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010.歯止め

 翌日の昼休み。

 悠は弁当を片手に、1年B組の扉を開いた。

 夭水学園は給食がなく、弁当か学食を利用する方針であり、悠は弁当派であった。

 悠は1年A組。燐はB組。

 燐と一緒に昼食をとろうと、開かれた扉から中を見る。

 

 と、


「燐くん、私達と一緒に食べようよ」

「ずるい、あたしも入れて!」

「わたしも、わたしも!」


 クラスメイトだろうか、女の子たちに囲まれている燐。

 すさまじい程にモテている。

 それもそうか、燐はジュニアオリンピック準優勝。

 この先、オリンピックで日本へメダルを持ち帰ることも期待されている男だ。

 女の子たちが狙うのも当然だ。


 だけど、燐は寂しげに微笑んで。


「ごめん、ちょっと今日は用事があって……」


 えー、という女の子たちの不満の声にごめんごめんと小さく謝りつつ、燐は外へ出ようと身体を反転させる。

 と、ちょうどよかったと言いたげな表情で小走りに悠の下へ。


「ごめん、ちょっと付き合ってくれないかな。ここから抜けられなくて……」


 周囲に響かないよう、発せられた声は小さく。

 悠は一つ頷いた。


「じゃあ屋上へ行こうか」

「え? 屋上ってどうやって……」

「いいからいいから」

†††


 本来であれば屋上は進入禁止である。

 南京錠で封鎖されているため、そもそも入ろうとしても入れない。

 鍵でも借りているのか、と言いたげな悠へ、燐はいたずらな笑みで、


「昨日、アラン先輩に聞いたんだ。ほら、ここをこうすると……」


 南京錠のフック部分を右手でつかみ、ぎゅっと押し込んだ。

 すると、音もなく鍵が外れた。


「ほら。こうすると鍵がなくても入れる。これでしばらくゆっくりできるな」

「なんでこんなことアラン先輩が知ってるんだ……?」


 うーん、と伸びをしながら言う燐に、悠は引きつった顔でつぶやく。

 燐は寂しげな笑みで。


「……ゆっくりしたいときもあるからな」

「それって、どういう……」

「まあまあ、一旦座ろうぜ」


 外から鍵を閉められないよう、南京錠を外してポケットに入れると、燐は屋上へと出た。

 おいていかれないよう、悠も小走りでついていく。


 今日は快晴。

 まだまだ風が冷たい時期だけれど、こんなにも日当たりのいい場所であれば、ほのかに暖かくてちょうどいい塩梅だった。


「悪かったね。ダシに使ったような形になっちゃって」

「いや、俺もちょうど燐を食事に誘おうと思っていたところだったから」

「だったらよかったけど」


 燐はふうと息を吐いて座り込んだ。

 そして弁当を開きながら言う。


「本当は迷惑なんだけどね。ああいうの」

「他の男子たちはみんな羨ましがってると思うけどね」


 思春期で、普通なら女の子たちにあれほどモテていたらうれしいだろうに。

 どうして燐はこんなにも寂しそうなのか。


 そんな疑問を察したのか、燐は口を開いた。


「スイマーは色事をはじめ、やりたいことをやりまくってるじゃん? その理由は知ってるか?」

「いや……」


 そもそも悠はスイマーが色好きであることすら知らなかった。


「スイマーは死の危険と常に隣りあわせだからな。いつ死んでも思い残すことがないよう、歯止めを外して、やりたいことに全力投球なんだよ」

「たしかに、な……あの”海”の恐怖に、いつ殺されるかわからないもんな……」


 でも、じゃあなんで。

 燐はそうじゃないんだろう。


「燐は女の子たちに騒がれてるの、嫌がってただろ? 歯止めを聞かせているみたいだけど、それはなんでなんだ?」

「いや……もちろんうれしいよ、俺も男だし。性欲もあるし、あの子たちを押し倒したいだとかも思う。それくらい、俺たちぐらいの年齢だったら誰でも思うだろ」

「まあ……」


 とは言いつつも、悠は周囲の女の子たちとそんな関係になることなんて、考えられなかった。

 自分が燐ほどのスイマーではなく、そこらにいる代り映えしない男子と同じ。それが理由なのではない。

 悠にとって、女という存在はどこか恐ろしいものを感じているから。

 あの“海”で出会った少女はもちろん違う。あんな場所で出会う少女が、人間であるはずないと感じているから。

 だけど、他の少女は。

 悠にとって、母親の……。


「大丈夫か?」


 昔を思い出して、悠はいつのまにか息が荒くなっていた。

 燐が心配げに尋ねるが、問題ないと返し、大きく深呼吸。

 それならいいけど、と燐は話を続ける。


「……いつ死ぬかわからないから、日常ではゆっくりと過ごしたいんだ。それに――」


 燐は弁当を置くと、ポケットからイルカのキーホルダーを取り出した。

 失われた過去を慈しむかのように、イルカを見つめると、ぎゅっと目を閉じて握りしめた。


「あのとき託された想いを、色事なんかで希釈させたくない」


 昨日聞いた、燐がスイマーを続けている理由。

 それ以外にも、まだ理由があるのではないか。

 そう思ったけれど、固い決意をにじませる燐の表情に、それを訊ねることはできなかった。


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