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026.ヘラスの門

「ついに」


 少女が嬉しそうに呟いた。

 静謐の間で。

 暗がりに侵された空間で。


「ついに、逢えるね」


 少女は今にも踊り出しそうに。

 待ち遠しいと、言わんばかりに。


「はやく来て」


 お願い、と。

 少女は待ち続ける。


†††


「では最後に第六コース、夭水学園中学校、水野悠くん」

「はい」


 五〇MFrは、出場者七名だった。

 一組に悠を含めた四人、二組にアランを含めた三人が泳ぐ。


 一組では悠以外の選手は恐怖に身体を震わせ、貧乏揺すりをしている。

 しかし悠の心は晴れ渡っていた。


 ――もうすぐ……。


「がんばれよ、水野」


 アランが肩を叩いて激励した。

 悠は力強く頷いて答える。


「それでは行って下さい」


 選手たちは一列になって歩いて行く。

 扉を越え、自分のコースの前へと移動する。

 悠はTシャツを脱ぐと籠の中に入れ、ゴーグルをつけて身体をリラックスさせた。


「五〇M自由形の出場者の紹介をします。第三コース……」


 紹介がされている最中(さなか)、悠は波打つプールの水を見ていた。

 他の選手たちはそこから発せられる瘴気に腰が引けているが、悠は違う。

 悠が見ているのは瘴気なんかではない。

 正気の向こうにうっすらと見えている、彼女の姿。


 今、出会えるそのときに、悠の胸が高鳴っていた。


「第六コース、夭水学園中学校、水野悠君、中学一年生」


 その瞬間、


「悠――ッ! 死ぬなよ! 気を張っていけ! 一瞬でも抜いたら殺されるぞ!!」


 燐の声援が耳に届いた。


(燐……)


 はじめは嫌われていた。

 水泳にかける想いを、半端なものだと。

 だけど燐は、こんなにも支えてくれて。


 わずかにこぼれ落ちる笑み。

 悠はスタート台に立ちながら、左手を軽く挙げて問題ないと返した。


「Take your marks……」


 静まり返る場内。

 ピストルが鳴り響くそのときを、待っている。


 ゆっくりとピストルが掲げられ……、


 ピッ――!


 悠は勢いよく飛び出した。

 今までの練習と同様、完璧なスタート。


「おっと、水野選手、すばらしいスタートです」


 実況の言葉が響く。

 しかし入水した悠には、もうその声は聞こえなかった。


 水に触れた瞬間悠の全身を駆け巡る、言葉には言い表せないほどの痛みと苦しみ。

 何度も何度も全身を鉋で削り取られ、トンカチで砕かれていく。

 眼球に杭を打ち付けられ、足の先から切断されていく。


 その感覚は、“海”で感じたものと同じで。

 同時に、今までよりも強く彼女を感じられる。

 それだけで、痛みなど消し飛んでいく。


 いつもよりもたしかに重い。

 まるでコールタールの中を泳いでいるかのようだ。

 しかし教えられた通り、ゆっくりと、シックスビートで進んでいく。


 進むたび、悠の視界にノイズが走る。

 ジジと波打ち、断続的に視界が白く発光する。


 前方には光の門が見える。

 元は不定形なのか、もしくは軟体なのか、端をぐにゃぐにゃと歪ませている門が。


 やがてノイズは激しさを増し、発光の間隔は頻度を増していき。


 ついに、視界は白く染まり。


 悠は、他者には決して見えぬ光に包まれた。


†††


「選択の時だ。私が選ばれるか、彼が選ばれるか」


 アランの呟きに、隣の選手が反応した。


「おや? どうかしましたか?」

「いえ、なんでもありませんよ」


 その言葉を笑って否定すると、口には出さず言葉を続ける。


(……結果は、分かっているけどね)


 どこか諦めにも似た色を浮かべながら。

 アランは試合を見つめ続ける。


†††


 気がつくと、悠はどこともしれない場所に立っていた。

 真っ黒な場所。

 夜中に閉め切った自室で、電気もつけずにカーテンを閉めているかのように。

 しかし、鳥目になったかのように、しっかりと見える。


 ……そこは、どこかの城のような場所だった。

 眼前には階段があり、この空間の中は水で満たされている。

 でも、それでも、普通に呼吸ができて。


 泳いでいたときよりも強烈に彼女の気配を感じる。

 階段の、上から。


 悠は彼女を求め、奥へ、奥へと進んでいく。

 そして辿り着いた最奥の扉を潜ると、ひとりの少女が、王座に座っていた。


 彼女だ。

 かつて見た光に包まれた姿とは違い、しっかりとその姿を見ることができるが、間違いなく彼女だ。


 黒いゴシックロリータに身を包み。

 腰まで伸びた銀髪が左右から踊っている。

 ワインレッドの大きなリボンが頭に咲き誇っている。

 血のように赤い瞳を携えた一〇歳程度と(おぼ)しき少女。


 彼女は間違いなく、探し求めていた彼女だ。


「会いたかった……」


 悠の瞳からは自然と涙が溢れ出て。


「ずっとずっと、あの日のお礼を言いたかったんだ」


 彼女は悠の存在に気づくと、顔をこちらに向けた。


「それに、僕はあの日、きみに見惚れた。一目惚れだったんだ。だから、もう一度、会いたかった……」


 彼女は……


 悠の願いを、叶えるかのように……


 ――その顔に生気を宿らせて――


 ――花が咲くように――


 ――彼女は――


 ――笑った――


†††


「なんだと……?!」


 アランの叫びが響く。

 周囲の視線が集中する。

 それも気にならない、否、気づかないほどに動揺していた。


「どうかされたのですか?」


 隣の選手の言葉など、全く耳に入らない。





「なぜだ……どうして水野を選ぶ。なぜぼくじゃない……王よ!!」





 気づいていた。

 分かっていた。

 この結末を。

 王が悠を選ぶと言うことを。


 だけどアランは叫ばずには居られなかった。

 動揺せずには居られなかった。

 ほんの一縷の望みを抱いていたから。

 悠ではなく、自分を、見てくれると。

 選んでくれると。


 それでも現実は無情に。

 アランではなく、悠が選ばれて。


《ヘラスの門》は開かれない。

 アランには。

 王は悠を選んだから。

 悠に、《ヘラスの門》を開いたから。


 アランはひとり、ここから見つめ続けることしかできなかった。


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