025.絶望
そして、翌日。
日曜日。
悠たちは私立水鏡大学附属中学校の校庭にいた。
全四校の水泳部の選手たちが、一堂に会している。
その人数は、一〇余名。
生徒たちの前では、日本水泳連盟会長の大石健二氏が話をしている。
「……そして、恒例ですが、タイム決勝として進めていきます」
タイム決勝とは、予選で泳いだ記録で順位をつけ、決勝を行わない方式である。
つまり一発勝負になる。
「あ゛あ゛っ、うう゛ん。ああ、失礼しました。……四中の水は、凶悪です。みなさん、心して掛かって下さい」
大石の言葉に、生徒たちの顔が強ばる。
高い危険を伴うこの試合で、生き残るために。
そして、スイマーとして世界を救うために。
「それではみなさんのご勇姿、楽しみにしています」
†††
一〇〇MBtは、開会式後すぐの招集だった。
悠たちは応援席の最前列に陣取っている。
と、一組目が出てきた。
ぶるぶると震えながら。
水泳において、コースが九あり、中央に行けば行くほどタイムの速い人がそのコースに着くことになる。
また組数が後になればなるほど参加する人のタイムが速い。
今回の一〇〇MBtに出場するのは一二人で、燐は二組目の三コースになる。
「Take your marks……」
ピッ――!
全者一斉にスタートした。
理想的なフォームで入水する。
しかし、その瞬間、
「うあーっ!」
「いやだぁー!」
「あ゛あ゛――ッ!」
そのすべての選手が泳ぐことなどできず、頭を抱えて叫びだした。
「こ、これは……」
悠の疑問に対し、
「これが四中の、世界で二番目に《聖別》の弱い水の恐ろしさよ」
紀の声は低く。
「死人が出てもおかしくない水よ。今までは運良く死者は出なかったけれど、これからもそうだとは限らない」
「そんな」
「でも、良い経験になるんだ。頂点に立ったときに体験することを、今から経験することは」
アランがそう言った。
紀も同意する。
「ええ、そうよ。それにスイマーを目指すなら、今後これに近い水に触れることが出てくるわ。最終的には、これよりも強いオリンピックの水にも。なら、ここで一度経験して。無理だと判断したなら、スイマーをやめた方が良い。人生は長い、だからこそ水泳に人生を捧げるのは、勇敢ではあるがリスクが高いの」
たしかにそうだ。
もしも卒業後も水泳を続けて、途中で心折れれば。
それから一般の会社に勤めようとしても、あまりにも環境が違いすぎて馴染めない。
下手をすれば、会社を辞めることになる。
そうすれば、日々の糧を得ることすらできなくてのたれ死ぬ。
実際にそのような末路のスイマーは数多い。
それに、あまりの恐怖に精神崩壊したり植物状態になるスイマーも多い。
ならば、ここで見極めるという紀やアランの言葉は、たしかに正論で。
と、そのとき、第二組が出場してきた。
その全員が、震えている。
燐も例外ではない。
何かにせかされるかのように。
全員は足早にスタート台に立つ。
「Take your marks……」
ピッ――!
スタートは、遅れていた。
恐怖心からだろうか。
体勢も乱れている。
うまくくの字にならず、腹から着水している。
その瞬間に響き渡る、絶叫。
泳げているのは燐と、四コースを泳ぐ黄緑選手のみ。
その二人にしたって、常の泳ぎではない。
まるで鉛でも呑み込んだかのように重い。
速い選手とはみな、上半身が水面から完全に浮き上がっている。
水をうまく捉えられるから推進力が上がり、身体が自然に浮かんでいるのだ。
しかし今、二人の身体は水面下に沈んでしまっている。
豪快と言うより、重くつらそうなイメージを受ける。
なんとか一〇〇Mを泳ぎ終わったタイムは、黄緑選手は一分九秒八九、燐が一分一〇秒〇二。
遅すぎるくらいだが、この状況では速いと見るべきか。
二人は足を引きずるようにして戻っていく。
そんな二人に、惜しみない拍手が送られた。
†††
一〇分ほどすると、燐が戻ってきた。
息は荒く、未だ震えが収まっていない。
「棄権した方が良い」
燐は呟いた。
「あれは、生半可なもんじゃない。レース中に一〇〇回は死んだ。どれだけして集中しても、水が身体を引きづり込もうとしてくる。抵抗しても無駄なんだ」
「そんなに……」
燐は呟く悠の肩を掴んで言う。
「お前はそろそろ招集だろ? 棄権しろ。あれは危険すぎる。ジュニアオリンピックとは比較にならないくらい恐ろしい。実際に死ぬのもおかしくは決してないぞ」
たしかに危険だろう。
見ているだけでそのすさまじさが伝わってきた。
でも。
――《聖別》されていないのならば。
――彼女と直接会えるかもしれない。
……だから。
「いや、出る」
「馬鹿なことを!」
燐は思いとどまらせようと、掴んでいる肩に力を込める。
しかし悠の決心は揺るがない。
「オリンピックに出場してやりたいと思っていたことが、今ここで実現できるかもしれない……」
そう言い残し、招集所へと向かっていった。




