第一話 死に戻り令嬢の奇跡
――これは、どういうことなの?
今、目の前を国王に抱っこされたプルチーノが通っていく。
それは、初めてカリネリアが愛らしい姫君を知った日の記憶。
これは走馬灯で、死ぬ前の数秒間なのだと思った彼女は、思い残すことがないように叫んだ。
「プルチーノ王女殿下!大好きです!」
プルチーノを見つめ続けた十五年、一度として出したことのない大声は、周りの者を驚かせた。
同級生達は、優等生のカリネリアの奇行に一斉に注目する。
しかし、プルチーノしか見えていない少女は、一歩踏み出したかと思うと石畳を蹴った。
美しく整えられた列を飛び出し、大きく腕を振ると、思ったよりも自由に体が動く。
ずっと人垣越しにしか姿を見られなかったカリネリアは、今、なんの障害物もない状態でその目にプルチーノの姿を収めている。
――あぁ、なんて愛らしい瞳なの。
遠くから見ているだけでも涙が出そうだったのに、たった数メートル先にいるプルチーノは、光を放っているかのように見える。
瞳からポロリと涙が零れた。
思い切り足を動かすと、頬をかすめる風に流され、涙は後方へと流れていく。
普段大人しい少女の大胆な行動に、周りの教師も驚いていた。
そして、反応が遅れた。
止められないことを良い事に、カリネリアはプルチーノに向かって走った。
一ミリでも近くで最期を迎えたい。
そんな思いは、彼女の体を羽のように軽くした。
頬を撫でる風には、若葉の香りがする。
その空気を誠意精一杯吸い込んで、前へ前へと足を運んだ。
タンタンタン。
ダンスのステップのように軽やかに、石畳を蹴ったカリネリアは、護衛の横をすり抜けた。
「あ、こら!止まりなさい!」
王を守る者として、大きな男が小さな少女の前に立ちはだかろうと手を伸ばす。
しかし、その指先はカリネリアの制服をかすめて空を切った。
「プルチーノ王女殿下!プルチーノ王女殿下!」
泣きながら走る少女は、必死だった。
両手を伸ばして名前を連呼する姿は、悲壮感に溢れていた。
生き別れになった家族にでもあったかのような様子に、国王夫妻も何かを感じたようだ。
「大丈夫だ。こんなに小さな少女が、何かできることもあるまい」
そう王が命令すると、全ての護衛が動きを止め、少女の後姿を目で追う。
「はぁはぁはぁ」
誰にも邪魔されないと分かったカリネリアは、走る速度を落とし、そして立ち止まった。
鼻を啜り、涙を拭い、乱れた制服を整える。
大好きなプルチーノとの最後のお別れを、少しでも綺麗な姿で迎えたいと思ったからだ。
コツ、コツ、コツ。
一歩一歩ゆっくりと足を踏み出す。
石畳と靴底が奏でる小さな音が、ひどく大きく聞こえた。
――あぁ、プルチーノ王女殿下は、走馬灯の中でも、こんなにも愛らしいのね。
胸に溢れる思いが、再び涙になって零れ落ちそうになるのを、カリネリアは我慢した。
そして、国王の腕の中に居る姫君は、何故か興奮しているようだった。
目を真ん丸に見開き、大きな声で、
「あっ、あっ、あっ」
と声を上げている。
そして、ジタバタと手足を動かし、必死にカリネリアに手を伸ばして来た。
「あ……」
前のめりになり過ぎて、落ちてしまうのではないかと心配したカリネリアは、思わず両手を伸ばした。
すると、その指先を、
キュッ。
プルチーノが掴んだ。
一歳児の爪は、桜貝のような淡いピンク色だった。
そして柔らかな指は、とても温かかった。
――走馬灯よ、お願いだから、この瞬間だけは覚めないで。
死を覚悟していたカリネリアだが、一向に視界が暗くならないことに心臓がドクドク音を立て始めた。
――え?まさか、夢じゃないの?
カリネリアは、自分の手が、大人のそれではないことに気付いた。
――まさか、これは本当に、あの瞬間なの?
一生を掛けて見守り続けたプルチーノが、幼い姿で生きている。
時間を遡ったことに気付いたカリネリアは、一瞬体がふらりと揺らいだ。
彼女の最後の願いは、叶えられたのだ。
――あぁ、神様、感謝いたします。
小さな手から伝わる温もりが嬉しくて、滝のように涙を流したカリネリアだったが、一分、二分、三分と時間が経ってもプルチーノが手を離さないことに心臓が痛い程脈打ち始める。
――ど、どうしましょう。これは、不敬罪なのでは?でも、私から振り払うなんて、死んでも出来ないわ。
カリネリアが戸惑っていると、十五年間も見守り続けた相手はキャッキャと声を上げて喜び、もう一つの手も伸ばしてきた。
しっかりと両手を掴まれてしまったカリネリアは、もう、逃げることは出来ない。
その場にいる全員の視線を集めていることに、今更ながら、冷や汗が出てくる。
そんなカリネリアを見かねたのか、
「あら、私達の天使は、どうやら、このお嬢さんが気に入ったようですわね」
場の空気を悪くしないように、王妃が腰をかがめてカリネリアに微笑んだ。
そして、優しい手つきでカリネリアの髪を撫でた。
少女の緊張を解きほぐそうとしてくれているのだろう。
「素敵な黒髪のお嬢さん、お名前は?」
「カ、カ、カリネリア・ジェンティーレと申します」
プルチーノに両手を拘束されたまま、カリネリアは答えた。
カーテシーを出来る状態ではない為、精一杯頭だけ下げる。
先程の威勢はどこへ?
急に体を縮こまらせて小さな声で受け答えを始めたカリネリアに、国王は微笑んだ。
「ジェンティーレという事は、ジュスト・ジェンティーレの娘さんかな?」
「は、はい」
「彼には、いつも助けられているよ」
学友でもあった国王とジュストは、今でも交流があるようだ。
その娘を罰することはないと、暗に周りに伝えているのだろう。
「それにしても、君と娘が会うのは今日が初めてだと思うのだが、君はプルチーノのことを大層気に入ってくれたようだね」
「き、気に入ったなどと恐れ多いことでございます。ただ、遠くでお姿を見られればそれだけで」
「その割には、走り出てきて手を握っているようだが?」
「こ、これには、少々訳がございまして」
まるで大人のように受け答えする少女が面白く、王様は、もっとカリネリアと話してみたいと思った。
それに、プルチーノが彼女の手を放そうとしないのだ。
「ここで立ち話も悪くないが、他の者が困るだろう。さぁ、一緒にお茶を飲みながら話をしよう」
「ダ、ダメです。私のようなものが、御身の傍に居るなど、許されることではございません」
「私が良いと言っている。さぁ、行くよ」
王様が歩き出すと、彼に抱っこされたプルチーノも移動する。
そうなると、プルチーノに手を握られたカリネリアも一緒に動くしかない。
「ひぃぃい」
変な悲鳴を上げながら、カリネリアは必死についていった。
その様子を見ていたクラスメートは、常に品位を保った物静かな少女が、素っ頓狂な悲鳴をあげながらバレリーナのように爪先立ちで歩いていく姿に笑いをかみ殺していた。
次の投稿は、正午です。




