけど、格式的な儀式で数分かかるのだ。
アタシたちは、衛兵の一人に「では、こちらへ」と案内される。
先にボディガードが別ルートから入って先頭に配置してる。アタシたちの後から後方のボディガードが数十秒後に入って来るのだ。アタシたちはボディガードの位置は把握できるが、彼らの性別も、正確な人数も知ることは出来ない。自分たちが彼らの保護下にあるということだけ知ることができるのだ。彼らの任務は保護対象を命を賭しても絶対に守ることが使命なのだから。
キャメロンは彼らとは違い、執事的な側近のような存在なのだ。それ以前に、幼い頃のアタシを知る唯一無二の親友なのだ。




