↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
23/41

XXX.断章Ⅳ-Ⅱ

「すごい……すごいよ……ほら、見てみなよ! あの空!」


 アランは指さしながら言った。

 青空。

 かの地では決して見ることができない、憧れていたもの。

 美しいもの。


「きれい……」


 ぽつり、と。

 少女は言った。

 惚けるような声で。

 抜けるような青空。

 王の間に描かれたものよりも、ずっと美しい。


「あの山も、あの街並みも! やっぱりすごい……ここなんだ、ぼくが安らかでいられる場所は」


 あの終わってしまった世界とは違う。

 あの暗がりとは。

 世界はこんなにも色鮮やかで。

 生命が芽吹いている。


「見て回ろう! いろんな場所を。この世界の果てまで」

「果てまでは言いすぎだよ」


 少女は苦笑した。

 アランは恥ずかしげに頬を掻いて。


「たしかにね……でも、せっかくあの御方から頂いた機会なんだ。いろんな所へ行こう」

「うん。でも……地上ではお金が必要なんでしょう? 移動するのにも、何をするのにも。私たち、持ってないよ?」

「あ……どうしよう」


 そんな、途方に暮れているアランたちへ。

 声をかけるものがいた。


「《C》の眷属の方々。あの御方の命に従い、ただいま馳せ参じました」


 それは、青年だった。

 歳は二〇後半であろうか。

 鋼のような声だった。


わたくしは当代の四条家党首、秋貞と申します。先ほどあの御方から、皆様が来訪される旨伺いましたので、わたくしがお出迎えにあがりました」


 秋貞は膝をついて礼をとった。


「ご希望の場所へご案内いたします。さあ、どうぞこちらへ」


 秋貞へ先導されて。

 リムジンに通された。

 アランと少女が隣り合って座って。

 アランの体面に座った秋貞が、アランへ問いかけた。


「それでは、まずどちらへ向かわれますか?」

「そうですね……」


 街もいい。

 海も見てみたい。

 山頂から景色も見てみたい。

 しかし、時間は有限だ。

 行くことができるところで絞り込むと、どこだろう。

 そんなことを、秋貞へ伝えると。


「なるほど。……それでは、まず山頂へ向かい、その後街で食事、ショッピング、最後に夜空を眺める流れでいかがでしょうか」

「それでお願いします。……いいよね?」

「ええ。わたしもそれでいいわ」

「かしこまりました。それでは山へ向かいます」


†††


 静かな印象の場所だった。

 山の中。

 山頂から見る景色。

 風に揺れる木々のざわめき。

 小鳥や小動物たちの鳴き声。

 それらがバックミュージックとなって、静かに、世界が見下ろされる。


「これが、世界……」


 深い緑の香り。

 胸いっぱいに吸い込むと、かすかな苦みを伴って。

 

「眩しいね」


 彼女のつぶやきに、アランは空を見上げた。

 下で見た時よりも、ずっとずっと、太陽が近くて。

 光に痛む眼球を守るかのように、手で遮って。


「うん……こんなにも、あたたかい」


 生命の温かさを感じる。

 海の底では決して感じることのできないもの。

 

「あれ……どうして……」


 気づかないうちに。

 アランの頬を涙が伝っていて。


 抑えることができなかった。


†††


 川沿いの住宅地――

 少し汗ばむような陽気に、水の香りを含んだ風が心地よい。

 すっと身体の熱が冷やされる。


「昼食の場所はあちらでございます。この坂をのぼった先に。レストランにしようかと思いましたが、家庭的な食事をご体験されるのがいいかと思い、こじんまりとした温かみのある食堂にさせていただきました」


 秋貞の言葉に、アランはまだ見ぬ食事に待ち遠しさを隠せなかった。

 あの海の底では、食事なんてものは存在しなくて。

 アランたち《深きものどもディープ・ワン》には、食事なんて本来は不要だけれども。

 だからこそ、地上でしか体験できないそれが、待ち遠しくて。


「……うん?」


 首をかしげた。

 見間違いかもしれない。

 しかし、もう一度見直してもやはりそうだ。


 アランたちの前を歩む老婆が、気付かずに財布を落としていた。


「おばあさん」


 そう声をかけて、アランは財布を拾った。

 アランの問いかけに、老婆は振り向く。


「どうかしたのかい?」

「これ落としましたよ」

「あら、あらあら、ありがとうよお」


 老婆は嬉しそうに微笑んで、アランの頭を撫でた。

 そして財布を開くと、千円札を一枚取り出して、アランに差し出した。


「これ、少ないけれどお礼よ」

「いえ、そんな」

「まあまあ」


 一瞬少女を見て、老婆はいたずらな笑みをアランに向けた。


「これで彼女に何か買ってあげなさい」


 そうして、差し出した千円札をアランに握らせると、老婆は去っていった。


†††


 ぐつぐつと鍋を煮込む音がしている。

 割烹着を着た女性が、鉄製の鍋をお玉でかき回している。鼻歌を歌いながら。

 立ち上る暖かな湯気に交じって、いい匂いが香る。


 家庭的な光景だった。

 これがレストランであったなら、こんな光景を見ることは叶わない。

 ここが食堂だから、ここがこんなにもこじんまりとしているから、見れている。


「もうすぐできますからね」


 女性はそう言った。

 朗らかな声だった。

 にこやかな表情だった。


 少女はそんな彼女をじっと見つめている。

 上品に手のひらを膝の上にそろえて。

 背筋を伸ばしながら。

 時には幼く、時には母のように、時には姉のような雰囲気を見せる少女が。

 その根底には、やはりこの品の良さが、行儀のよさが、隠されていることに今更ながら気づかされて。


「ねえ」


 アランは少女に声をかけた。

 一瞬見とれてしまっていたことを、隠すかのように。


「ねえ」

「どうしたの、アラン」

「いや……」


 問われ、何を返していいのかわからず戸惑った。

 そんなアランの胸中をどこまで察しているのか、少女はかすかに微笑んで。


「おかしいね」


 その笑みを直視することができなくて、恥ずかしげにそっぽを向いた。


 そんなアランたちを、眩しいものを見るかのように女性は目を細めて。

 それから、手際よく皿を並べて。

 料理を盛り付けて。

 そしてアランたちのテーブルに、それらを置いて。


「お待たせしました」


 出されたものは、本格的な料理ではなかった。

 だけど、それは家庭的で。

 あたたかみを感じるものだった。


「いただきます」


 手を合わせて、そう祈りをささげて。

 口に含まれた料理は、心をほっとさせる味だった。


†††


 駅前の大型デパート。

 八階建てのそこ、二階、紳士服売り場にて。

 少女は服を手に持って、アランの身体に着けて。


「あはははっ、これ似合うんじゃない?」


 涙を流しながら笑った少女に、アランはジト目で返す。


「なんだよこれ」

「店員さんに聞いたんだけど、今人気のキャラクターなんだって」

「絶対に似合ってないだろ」

「そんなことないわよ。ほら」


 アランの手を引いて、少女は鏡の前へ促す。

 そして、アランにその姿を見せた。


「いやいやいや」


 食パンを模したキャラクターが描かれたTシャツ。

 年齢的に考えれば、それを着ていることはおかしくはないけれど。

 アランにとって、それは羞恥心をあおるもので。


「いいじゃない、これで。これ買いましょう」

「絶対に嫌だ」

「でも、じゃあ他に何を買うのよ」

「なに、買うことは前提なの? 今のままでもいいじゃん」

「駄目よ。駄目」


 まずい。このままでは、こんな意味不明な服を買わされてしまう。

 焦りながら周囲を見渡すと、黒無地の長袖が目に入った。


「こ、これ! これにするよ」

「えー、これ? なんの面白みもないじゃない」

「いいんだよ、これで。さあ、もうぼくの分はいいだろ。次はお前の分を買いに行こう」

「はーい」


†††


「これなんていいんじゃないかな」


 今少女が来ている、真っ黒なワンピース。

 それとは対照的な、真っ白なワンピース。

 フリルが付いた、少女的なもの。

 それを少女の身体に着けて、アランは言った。


「うーん」

「あ、これもいいな。ちょっとつけてみようか」


 露出の少ない、落ち着いた服装だった。

 でも、少女は悩む。

 せっかくアランが選んでくれているのではあるが。


「こっちもいいなあ」


 次にアランが選んだのは、大胆に胸元が開いたデザインのものだった。

 年齢的には、少し早すぎる装いではなかろうか。


「せっかくだけど、わたしはあれにしようかな」


 少女が指さしたものは、今の装いと変わらない、シンプルな黒のワンピースで。


「え、これにするの?」

「ええ。この色やデザイン、気に入ってるの」

「そうなの?」

「ええ。というか、覚えてないの?」

「え?」


 何のことだろうか。

 アランは首をかしげた。

 そんなアランに、少女ははあとため息をついて。


「あなたが言ったんじゃない。昔、この服装を見て、似合ってるって」

「あ……」


 たしかに言った。

 もともと、今着ているアランたちの服は、《深きものどもディープ・ワン》のひとりが作ったもので。

 少女の分が新しく作られて、それを着た少女へ、たしかにそう言った。


「だから、これがいいの」

「そっか……うん、そっか」


 自然と、アランの顔に笑みが浮かんだ。


「じゃあ、服はそれでいいか。あとは何か買う?」

「そうねえ……」


 少し歩きながら、周囲を見る。

 服だけでなく、色々な装飾品も置かれていた。


「これとかどうだろう」


 ネックレスもあったけれど、今の装いには、この黒のチョーカーがあっていると思う。

 それを手にとって、少女へ手渡した。


「うーん、……いいかも」


 黒と黒で、ちょっとくどいところはあるけれど、空いた首元にぴったりとはまっている気がする。

 それをつけた少女は、少し大人びて見えて、アランは知らず胸の鼓動を高鳴らせていた。


「大人っぽくて、すごく似合うよ」

「ありがとう。ほかにはどういうのがあるのかな……あっ……」


 少女はかがんで、それを手に取った。

 真っ白なリボン。

 頭に持って行って、鏡で確認して。


「……」


 似合っているとアランは思った。

 少女の持つ天真爛漫さを際立たせていると思った。

 けれど、少し子供っぽいと思ったのか、少女は数舜考え込んで、頭を振って元の場所に戻した。


「さあ、買い物はこれで終わり! 行きましょう」


 元気よく反転して、少女は走り出した。

 それについていかず、アランは少女の置いたリボンに目をやった。

 値段は、税込み980円。

 先ほど、老婆からもらったお金で買える金額で。


「……そうだな」


 それを手にとって、アランは歩き出した。


†††


 買い物が終わって。

 少し休憩を、ということで公園のベンチに座りながら。


「ねえ」

「どうしたの?」


 少女は首をかしげた。

 アランは頬を赤く染めながら、ポケットから包装されたものを取り出した。


「これ、あげるよ。プレゼント」

「えっ?」


 少女は驚きに目を見開いて。

 それから花が咲くような笑みを見せた。


「ありがとう。見てみていい?」

「うん」


 紙包装の中から出てきたのは、先ほど買った白いリボン。

 えっ、と少女が息をのむ音が聞こえた。


「さっき、それを見てただろう? すごく似合ってたからさ。おばあさんにもらったお金で買える金額だったし」

「……ありがとう……つけてもらってもいい?」

「うん」


 アランは少女の髪をとって。

 右耳の上で、尻尾のようにリボンで縛った。


「やっぱり似合ってる」

「……ずっと……ずっと大切にするからね」


 少女は涙を浮かべながら。

 笑顔で、そういった。

 その姿はとても愛らしくて。


「……ああ」


 恥ずかしさをごまかすように。

 そっぽを向いて、アランは答えた。


†††


 そうしているうちに、夜になった。

 満天の星が夜空に輝いている。

 ガラスを巻いたかのように、美しい燐光。


「もう、時間だね……」


 少女はつぶやいた。

 そうだね、とアランは答えた。

 じっとアランを少女は見つめている。


「ちゃんと、帰るよね」


 少女は心配していたのだ。

 ここへ来る前、アランに問いかけた時と同じく。

 たしかにここは美しい世界だった。

 アランだけではない、自分も素晴らしい時間を過ごせたから。

 とすると、あんな暗がりへ、果たしてアランは戻るのだろうかと。

 このままここに残ってしまうのではないかと。


「……戻るよ」


 寂しげな声だった。

 だけどそれは決して悲しげなものではなかった。


「アラン……」

「たしかに、この世界は素晴らしいけれど……君の帰る場所だしね、あそこは。それに……」

「それに?」


 少女は首をかしげた。

 アランは目をつぶって、何かを考えこむかのように、言葉が途切れて。


「……それに、王が待っているしね」


 そうして、ふたりは海の底へ帰っていった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。