XXX.断章Ⅳ-Ⅲ
「それで、どうだったかしら」
王によって開かれた、《ヘラスの門》を潜り抜けると。
そう王は問うた。
アランは満天の笑顔で答える。
「楽しかったです! 本当に、見るものすべてが美しくて、きれいで、あたたかくて……」
「見てください、王よ! このリボン、アランに買ってもらったんですよ! ずっとずっと大切にします!」
「そう……よかったわ……」
本当にうれしそうに答えるアランと少女に。
王は眩しいものを見るかのように、目を細めて。
そう答えた。
「本当にありがとうございました。本当に本当に、感謝しています」
アランは心から、跪いてそう答えた。
†††
アランにとって、王はどんな存在か――
《深きものども》たちにとっては、仕えるべき主である。
神のような存在である。
だけど、正直なところ、アランにとってはそんな認識はなかった。
自分をこんなところに閉じ込めている原因、という見方しかできていなかった。
もちろん、表面上はほかの《深きものども》たちと同様、かしずいて見せてはいた。
けれど、真に敬ってはいなかった。
だけど――
あの日からは変わった。
あの日、王に《ヘラスの門》を開いていただいてから。
その弱った御力で、わざわざアランたちのために、《ヘラスの門》を開いていただいてから。
あの美しい世界へ、連れて行っていただいてから。
王はお優しい――
そんな王へ、たしかな親しさと信頼を感じて。
それからは、アランは王を横目で見つめることが多くなった。
ただひとりしかいない王座。
冷たい牢獄。
そこで、王はひとり、座っている。
その目がなにかを映すことはない。
ただただ、宙を見ているだけ。
その瞳で、アランにすら視認することのできない、極小の《ヘラスの門》を介して、外の世界を眺め続けているだけ。
きっと……
そう、きっと、王も同じなんだろう。
あのときの、アランのように。
日の光も届かぬ海の底に、封じられて。
しかしアランとは違って、《ヘラスの門》を通って外へ行くこともできず。
一〇〇億の夜を、ただひとり……。
だから。
ずっとここにいようと。
王の御側で、王のために。
そうアランは思って。
「王よ」
その言葉に、王はアランを見た。
先ほどまでの光のない瞳ではない。
その目は、しっかりとアランをとらえていた。
吸い込まれそうなほど赤く大きな瞳。
その瞳に、自分が映っている幸運に、幸いに、胸の内に温かいものがあふれるのを感じながら。
「王はおひとりではありません。ぼくがいます。そして、あいつも」
そう。王はひとりではない。
アランがいる。
少女もいる。
ずっと、そばにいる。
「そう……そうね」
寂しげな、笑みだった。
このまま消えてしまうのではないかと思ってしまうような。
いったい王は何をそんなに悲しんでいるのだろう。
ひとり、ということではない。
それであれば、先のアランの言葉に、こんな表情を浮かべるのは自然ではない。
「王よ。そんなにもご自身の内で抱えないでください。王には、笑顔でいてほしい」
泣きたいほどに切なるアランの懇願に、王も泣きたいほど弱弱しい声で返す。
「あたしは……」
言葉を詰まらせる王。
アランはただただ王を見つめ、続きを待つ。
目蓋を閉じて、そして開いて。
もう一度、アランを見つめながら。
王は続ける。
「あたしの、権能は……アランも知っているでしょう?」
「はい……」
王の権能。
……"恐怖"。
この城を満たす"海"の水は、常に王に触れていて。
この水を介して、"海"に触れたすべての心持つ生き物を発狂させ、死に至らしめる。
「あたしの権能によって、人々が耐えられぬ恐怖を抱かせてしまっている……それが、とても悲しいの」
「しかし、それは仕方のないことで……」
「ええ。仕方のないこと。でも、仕方ない、で終わらせたくないの」
そう言って。
王は、また、宙を見つめる。
己が権能を、それにより苦しめられている人々を、憂い続ける。
(……なにか、王をお助けする方法はないのか……)
ただただ王の御側にたたずむしかできないことに、歯がゆさを感じながら。
アランは悩み続ける。
†††
それは、突然のことだった。
先ほどまでつまらなそうに王座に腰掛けていた王が。
「えっ……」
そんな、戸惑いの声をあげて。
「王?」
アランの言葉に反応することもなく。
王はその瞳で、なにかを見つめ続ける。
地上を、その中の一点を見つめ続ける。
やがて、その無貌は。
戸惑いから、眩しいものを見たかのような色を宿して。
そして、目を、細めて……
嬉しそうに――
――微笑んだ。
王はなにも語らない。
なにがあったのか。
なにを思ったのか。
なにを感じたのか。
なにを得たのか。
その事実は、王の胸の内にしまい込まれて。
アランには知ることはできない。
ただ、こんなにも嬉しそうな王を見るのは初めてで。
「よかったですね、王よ……」




