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BORDER  作者: 鴻上縞
第一部
9/20

八 旅立つ時に

 それからテンが戦線復帰できるまで、二人は夜明け近くになると丘に座り語らうようになった。どちらから求めたわけでもない。ただ早朝の人気のない時間にランニングをする前の、ほんのささやかな時間の共有だ。


 星の川が途切れた地平線を見据えながら、その日テンは懐かしむように部族の子供の話をしてくれた。

「俺の部族では、八つから狩人としての訓練を始める。初めての狩は飛んでいる鳥だ」

 八つといえば、ちょうどイルガーデンが閉院した頃か。何も分からないまま、独房に似た部屋の隅で泣くばかりしかできなかった自分に置き換えて考えてみると、まだ二十歳を少し超えた程度であろうテンの精神の成熟度には納得ができた。そんな幼い頃から命のやり取りを始めるのだから。

 それにしても、空を飛ぶ鳥が相手とは、随分と厳しい訓練だ。

「飛ぶ鳥など難しそうだ。もう少し鹿とか、的が大きい方が良いのじゃないか」

 率直なソルの言葉に、テンの指先が鳥の軌道を描くように空をなぞる。

「鳥にも様々な種類がいるが、空中で真っ直ぐに飛ぶ鳥は多い。それを見極めることも狩のひとつだ」

 なるほど、と小さく頷くソルを振り返り、テンは少し厳しく眉を寄せた。

「逆に鹿は弓矢で一撃で仕留めることは難しい」

「そういうものか」

 確かにあの質量を持つ生き物を木製の弓矢で仕留めるには骨が折れそうだ。一撃で急所に当てたとて、命が尽きるまでは暴れ回るだろう。

 しかし、何故そんな不便な生活を絶滅の危機に瀕してまで意地になって続けるのか。ソルは堪らなくなって問い掛ける。

「銃を受け入れない理由は」

「命への敬意だ」

 テンは澱みなくそう答えると、また星空を仰いだ。

「森から生まれた材料で作ったものでしか、命を奪ってはならない。それも古くからのしきたりだな。矢尻も木で作るんだ」

 足元の小石を拾い、テンは静かにあけてゆく空に向かい投げつけた。

「それも俺には理解できなかったことの一つだ。銃で一思いに殺してやった方が、苦しみはうんと少ない」

 そう言いながらも、いまだに食事の前に命への感謝を祈るテンの姿をソルはぼんやりと思い出していた。


「朝が近付いてきた」

 テンの声にふと意識を戻すと、地平線が光を放ち始めている。テンが立ち上がり、手を差し伸べる。

「今日の朝食は、港町の卵料理だ」

 その手を取って腰を上げ、ソルは小さく頷いた。

「またあとで」

 テンもまた深く頷いて、二人は別々の方へ、ゆっくりと走り出す。来るべき日に向けて。


 テンの戦線復帰まで二週間、二人は療養やリハビリをそれぞれ行いながら日々を過ごした。

 けれどその二週間は、ソルの長い監禁生活で落ちた筋力と体力を戻すには必要な時間だった。戦地に再び立つため、まるでアカデミー時代のようにソルは鍛錬を重ねた。


「戦線復帰は明後日か」

 ペゴを重し代わりに背中に乗せ、日課の腕立て伏せに励むソルの向かい、自身のベッドの上でそう呟いたテンはどこかうずうずしているような様子だ。不謹慎な男だと胸の内で吐き捨てて、ソルは最後に一度深く曲げた腕を伸ばし、今日の鍛錬を終えた。

「ソル、今日は何を食いたい。今日だけは自分を甘やかす日にしよう」

「いつも甘やかしているだろうが」

 悪戯っぽく肩を竦め、テンは立ち上がりキッチンへ。ソルは汗を流すためにシャワールームに向かった。


 素直に尊敬すると認めるにはまだ少し躊躇うが、テンとは随分と打ち解けたような気がする。この療養中に様々なことも学んだ。

 狩のこと、森のこと、民族のこと。テンが旅した国々のことを聞く時間はなかったが、どれもアカデミーでは学べない生々しいものだった。ソルの小さな世界の中では手に入れることのできないものを、テンは持て余すほどに抱えている。


 テンが与えてくれた世界を思い起こしながら、ふと擦り切れるまで読んだ絵本を思い出す。絵本の中で、世界中を旅したうさぎは、その経験こそが宝物だったのだと最後に気付く。ソルは最後のページに描かれたその満ち足りた笑顔が大好きで、そしてそんな旅に憧れた。

 テンはきっと、その道の途中にいる。旅の終わりに、テンは何を手に入れるのだろう。何を知って、何を思うのだろう。


 日々テンから与えられる真新しい感性を吸収し、ソル自身も少しずつ変わり始めていた。心を静かに、呼吸を整える。

 テンに叱責された自分の行いが正しいとは当然思っていない。だがやはりこうすることでしか生きられなかった。その気持ちは変わらない。

 けれど、無我夢中で駆け抜けてきた日々から一歩外へ出て、自分の心と向き合ってみる。そういう時間も増えた。


 その晩、テンが旅した峡谷の国の郷土料理の慣れない甘酸っぱさに眉を寄せながら、ソルは口を開いた。

「突然ですまないが、戦線復帰と共にお別れだ、テン」

 顔を上げる気配を感じながら、視線は酢締めのキャベツに落としたまま、ソルはそっけなく続ける。

「偵察部隊に志願した。そろそろ結果が出る頃だ。許可が下りれば俺は戦地を離れ共和国に向かう」

「許可は下りるのか」

 テンの声は動揺も見せず、相変わらず低く穏やかなものだった。

「八割だな。俺を偵察に出すメリットはないが、デメリットもない。軍は俺が死のうがどうでもいい。たとえ捕虜となっても、有益な情報も持っていない。先日の尋問でそれが証明されている」

 幼き日、愛された記憶と絵本のうさぎ。ソルには抱き締めるものがそれしかない。この状況においては運が良かったというべきだろう。

 何より、ソルはただの空の薬莢か時限爆弾か分からない存在だ。そんなものを抱えて戦争を続けるより、ソルが自ら死地に赴く方が軍も手っ取り早いだろう。

「聖骸は俺を殺さなかった。貴様の言う通りそれがプログラムであるなら、これほどの適任者はいない。そう志願書には記しておいた」

 ハッタリだが、一例でも事実があるだけに多少の説得力は持っている。

「俺は帝国のために忠誠を誓っている。この国のため、この国で育つ子供たちのために共和国と戦う。その信念は揺らがない」

 けれど──そう続け、ソルは指先に微かな力を込めた。

「知りたくなったんだ。貴様の見る、その境界線とやらを」

 ソルの思いを受け止めるように、テンはそっと微笑んだ。

「そうか。せっかく出逢えたのに残念だが、楽しかったよ」

「ワタシモサミシイデス」

 足元で別れを惜しむペゴを愛しそうに見下ろすテンの豊かな黒髪を見詰めながら、ソルもまた鼻先にくすぶる苦味を飲み下した。

「また旅に出るのか」

 ソルの問いに、テンは少し考えた後小さく首を振った。

「いいや、もう少しこの国を見ていようと思う」

「そうか」

 微かな痛みを振り払うように、ソルは真っ直ぐテンを見据えた。

「世話になった。この国に来ることがあればまた会おう」

「ああ」

 二人はどちらともなく手を伸ばし、硬い握手を交わした。その道が、穏やかであれと願いながら。


 偵察部隊の許可が下りたのは、ちょうど夕食を終えた頃のことだった。メッセージには五日後に設定された出発までのスケジュールが羅列されている。その最初に設定されている検査の時間はもう一時間後と迫っていた。検査が終わればソルはオフィスにも宿舎にも戻らず、共和国の偵察に向かうこととなる。


 テンに別れを告げ、ソルは少ない荷物を全て背負い駐屯地のラボに向かう。月だけが照らす道を歩きながら、ふと足元のペゴに視線を落とし思わず眉が下がる。

「ペゴ、検査ばかりさせてごめん」

 ペゴを置いて行く気はなかった。連れ歩くには大変だが、唯一の友と離れる選択肢はない。そうなればソルと同じくペゴの検査は避けられないものだ。傷の付いたままの頭部を見るとやはり胸が痛む。しかし当の本人は傷など何とも思ってはいない。それどころか、どこか誇らしげにソルを見上げた。

「ワタシハズット、ソルトイッショ」

 そんなわけはないのに微笑んでいるような気がした。

「ありがとう」

 微笑みに似たものを浮かべてはみたが、ソルは短く息を吐いた。

「フアンデスカ?」

 ペゴに問われ、唇を噛み締める。不安がないと言えば嘘になる。もしもソルの名を呼んだあの個体が特別なだけだったら。他の聖骸はソルを共和国の敵とみなして襲ってきたら──次は退けられないかもしれない。何も為さぬうちに、死んでしまうかも。

「怖くない」

 ソルはそう言って、再び強く拳を握り直す。

「この国のために行くんだ」

「ワタシガツイテイマス」

 ペゴの言葉に強く頷いて、また歩き出す。


 可能性はないに等しいが、もしかすれば父に会えるかもしれない。その期待がないわけではない。真実が知りたい。戦争を終わらせる何かが掴めるかもしれない。いつでもソルの心臓は、その微かな光の元に動いている。


 いつもより念入りな検査をクリアすれば、武器のレンタルや登録、軍上層部との面接と慌ただしく日々は過ぎて行った。テンは今頃新しいバディと戦地に立っているだろうか。ふとそんなことが夜空を見上げた時に頭を過ることもあったが、あの男は誰とでもうまくやることだろう。


 そして出発の朝、ソルはペゴと共に駐屯地を出た。軍から支給されるものは二週間分の食料と自決用の手榴弾。飲料水確保のための高性能小型濾過装置だけだ。余分な物資など無駄だと、軍も気付いたのだろう。


 陥落したものの共和国が領地を広げていないおかげで、元第十二防衛ライン近くまでは軍のジープが出る。しかし偵察部隊はここしばらく志願者がおらず、それも定かではない。運転手も随分と気乗りしない顔で煙草を咥えている。

「KTα所属、ソル・アルベールです。お願いします」

 早く乗れと顎をしゃくられ、ソルは後部座席の扉を開いた。その瞬間、目の前の光景に思わず瞳を見開く。

「遅いじゃないか」

 シートにもたれ、愛用のTB-20(テンバートン)を抱え、少し悪戯な笑みを浮かべる男。豊かな黒髪をひとつに縛り、戦闘服から覗く首筋にはトライバルタトゥー。先日別れたはずの、テンがそこにいる。

「何故、ここにいる」

 予想外の再会に、ソルはどもりながらも問い掛ける。

「俺も志願してみたんだよ。ソルには俺が必要だなんて、少し話を大きくしてみたらあっさり通った」

 テンは肩を竦め笑っているが、その呑気さにソルの頭には一瞬にして熱い血が上る。

「この任務で生きて帰ったものなど殆どいないんだぞ!」

 思わず声を荒げるソルを真っ直ぐに見詰めたまま、テンは口端を持ち上げ力強くソルの右肩に手を置いた。

「相棒だろう」

 その馴れ馴れしい仕草に、ソルは手を払い瞳を細める。

「誰が相棒だ。自惚れるな」

 ふいと視線を逸らした先で、まん丸の目がソルを見詰めていた。

「ソルハテレテイマス」

「ペゴ!」

 声を上げてテンが笑う。確かにテンがそうしたいのなら、ソルが咎めることではない。そう自分を納得させ扉を閉めると、ジープは黒い煙を吐いて走り出した。わざとむくれた顔で窓の外を睨み付けながら、ソルの胸は確かな温かさを持って高鳴っていた。


 何が待ち受けているのか、ソルはまだ知らない。この境界線の向こう側に、何があるのかも──。



第一部 了

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