XXX.断章Ⅳ-Ⅴ
アランにとって――
……アランにとって、王はすべてだ。
だれよりも愛しい人。
だれよりも敬うべき人。
だれよりも救うべき人。
そんなひとが、あの日、悲しんだ。
泣いてしまった。
その権能で、世界が滅びたせいで。
責任は王へ決して帰結しない。
水泳を行わなかったかの国がすべての原因だ。
しかしあの愛おしい王は、だれよりも優しい王は、自分を責め続ける。
自分のせいで、と。
この権能のせいで、と。
ごめんなさい、と。
――なぜだ。
なぜ王はこれほどまで悲しまなければならない。
いったい王はなにをしたというのだ。
今も祈られ続ける天の神すら、王へすべてを押し付けて。
何もしていないくせに。
王だけが、こんなに苦しまなければならない。
それは、なぜだ。
「……水泳だ」
アランは耐え続けた。
いま、ここを出るわけにはいかない。
傷ついた王のそばで、王の身を、王の心を守らなければならない。
そう思って。
だが、幾星霜の時が流れて。
ようやく、多少の傷が癒えて。
そうした中、ふたをした激情が、溢れて。
「王のために……あの愛おしい御方をお守りするために、水泳をするしかない……もう二度と、あのような悲劇を起こさせないために」
そう。水泳だ。
アランが水泳を行うことで、神の封印を張りなおす。
そうすることで、あのときのように王の権能が暴走することを防ぐ。
これしかない。
王が傷つかないように。
もう、王が泣くことがないように。
「やめて……」
そんなアランを引き留める声が響いた。
幼馴染の少女だった。
年齢を重ねても、幼さが抜けぬ少女だった。
「やめて、アラン。ずっとここにいてよ」
涙を流しながら懇願する少女。
しかしアランは止まることはできない。
「……もう、無理なんだ……あの御方を、守るためには……地上で水泳をするしかないんだ」
「それはアランがやらなければならないことなの? 他の人に任せてはだめなの?」
「だれがやるというんだ!」
アランはこの高ぶりを押さえることができなかった。
唾を飛ばしながら、少女に言い募る。
「いったいだれがやるというんだ! あのときだって、やらなかったせいで王が傷ついた! もう任せられない! 任せられないだろう! ……なら、私がやるしか、ないじゃないか……」
「わた、しは……わたしは……」
「もう止められない……あの御方のそばでお守りするのは、任せたよ……」
アランは少女の方をやさしくたたいた。
バトンを渡すかのように。
自分の役目は終わったと言いたげに。
そんなアランへ、少女は。
「あ、ああ……あああ……あああああああっ!」
悲しみに目が見開かれたまま。
涙を流しながら。
悲しみの叫びをあげながら。
アランの胸元を鷲掴んで。
「お願い、行かないで……あなたが好きなの! あなたがいないと耐えられない!」
アランへ贈られる愛。
それは、ひどく心に響いて。
だけど、それにこたえることはできない。
今はまだ。
「すまない……」
あふれる想いにふたをするかのように。
アランはそっと目蓋を閉じた。
「すまない……私は王を愛している……王がもう悲しまないように、そして、なにより……この道程の果てに、王が笑顔を、花が咲くような笑顔を向けてくれるように……王が、私を愛してくれるように……私は、行かなければならない」
「ああっ……」
どれだけ懇願しても。
どれだけ泣き叫んでも。
アランを止めることはできない。
その事実に、少女の、アランをつかむ手が、緩んだ。
「ありがとう……きみの気持ちは、嬉しかった……」
「馬鹿……本当に馬鹿よ、あなた……」
アランは苦笑することしかできない。
何を言っても、彼女を傷つけることになってしまうから。
「私以外の《深きものども》たちは、あなたを赦さないわ……ここから出ていく、あなたのことを……」
知っている。
アランも《深きものども》の一員なのだから。
今まで共に過ごしてきた、仲間のことなのだから。
《深きものども》にとって、ここで王をお守りすることがすべてで、ここから出ていくことなんて決して赦されない大罪だとはわかっている。
だけど。
「覚悟の上だ」
「馬鹿……」
少女は涙をぬぐう。
そして一発、力を込めて、アランを叩いて。
「私が、なんとか抑えておくから……《深きものども》たちを……だから、頑張ってきなさい」
「ありがとう……」
そして、本当にすまない、と。
声に出さず、アランはつぶやいた。
「王には、何も伝えていかないの?」
「……ああ。きみから伝えておいてくれないか」
「わかったわ。……本当に、意地っ張りな男ね」
「すまない……」
「もうすまないはいいのよ」
もう一度、アランを叩いて。
「最後に見送りだけでもさせて」
「ああ」
アランが首肯したのを見て。
少女は、門を開く。
ここと地上をつなぐ、《ヘラスの門》を。
「行ってらっしゃい、アラン」
「ああ……行ってくる」
振り向かず、右手を上げることで返した。
そんなアランに、少女は背後から。
「アラン!」
「なん……」
振り向いたアランに、少女は飛びついて。
そしてアランを抱きしめて、その頬にキスをした。
「……ずっとずっと、愛しているからね。今までも、そしてこれからも」
そう言って、アランから離れると。
恥ずかしそうに、苦笑しながら。
少女はアランへ小さく手を振った。
「……」
アランはまだ彼女のぬくもりが残る、頬に手を当てて。
小さく苦笑すると、再度右手を挙げて。
光に、包まれながら。
門をくぐっていった。




