第十五話 元夫イディオータへの意趣返し②
舞踏会に出たからには、指名されたのであれば踊らなければならない。
そして、カリネリアが多くの人の注目を浴びながら踊っている最中こそ、安全だとも言える。
その間にノーヴァは彼女に渡す為の飲み物や軽食を用意し、怪しい動きをしている人間が居ないか観察する。
今、この会場に居る人々はカリネリアに目を奪われていると言って良い。
年齢を追うごとに美しさを増す少女は、聖女だとか、世に無い物を生み出す天才だとかいうことを度外視しても見ずにはいられない魅力に溢れている。
そんな中、ウロウロと周りを見回し、何かを探すようなそぶりを見せている男をノーヴァは見逃さない。
しかも、ソイツは、先程カリネリアに失礼な態度を取った男だ。
――暗がりばかり覗き込んでいるが、何をするつもりだ?
不審に思ったノーヴァは、足音をさせずに近づいていく。
「ったく、お高く留まりやがって」
まるで町のチンピラのような口調で悪態をつくイディオータからは、粗野で下品な匂いがする。
何をするつもりかは分からないが、このまま終わらすつもりは無いのだろう。
もし、カリネリアに危害を加えるつもりなら、今ここで成敗しても良いとすらノーヴァは思う。
ただ、まだ何もしでかしていない人間を殴れば、ノーヴァはカリネリアの傍には居られなくなるだろう。
――兎に角、今は、目を離さないことだ。
そう決意を固めていると、ちょうど曲が終わった。
「ノーヴァ、お水を」
「はい、こちらに」
素早くグラスを手渡し、小さくカットされたサンドイッチなどの軽食を差し出す。
踊り続けるということは、走り続けることと同じこと。
水分補給と栄養補給を疎かにすると足が攣り立っていられなくなる。
「あと、何曲かしら」
「今日は、あと三曲です」
「まだ、そんなに踊らなければならないの?」
ウンザリとした表情のカリネリアを、ノーヴァは座れる場所まで連れていく。
今は別の令嬢達の見せ場だ。
目立ちすぎる聖女様は、出来るだけ壁際へと移動してあげなければ視線を奪ってしまう。
そんな二人の後ろを、コソコソと付いてくるのはイディオータだ。
「お嬢様、後ろは振り返らないでください」
「何故?」
「先程の男が付いて来ております」
カリネリアは、恐怖で足が止まった。そんな彼女の背中を、ノーヴァがそっと押す。
「大丈夫です。必ずお守りします」
「そうね……ノーヴァがいれば安心ね。でも……」
カリネリアは、
『これからも、私は彼から逃げ続けなければならないの?そんなの、悔しくない?』
と、自問自答する。
罵声を浴びせ続けられ、外ではダメ人間のように吹聴され、家庭内では針の筵。そんな日々が思い返され、カリネリアは拳を握った。
――いやよ。私、絶対に負けたくない。
決意が固まると、急に体が軽くなった気がした。
――今回は、貴方が壁の花になればいいわ。
カリネリアは、ノーヴァの耳元に口を寄せると囁いた。
「お願いがあるの。少しの間だけ私を一人で歩かせてくれる?」
「そ、それは」
「彼は、必ず何か仕掛けてくるはず。その時を押さえて欲しいの」
「危険すぎます」
「忘れたの?私は、ずっと鍛錬を続けているでしょ?」
幼い頃木刀を千回振って以来、カリネリアは父ジュストから護身術をはじめとした武術をならっている。
掴まれた腕を外すくらいの芸当は出来る。
「それに、私には貴方が居るわ。そうでしょ?ノーヴァ」
こう言われると、断れるはずもない。
「承知いたしました。しかし、その時私は力加減が出来るか自信はありません」
「いいわ。思い切りやってちょうだい」
こうして、カリネリアは自分を囮としてイディオータをおびき寄せた。
広い会場に多くの人が溢れている為、テラスなども開放されている。
そちらには、既に本命となった男女が仲良く会話をしている。
そして、テラスに向かって行く途中には、人目につかない暗がりもある。
いけない遊びに夢中な男女が隠れて、色々なことをするのは珍しい事でもない。
そんな場所をカリネリアが一人で歩けば、イディオータはニタニタと笑いながら付いてくる。
――なんだ、公爵令嬢といえども、ただの女だな。俺の事を誘っているんだろ?
こういう事に手慣れているイディオータは、誘われて断るのは主義ではないと足取り軽くカリネリアに近づいていった。
「聖女様、何処へ行かれるのですか?」
「少し、迷ってしまって」
「そうですか。でしたら、私がご案内いたしましょう。でも、その前に……」
イディオータは、カリネリアの腕を掴んだ。すると予想に反して、
「止めて!誰か、誰か助けて!」
と大声を上げられてしまった。
「え?いや、ご、誤解です」
いくら弁明しようとも、カリネリアの叫び声を聞きつけた人々が続々と集まってくる。
「ち、違うと言っているだろう!」
つい、イディオータは、カリネリアの腕を強く引っ張った。
ふらりと揺れた少女を見て、引き倒してしまったかと真っ青になった彼は、次の瞬間自分が床に倒れていた。
「っううう」
顔面から落ちたようで、頬と鼻に激痛が走っている。
どうやら、カリネリアがよろけると見せかけて、彼の足を払ったようだ。
まさか可憐な少女が、そんなことをすると思っていなかった人々は、驚きと共に拍手をした。
そして、無様に転がる男を見下ろして左右に首を振る。
クスクスクス。
周りから笑い声が聞こえてきた。
女に乱暴を加えようとして、逆に投げ飛ばされた惨めな男が滑稽だったのだろう。
しかも、巨体がイディオータの上にのしかかり、
「お嬢様に、なんということを。誰か、警備兵の方をお呼びください!」
と更に状況を悪化させていく。
「待て!待ってくれ!私はただ、聖女様が私を誘ったのだと」
必死に足掻きながら叫ぶと、
「なんて失礼な。ジェンティーレ公爵令嬢に限って、その様なことをするはずがないでしょう」
と周りに居た少女達が口々に反論してくれた。
彼女達は、同世代ということもありカリネリアのお茶会に参加してくれていた面々だ。
今まで仄かに憧れていたイディオータの失礼極まりない言葉に、全員が幻滅しているようだ。
「そ、そんな……」
こうして、ループ前の世界では妻を嘲笑っていた男が、社交界の爪弾き者へと落ちていった。
もう恥ずかしくて、公の場にも直ぐには出てこられないだろう。
――私、自分の未来も変えることが出来たのね。
ずっとプルチーノの為だけを思って走り続けてきたカリネリアは、とうとう自分の人生も大きく変えることに成功した。
その達成感に、今日一番の微笑みを浮かべた。




