プロローグ
カリネリア・ジェンティーレは、可愛いものが大好きな公爵令嬢だった。
どちらかと言うと大人びた容姿の彼女は、自分にない物に憧れを抱いていたのだ。
鏡に映る彼女は、亡くなった母の肖像画にそっくり。
ストレートの黒髪。
猫のようなアーモンド形の瞳。
特に右目の下にある泣き黒子は、その最たるものだろう。
色気すら醸し出す小さな黒い点は、彼女の大好きなピンクの花柄リボンに、どうしても合わなかった。
だから彼女は、私室に沢山のぬいぐるみを置いていた。
せめて自分のテリトリーだけは、大好きな可愛いで埋め尽くしたかったのだ。
そんなカリネリアには、頭脳明晰で剣術の腕にもたけた優秀な兄が居た。
そのため跡継ぎ問題など起こりようもなく、他の令嬢と同じように、いつか他家へ嫁ぐのが当たり前だと思っていた。
ある運命の出会いがなければ、物静かで人見知りな彼女は、その他大勢の令嬢達と変わらぬ人生を歩んだはずだった。
人生の転機は、八歳の時だった。
まだ学園に通い始めたばかりの時期に、王様と王妃様が一歳になったばかりの末姫のプルチーノを抱っこして視察に訪れたのだ。
目の前を通り過ぎる幼子の何と愛らしいことか。
心まで奪われたカリネリアは、プルチーノだけを見つめ続けた。
まだ生えそろっていないフワフワの金髪。
突きたくなるプクプクの頬。
不思議そうに周りを見ているクリクリの青いおめめ。
何処をとっても、可愛いの権化だった。
自分も立派に幼いのに、より小さくて愛らしい存在に夢中になったカリネリアは、その日以来プルチーノがお目見えするとあれば、どんなに忙しくとも時間を作って現地に走った。
ある日は教会へ。
また、ある日はパレードを見るために父ジュストに頼み込んで街へ出た。
勿論護衛は連れているが、公爵令嬢が平民に混ざって王家のパレードを見るなど普通ではありえない事だった。
「わーっ、わーっ、プルチーノ王女殿下~」
観衆が、愛らしい姫君を目にすると、一斉に歓声を上げる。
その人垣から少し後ろに陣取ったカリネリアは、まだ背が低くて、全く前が見えない。
泣くのを一生懸命我慢してピョンピョンと跳ねる姿見て、護衛のノーヴァは、
「失礼いたします」
と言って、カリネリアを抱き上げてくれた。
「あっ……ありがとうございます」
消え入るような小さな声で、カリネリアは礼を言う。
そして前を見ると、ほんの少しだがプルチーノの横顔が見えた。
カリネリアは、両手を胸の前で組み、祈るような体勢で愛らしい姫君を見つめ続ける。
決して大声を出すことは無く、大人しく、礼儀正しくパレードを見送った。
そんな出来事を積み重ね、カリネリアと護衛のノーヴァの間には、不思議な絆が出来た。
互いに無口で言葉を交わすことは数少ないが、カリネリアの中では父と兄以外の男性で、唯一信頼できる相手になっていた。
彼の協力を得て、その後も数えられない程プルチーノのお目見えを見守り続けたカリネリアは、次第に背も高くなり、ノーヴァに抱っこされなくても人垣越しにプルチーノを見られるほど背が高くなっていく。
――あぁ、今日も無事に、プルチーノ様を見ることが出来た。
カリネリアが達成感と幸福感に満たされていた、その瞬間。
プルチーノが、確かにカリネリアを見て手を振った。
――え?今のは、見間違い?
そう思ったカリネリアだったが、その次も、その次も、プルチーノはカリネリアを見つけては手を振ってくれる。
――どうして……。
その理由は分からないが、小さな姫様は、確実にカリネリアを探す為にキョロキョロと見回し、なかなか見つからないと泣きそうな顔になっていた。
――プルチーノ王女殿下!私は、ここに居ります!
カリネリアは、必死に手を振った。
そうすることで、少しでも見つけやすくなればと思ったのだ。
すると、プルチーノは、満面の笑みでカリネリアに向かって両手を振ってくれた。
王族としては恥ずべき行為かもしれないが、その可愛らしい仕草に、民衆の歓声は更に大きくなった。
言葉を交わすことは無くとも、ただ、見ているだけでいい。
そう思っていたカリネリアにとっては、奇跡のような出来事だった。
年齢も七歳差で一緒に学園に通う事もかなわなかったが、カリネリアは幸せだった。
こうして、見る者と見られる者の誰にも知られることのない静かな交流は、十五年間も続いた。
しかし、そんなカリネリアを絶望の底へ突き落とす出来事が起きる。
最初の異変は、平民の聖女が誕生したことだった。
十五歳の少女が、洗礼式の日に女神像から放たれる光に照らし出されたのだ。
当時、国は、相次ぐ疫病で疲弊していた。
そこに舞い降りた聖女は、全ての人間の希望となった。
国中が歓喜にわき、王子の婚約者になった彼女に平民の少女たちは憧れた。
それだけなら、ただの幸せな物語だった。
しかし、暫くしてプルチーノが毒杯を賜ったという恐ろしい記事が新聞に載った。
彼女の罪状は、聖女を殺害しようと暴漢を雇ったというものだった。
――プルチーノ王女殿下が、そんな浅はかなことをするはずがないわ。
カリネリアは周りの人間に訴えたが、プルチーノと直接交流があったわけでもない彼女の事を信じる者は居ない。
しかも不幸は同時期に起こるものなのか、夫であるイディオータの愛人に男子が誕生した。
人には言えぬ白い結婚だったが、事情を知らない人々は、子をなすことが出来なかったカリネリアを笑いものにしていた。
嫁ぎ先ですら肩身の狭い思いをしていた彼女は、社交界の片隅で下を向いて立っていることしかできなかった。
そして、プルチーノの死から一年が経ったころ、聖女が公開処刑されるという記事が新聞に載った。
なんと、魅了魔法で王家の人々を誑かし、末姫にありもしない罪を被せて亡き者にしたというのだ。
――今更死刑にしても、遅いのよ。
カリネリアは新聞に記載された日時に、ギロチンが据えられた街の広場へと足を運んだ。
あれほど歓迎されていたはずの聖女に向かって、街の人々が石を投げていた。
「あんた達だって、プルチーノの死を喜んでいたでしょ!」
ロープで拘束された聖女は、悪態をつきながら断頭台へと上らされた。
「ははははは、私だけじゃなく、アンタ達全員が加害者よ!」
死を目の前にしてもなお、他者を嘲笑う少女。彼女の何処が聖女だと言うのだ。
――あんなの、悪魔だわ。
カリネリアは、思わず地面に落ちている石を拾って、手を振りかぶってしまった。
しかし、投げるよりも前に聞こえてきた聖女の言葉が彼女を止めた。
「今日の所はゲームオーバー。今度こそ、全攻略対象をコンプリートしてあげるから!じゃぁね、バイバイ!」
明るく言い切った聖女の首がスパッと切られた瞬間、カリネリアは叫んだ。
「なんで今頃、思い出すのよ!」
それは、前世の記憶。カリネリアは、可愛いものが大好きなごくごく普通の女性だった。
特技があるわけではなかったが、要領が良い為勉強も仕事も子育てもそつなく出来た。
暇な時間に少しはゲームもやるが、一つのゲームにハマって周回するような執着性はない、いわゆるライト層。
ただ、巷に乙女ゲームと呼ばれるジャンルがあり、その中に転生するなどといった荒唐無稽な小説が存在する事くらいは知っていた。
そして、多分、この世界での自分の役どころはモブ、いや、ほぼ背景に等しいのだと気づいた。
――もっと早く記憶が戻っていたら、プルチーノ王女殿下を守れたのかしら……。
助けられる時間はたっぷりあった。それを一秒も使わないまま、試合は終わってしまった。
――神様、もし居ると言うのなら、どうか私にもう一度チャンスを下さい。
処刑を見て興奮する観衆の中で、カリネリアは手を組んで祈った。
そんな彼女を後ろから来た群衆が突き飛ばした。
「あっ……」
カリネリアは、頭がガクンと後ろに振れ、顎を突き出すような形で前に倒れていった。
そして、スローモーションのように周りがゆっくりに見え、地面まで後数センチの所で何かが光った。
連載版開始です。
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明日から、午前七時、正午、午後八時の三回投稿になりますので、読んでいただけると嬉しいです。




