024.慰霊
アランと燐が帰っても、悠はまだプールにいた。
冷めやまぬ興奮に、もう少し彼女を感じていたいと。
仰向けで、水にぷかぷかと揺られながら、目を閉じている。
高い壁を越えることができた。
そして明日には、運命の四中対抗戦に出場することができる。
この幸運に、無情の感謝を込めて。
「水野くん」
そんな悠に、声を掛けるものが居た。
「先生」
「まずは、おめでとう、と言わせてもらうわ」
「……ありがとうございます」
「明日は四中。しっかりと休んで、英気を養っておきなさい」
「はい」
「四中の水は、オリンピックの次に《聖別》が弱いのよ。他の国際大会のものより、ずっとね。だから、頑張りなさい」
紀の顔は、優しげで。
「先生……」
「どうしたの?」
「……ありがとうございます」
その言葉に、一瞬。
紀はきょとんとして。
それから笑顔で、
「……ええ」
顔を隠すかのように反転し。
数歩歩いて、立ち止まり。
「……この前言ったこと、訂正するわ。あなたにはたしかに才能がない。でも、オリンピックで泳ぐことは必ずできる。期待してるわ」
そう言って、紀は足早に去って行って。
悠は笑顔でたゆたい続ける。
数分ほどそうしていると、目を開けて立ち上がった。
そして帰宅の途に就く。
明日のために。
……夢の、ために。
†††
紀は学園から出た後、家には帰らず電車に乗っていた。
どうしても、話したいことが。
伝えたいことがあったから。
隣駅で降りて、タクシーに乗って。
着いたのは廃墟。
幼き頃、多くの少年少女とオリンピックを目指して日々練習に取り組んでいた、紀が造られた場所。
今は拠点が他に移ったため、こうして廃墟になっているけれど。
ここで死んだ仲間たちは、今もここで安らかに眠っている。
紀はゆっくりと歩みを進める。
そして大きな木の下で立ち止まり、右手に持った花束を置く。
それから座り込むと、両手を合わせて。
「みんな、久しぶり」
紀に答えるかのように、風が吹いた。
この木の下には死んだ仲間たちの骸が埋まっている。
墓など作られず、ここに掘られた穴に捨てられていたのだ。
だから、この木は。
彼らの墓であり。
「今日は伝えたいことがあったの」
紀は目を閉じて呟く。
過去に想いを馳せているかのように。
「私たちは、私は――才能に固執せず、水泳をしても良いのかも知れない……」
紀はずっと才能に固執してきた。
昔から、紀は。
紀たちは、世界を救うために練習を続けていた。
しかしあまりにも強い“海”の呪いに、仲間たちはひとり、またひとりと命を落としていって。
そんな仲間たちの骸を見下ろしながら、コーチや研究者たちは言い放った。
何度も。
何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。何度も。
『役立たずめ。才能無きものに、資格はない』
『せめて何かひとつでも今後のために残せば良いのに』
『生まれるべきではなかったんだ、こんな役立たずどもは』
……それは、呪いだった。
一片の哀れみすら持ち得ず。
まるで壊れたおもちゃを投げ捨てる幼子のように。
……才能がすべてだった。
ここで生き残るには。
だから、紀は。
紀たちは。
才能に執着して。
そんな中、オリンピックを経て自分の才能に限界を感じた紀は、選手をやめて。
本当ならそこで死ぬべきだった。
他の仲間たちのように。
でも紀は、死ぬのが怖くて。
ならば、せめて後進のものたちを育てようと。
それが、自分の役目だと。
自分が生きていても良い証だと、信じて。
でも。
才能がない悠が、不可能なはずの試練をくぐり抜けたのを見て。
ここで冒された呪いが、解かれていくのを感じて。
「私は、生きていても良いのかも知れない……」
――才能が尽きた私だけど。
――これからも、生きることが……。
静かに涙を流す、紀を。
ひび割れた大木は、優しく見守っていた。




