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XXX.断章Ⅳ-Ⅰ

 それはアランの物語。

 誰にも語られぬことのない物語。

 誰も知らない物語。

 光すら届かぬ深海で、刻まれた物語――


†††


 八年前。

 アランは光差さぬ監獄にいた。

 本当の牢屋ではない。

 だけど、隔離されているという意味では、監獄に違いはない。


「もう嫌だ!」


 アランは叫んだ。

 周囲の《深きものどもディープ・ワン》の咎める視線が集まるが、それに委縮することなく。


「なんでぼくたちはずっとこんなところにいなきゃいけないんだよ! 何もしていないのに! 何も悪いことなんてしていないのに!」


 そう。

 本来であれば、ここ・・に封じられているのはあの御方・・・・だけなのだ。

 だからこそ、アランを含め、《深きものどもディープ・ワン》たちも地上へ出ることができるのだ。

 だけど。


「それが我らの役目だからだ」

「あの御方の傍らにたたずみ」

「あの御方の命を聞く」

「それが我らに課されし役目」

「故に、ここから抜け出すことは赦さぬ」


深きものどもディープ・ワン》たちは答えた。

 そう、それこそが、アランがここに閉じ込められている理由で。

 だけどそんなこと、アランには関係がない。

 関係がないのだ。


「嫌だ……もう、嫌だ……ここは、つらい……」


 泣きながら崩れ落ちたアランに、それでも《深きものどもディープ・ワン》たちは言葉を休めずさらに言いつのろうと一歩近づいた。

 しかし、追及の手が及ぶことはなかった。

 なぜならば。


「アラン……」


 少女が先に声をかけたからだ。


「アラン、話を聞くから。あたしが話を聞くから、あっちで休みましょう」


 それは、黒い髪を肩ほどで切りそろえた少女であった。

 それは、その髪のように黒い黒いワンピースを身に纏った少女であった。

 それは、アランの幼馴染であった。


 少女は膝をついて涙を流しているアランに右手を差し出した。


「……っ」


 アランは泣きながらもひとつ頷くと、その手を取って。

 少女はアランをぐいと引っ張り立ち上がらせると、《深きものどもディープ・ワン》たちに頭を下げて。

 アランを連れて、走り出した。


†††


 階段を駆け上がって。

 通路を走り抜けて。

 荒い息を吐きながら、立ち止まって。


「ぼくが悪いのかよ……」


 乱暴に涙をぬぐいながら。

 アランはつぶやいた。


「ごめん、ね」


 少女は顔をうつむけて。

 ぽつり、と。

 そうつぶやいた。


「何が」

「わたしが《ヘラスの門》を開ければ、アランを地上へ連れていくことができたのに」

「いいよ別に。ぼくたちにはまだ開けないんだから」

「それでも、そんなにここを出たいのなら……」

「もう、いいんだ……」


 寂しげに、アランは言った。

 諦めてしまったかのように。

 初めから無理なことだったんだと言いたげに。


「所詮、ぼくたちはここで生まれて、ここで死んでいく運命さだめなんだよ。外の世界を見ることなく、ここで朽ち果てるんだ」

「そんな……そんなことないよ」

「そんなことあるよ!」


 アランは少女につかみかかった。

 少女はたたらを踏む。


「どうせお前はぼくとは違う! ぼくだけがおかしいんだ! みんなこの世界で満足してる。ぼくだけなんだ、外に出たがっているのは。空を見たいと思うのは」


 今度は、先ほど逃げた時とは違って。

 アランが、少女の手を引いて。


「あの絵を見てからなんだよ。外の世界を見たいと思い始めたのは!」


 そうして、アランが少女を連れた先は。

 王の間。

 アランたち《深きものどもディープ・ワン》が、仕えるただひとりが佇む間。


 王の間、王のおわす王座。

 いまはだれも座っていないそこ。

 そこから見える、壁に。

 入り口横の壁に。

 一枚の絵画が飾られていた。


「あの絵だ。青い空。地上の風景。こんな暗がりとは違う、光あふれる世界。あれを見たい……見たいんだ」


 神様に封じられたこんな底では、決して見ることのできない景色が、真っ白なキャンパスに切り取られている。

 なんて残酷なのだろう。

 ここから抜け出すことができない人々に、こんなものを見せるなんて。

 諦めるしかないではないか。

 どれほどに憧れても。

 赦されはしない。その目で見ることは。


「他にも、人々の営み。輝く夜空。真昼の月。見てみたい景色がいっぱいある……」

「アランがどれだけ外へ行きたいのかは分かった。でも」

「でも、なんだよ」


 少女は、目を伏せて。


「わたしは、アランに行ってほしくない」

「なんで」

「だってアランは、外に行ったらもう戻ってこないでしょ」

「それは……」


 戻ってくる、そう断言することはできなかった。

 こんな暗がりに戻ってくることは、おそらくないだろうから。

 せっかく解放されたのにもかかわらず、こんな牢獄へ帰ってくることはないだろうから。


 少女は懇願するようにアランを見上げる。


「お願い。ここにいて。どこにも行かないで。アランは、わたしのただひとりの幼馴染で、わたしにはアランしかいないのよ」

「……」


 アランにとってもそうだ。

 少女はただひとりの幼馴染。

 口には出さないが、大切に思っているのだから。

 そう、《深きものどもディープ・ワン》として本来なら許されないことではあるが、我らが王よりも。


 だけどアランは頷くことができなかった。

 大切な彼女を傷つけることになるとはわかっていても。

 それほどに、ここ・・は地獄なのだ。


 そんなアランへと、声がかけられた。

 美しい、鈴のような声が。


「なら、一度行ってみる? ふたりで」


 それは、王だった。

深きものどもディープ・ワン》が敬う、ただひとり。


 慌ててアランと少女はひざまずいた。


「あたしはここから出られない。ここに縛られているけれど。あなたたちまでそれに付き合うことはないわ。だから、開いてあげる……《ヘラスの門》を」

「しかし、王よ……あなた様は今、御力が弱っているはず。それなのに、わたしたちのわがままで、《ヘラスの門》を開いていただくなんて」


 王は目蓋を閉じて、静かに首を振った。

 寂しげな、消えてしまいそうな表情だった。


「いいの。いいのよ。あたしのことなんて。だから、あなたたちがどうしたいのかを、言ってごらんなさい」


 王の慈愛溢れる言葉に。

 アランは、数舜、悩んで。


「ぼくは……ぼく、は……」


 こんなことを言うのは、どれだけ罪深いことなのだろうか。

 こんなことを言うのは、どれほどのあやまちなのだろうか。

 でも、それでも。


「外の、世界を……見てみたいです……」


 その、切なるアランの懇願に。

 王はひとつ頷いて。


「では、開きましょう――」


 ――右手が、伸ばされる。

 ――王の手が。何かをつかむように。


 すると淡い光を伴い、《ヘラスの門》が顕現した。

 いにしえの昔、神様に封じられたこの地と、地上をつなぐ門が開かれた。


「地上で困ったことがあったら、四条の者を頼りなさい。日本では、かの者たちがあたしたちのことを伝承されているでしょう」

「ありがとうございます、王よ……」


 アランは少女と手をつなぎながら、王へと一礼した。


「夜空に月が輝くころに、また扉を開くから。ゆっくりと、世界を見て回りなさい」


 その言葉を背に受けて。

 アランは少女と扉をくぐった。


 そうして、アランたちは眩い程の光に包まれて――





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