第十三話 寛容の心
不幸中の幸いと言うべきか、ナイフをノーヴァが素手で掴んだ瞬間は、メンティーレの体が壁となり背後に居る人間には見えなかった。
そして、突然壇上で倒れた少女は、王家の護衛が抱き上げて直ぐに教会の外へ出された為、多少のざわつきはあったものの無事に洗礼の儀は終了することが出来た。
全ては事を荒立てずに解決してくれたノーヴァのお陰だと感謝され、教会の医務室で思い切りナイフを握った手を縫合してもらえることになった。
長年の鍛錬で硬くなったノーヴァの手が、パックリと割れてしまっているのを見た医師が、
「一体どれだけ強い力で握ったら、こんなに深く切れてしまうんですか?」
と言って苦笑いしていた。
幸運なことに神経などは傷つけられておらず、きちんと治療さえすれば、数か月で再び剣を持つことは出来るらしい。
それでも目の前で血が流れるのを見たカリネリアは、未だに心臓がどきどきと痛い程鳴り続けている。
「ノーヴァ、貴方は、自分をもっと大切にするべきよ」
カリネリアは、彼の振るう剣が好きだった。
寡黙で実直な彼の性格をそのまま写し取ったような、基本に忠実な剣筋だからだ。
もし、自分のせいでノーヴァが剣を持てなくなったら、後悔してもしきれなかった。
目を真っ赤に充血させているカリネリアを見て、ノーヴァは深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。つい、お嬢様が危ないと思ったら手が出てしまいまして」
それは、条件反射のようなもので、もし馬車が突進してきたら、彼は出来るか出来ないかではなく、カリネリアの前に立って馬を両腕で止めようとしただろう。
その忠誠心は、カリネリアの心を揺さぶる。
「貴方が死んでしまっては、私は生き残ったとしても、後を追ってしまうかもしれません。だから、これからは、絶対に自分の命を粗末にだけはしないでちょうだい」
その言葉は、まるで一世一代の告白のようだ。
貴方が居なければ生きていけないと言っているようにも取れる。
カリネリアのことを、ずっと子供だと思っていたノーヴァにとっては、かなり驚かされる内容だった。
「本当に、本当に、二度は許しませんから」
ずっと我慢していた涙が、カリネリアの瞳からポロポロと流れ落ちた。
その雫が、真珠のように美しく、ノーヴァは思わず見惚れてしまう。
「ノーヴァ、返事は?」
「あ、は、はい。善処いたします」
「善処じゃダメなの!」
愛らしい主と、武骨な従者のやり取りは、医務室に居た人々の気持ちを温かくした。
怒っているのだと知らしめるために、ポクポクと護衛の分厚い胸を叩く貴族令嬢など、聞いたこともない。
護衛は身を挺して主を守る存在なのに、その職務を放棄しろと言っているようなものなのだ。
それだけ、この少女にとって彼は大切な存在なのだろう。
皆が微笑みながら二人を見守っている所に、先ほど洗礼の儀を行っていた司祭が訪れた。
「ジェンティーレ公爵令嬢、この度は、教会内部において大変危険な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。使いの者が公爵家まで知らせに走りましたので、もうすぐ、公爵様がいらっしゃると思います」
「司祭様、お心遣いありがとうございます」
既にプルチーノは、国王夫妻と一緒に帰っている。
安全を最優先した対応だが、最後までカリネリアを心配して泣いていたらしい。
司祭が父ジュストを呼んだのは、カリネリアを害そうとした少女に対する処罰の内容を決める為だった。
いくら七歳といえども、教会に刃物を持ち込み、あまつさえ貴族令嬢を刺そうとしたのだ。
本当なら、死刑を宣告されても文句は言えない。
しかし、あまりにも幼い子供に重い刑罰を与えると、世間の批判が教会とジェンティーレ公爵家に向かう事になるだろう。
現在、逃亡させないようにする為、教会の地下にある貯蔵庫に隔離しているが、ずっとそのままというわけにもいかない。
この難しい判断に対して、カリネリアは一つの案を出した。
「父には私が話しますが……出来ましたら、今後は教会で身柄を引き取っていただき、社会への奉仕に人生を捧げてもらうというのはいかがでしょうか?」
要は、俗世への干渉が出来ない場所に身を置かせ、外に出られないようにするというものだ。
「決して彼女を傷つけることは望みません。ましてや、命を取るなどもってのほかです。日々、神への信仰を忘れずに奉仕活動を行う事で、世の為人の為を思う心を取り戻してもらいたいのです」
カリネリアの言葉に、その場にいた全ての人間が感動した。
自分を襲った人間を許し、そして信仰心を取り戻して欲しいと願うなど流石は聖女だと感心する。
しかし、彼女の本当の目的は別の所にあった。
――命を落とすことが時を遡る切っ掛けになるなら、絶対死なせるわけにはいかないわ。
教会という厳しい戒律を守る場所で死ぬまでの何十年という月日を過ごすことで、もう二度とこの世界に戻ってきたいと思わないようにしたい。
――簡単に、死なれたら困るのよ。
見た目が七才だろうが、その中身は断頭台で、
『あんた達だって、プルチーノの死を喜んでいたでしょ!』
と叫んでいた女だ。
野放しになど出来るはずがない。
「もし、そうなりましたら、教会は全面的に協力してあの少女の更生に尽力すると誓いましょう」
既にメンティーレの面倒くささを理解している司祭は、かなりの覚悟を決めてカリネリアに約束をしてくれた。
ただ、三つ子の魂百まで。きっとメンティーレの根性が治ることは無く、更に恨みを募らせることだろう。
派手好きで自己顕示欲の塊のような少女が、表舞台に一生出られることのない場所で、ひたすらに善行を積むよう強制させる苦痛は計り知れない。
一見妙案に見えるこの対応も、全員がもろ手を挙げて賛成しているわけではない。
「私は、納得がいきません。いくら子供でも、罪は償うべきです」
珍しく過激な意見を述べているのは、ノーヴァだ。
大事な推しを傷つけようとした相手を、どうしても許すことなど出来ないのだろう。
そんな彼に対して、カリネリアは少々キツイ口調で、
「ノーヴァ、私を人殺しにしたいの?」
と、聞いた。
するとノーヴァは慌てて首を横に振り、
「いえ、決してそういうわけでは……」
と、必死に否定した。
それを聞いたカリネリアは、言質を取ったとばかりに微笑んだ。
「それなら、お父様を説得するのも手伝ってね?」
ノーヴァ以上にカリネリアを大切にしているジュストは、どんな過激な処罰を求めてくるか分からない。
それを止めるには、一番の被害者でもあるノーヴァの協力が必要なのだ。
まだ、納得がいっていない表情のノーヴァにカリネリアは、
「貴方は、何担だったのかしら?」
と問うた。
「……私は、嬢担でございます」
「そうよね?だったら、私の言う事を聞いて」
「仰せのままに」
こうして、この世界のヒロインになるはずだった少女は、高い塀に囲まれた戒律の厳しい教会に閉じ込められることになった。
その後到着したジュストに、この決定の是非を問うと、
「それが一番いいだろう」
と認めてくれた。
「七歳といえども、犯した罪が大きすぎる。ジェンティーレ公爵家も最大限協力するので、絶対に俗世に戻さないで欲しい」
ジュストは、メンティーレが収容される教会へ、数人の護衛を一か月ごと交代で派遣することを決めた。
たった一人の小娘に大げさな処置だと思われるかもしれないが、これは教会に対する牽制でもある。
時間の経過とともに手を緩めるようなことがあれば、ジェンティーレ公爵家が黙っていないという意思表示でもあった。




