五 野良
遥か彼方が黄色く霞んでいる。今夜から嵐になると先程ミシェットから通信があった。迫り来る夕闇と共に、随分と酷くなりそうだ。
休暇を終え、二人は再び配属地点に戻ってきた。あれからソルはテンと一定の距離を保っている。必死で積み上げて塗り固めた全てを、力任せに剥がされてしまうような気がして。自分から噛み付いたくせに、相手が思っていた以上に強大すぎて尻尾を巻いて逃げ出した。悔しさだけを噛み締めたまま、今日も戦地に立つ──。
靡く髪を手で押さえながら、ソルは双眼鏡を覗き込んだまま眉を寄せた。
「風が思ったより強いな。随分と右に流されそうだ。距離は一キロ弱か。貴様の腕で仕留められない事もないだろうが」
テンは側で地面に座り込みライフルを抱えたまま構える気も見せず、ソルが見る先をじっと見詰めている。スコープなしでどこまで見えているかは分からないが、この砂埃では霞んでいるだろう。
「もう少し引きつけるか」
テンの狙撃能力が高すぎるからいつも一キロを超える長距離狙撃をしているが、そもそもTB-20の有効射撃距離は概ね800mだ。それに相手は単体。わざわざ無理に今撃たず、引き込んでもいいだろう。
しかしいつもは意気揚々とライフルを構えるテンは、珍しく興味なさげに頬杖をついた。
「どうかな」
「どうかな、とは」
「野良だろう。予測は難しいな」
ソルは思わず双眼鏡を下ろし、厳しい瞳を下方に投げた。
「その単独行動型に対して全て野良で括るのはやめてくれないか」
「実際そうだろう」
その自信はどこから来るのか、テンはこれまでも単独で動く聖骸の多くを野良と断定してきた。
「自律行動を担う回路が崩壊していてあれ程大人しい筈がない」
野良とは単独行動を行う中で、正気とは思えない行動を取る個体の蔑称だ。今まで実際にソルが見てきた野良も、到底正気とは思えないものばかりだった。地面に這いつくばったり、大きな声で何かをずっと叫びながら怒っていたり。とにかく常軌を逸した行動をとる。
先日第八防衛ラインを陥落させた聖骸の群れは、野良とは少し違うというのがラボの見立てだ。一応にも帝国兵を敵と認識できていたわけで、本来の野良は帝国兵に興味すら示さない場合が多い。
ソルが捕捉した単体で動く聖骸は、随分と理性的に行動しているように見える。あれ程大人しいのであれば、単に単独行動をしている聖骸だろう。共和国側は信徒の自発的な侵攻であり、国家は命令系統を持たないと言い張っているのだから不思議ではない。
息巻くソルを見もせず、テンは銃身にゆったりと骨張った指を這わせながら肩を竦めた。
「アカデミー生は頭でっかちだなんて、噂通りだ」
どこでそんな噂を聞いたのか。休暇の二日目、第七防衛ラインの視察に来ていた大佐に呼び出され家を空けていた間、どこかで情報収集でもしたのだろうか。
腹を立てたソルが再び双眼鏡を覗き込もうとするのを阻むように、ふとテンがソルを仰ぐ。
「いいか、あれは人間だ」
「その妄言も聞き飽きた。あれは人間じゃない。兵器だ。だからこそ胸を撃たれようが足を失おうが、頭が吹き飛び機能停止するまで戦い続けられる。人間なんて脆いものとは比べ物にならない」
あれが人間であったなら、この砂嵐の中単体で敵地に乗り込もうなどとは思わない。それが強い信仰心からくる行動だとしても、ここ数日で仲間がこの未開人に何人狙撃されたか。情報共有くらいはしているだろう。アンドロイドなのだから。
やる気のないテンを無視し監視を続けているソルの鼻先に覚えのない匂いが掠めた。驚いて振り返ると、ペゴを組んだ足の上に抱いたままテンが細い煙草を咥えて遠くを見つめている。
「おい、そんなに近くで吸うな。ペゴが誤作動を起こしたらどうするんだ」
神経質なソルの言葉にちらりと視線を投げ、テンは抱きかかえたペゴの顔を覗き込む。
「だそうですよ、お友達」
「ソンナニヤワデハアリマセン」
誇らしげなペゴを見ながら、テンが肩を竦めて笑う。
「友達に似て自尊心の高いこと」
「嫌味しか言えないのか」
腹の立つ男だ、と吐き捨てて、ソルは双眼鏡に視線を戻す。先程より少しだけ移動した聖骸は、右へ行ってはまた前進したりとふらふらしている。
「止まらないな。だが真っ直ぐ防衛ラインに向かってはいないようだ。規則性のない動きだな」
「だから野良なんだよ。ただただ餌を探してうろうろしているんだよ」
呆れと共にため息を吐き、ソルは不規則な動きを追従しながら吐き捨てる。
「バカを言え、餌など食わん」
聖骸のエネルギー源はバイオマスではなく、基本はソーラーで賄われている。雨が少なく生物が乏しいこの地方では、それが一番理にかなっている。それが餌など、冗談にもならない。
しかしテンは咥えていた煙草を岩肌に押し付け、咎めるような視線でソルを見上げた。
「人間が老いた時、何が残ると思う」
またおかしなことを言い始めたと聞き流そうとするも、テンは言葉を続ける。
「一番強い欲だ」
すっと伸びた指先が、ソルが見詰め続ける先を指す。
「あれは食欲。自分の根底で最も強かったものが最後に残る」
ふと蘇る、あの報告書。何故聖骸が人を喰らい、陵辱したのか。テンの言う通りだとするなら、より悍ましい。
「貴様の理論には嫌悪感しか覚えんな」
逃げるように会話を断ち切ったはずが、酷くなる砂嵐の先を見詰めていた瞳がゆっくりと細められた。
「俺の部族は長年野良神兵に脅かされてきた。君たちが苦戦を強いられるよりもっと前から」
テンの声は低く、そして重い響きを鼓膜に落としてゆく。
「森の動物を狩り、狩ったそばから貪り食う。ただ噛み砕かれた肉片がそこらじゅうで腐敗していた。弓矢は効かず、森の民は逃げ惑った」
ぶるりと身を震わせるソルを仰いだ金色が、燃えるように揺らぐ。
「ソル、あれは人間だ。老いて脳を病んだ、人間なんだ」
バカな、妄言だ──そう言い捨てたいのに、喉がつかえ言葉にならない。
思わず双眼鏡を握る指先に力を込めたとき。不意に聖骸がこちらを振り返った。随分と長いこと彷徨ったのか、その顔面は至る所の皮膜が捲れ隠されていた内部が露呈している。人と見紛う姿をしていながら、その身体を形造るものは白い骨でも肉でもない。灰色の無機物であることを黄色い砂埃の中で晒している。悍ましい姿だ。あれが人間のはずがない。
嫌悪感に吐き気すら覚えながらも観察を続けていると、ふと霞む景色の中できらりと煌めく赤い光が視界を遮った。ぞっと背筋を悪寒が駆ける。今、目が合ったのか──その刹那、激しい閃光が眼球を貫いた。
「っ……!」
声にならない悲鳴と共に目の前が白く弾け飛んだ。反射的に身を低くしながらも、思わず双眼鏡を手放して両手で瞼を覆う。鮮血のように赤い残光を振り払おうと躍起になっているソルの鼓膜を、砂嵐の音に抱かれた微かな銃声が掠めた。次いで上がったくぐもった呻き声に必死で瞼を抉じ開ける。
ぼんやりした世界の中、黒い影が側で蹲っている。テンが撃たれた──そう認識した瞬間にソルは再び双眼鏡を目に当てていた。まだ視界は完全に回復せず、うまく見えない。
「ペゴ、傷の解析を」
ペゴが収納されていたアームを展開し毒性の有無を調べている間、ソルは急いで聖骸の姿を探す。あまりにも予想外の急襲を前にしても頭は回り続けている。
今の光は一体なんだ。それ程強い光線ではなかった。音もなかったから閃光弾の類ではなさそうだが、眼球として嵌め込まれている物質の反射か。
考えながら周囲をくまなく見渡しているうちに視界は晴れてきたが、気配さえ見当たらない。
「見失った」
爪の先でピアスを二回叩きながら、傍のリュックを引き寄せ外ポケットを膨らませる消毒液と包帯をテンへ放り投げる。見たところ意識はある。自分で最低限の手当は出来るだろう。
「こちらh-17。単独型の聖骸の攻撃でテンが負傷した。周辺の探知を頼む。視界が悪い、目視では無理だ」
直ぐにミシェットとは繋がったが、無線機に微かにノイズが乗っている。会話ができない程ではないが、珍しいことだ。
「了解、一番近い偵察機を二機そっちに回すわ」
通信が切れ振り返ると、テンは岩陰に移動し消毒液を手にカーゴパンツを切り裂いて手当を始めていた。傾いてきた西陽に照らされ、赤々と流れる血が光る。撃たれたのは右脚のようだ。
視線を荒野に戻しながらも、ソルは後方が気になって仕方がなかった。
「ペゴ、どうだ」
「ユウガイブッシツハケンシュツサレマセンデシタ」
僅かな安堵にふ、と吐息を吐き、ソルは再びピアスを叩く。
「ミシェット、捕捉できたか」
「ごめんなさい、この砂嵐で強い磁場が発生しているみたいで、レーダーがエラーを起こしているの」
「まずいな。こちらの姿は捕捉されている」
このままだと接近戦になる。
身を低くしたままじりと後退り、ソルはテンの側まで後退した。
「テン、対象を見失った。接近戦になる可能性がある」
「単体だろう、それくらい君一人で頼むよ」
「減らず口が叩けるなら大丈夫だな」
痛みに耐えながらも悪戯に笑うテンを見るに、致命傷ではないのだろう。
「自分の身は自分で守れ。いけるか」
「ああ、油断したのは俺だ。まさか野良に攻撃されるとはな」
今あれが野良か野良ではないのか無駄な問答をしている暇はない。ソルはテンの側を離れ、周囲の警戒に集中した。
砂嵐がどんどん酷くなってきている。耳も目も使えない。機動力を削ぐライフルをその場に置き、サイドアームを抜く。ごうごうと鳴く大気の中、沈む太陽が砂つぶに乱反射して、時間の感覚が揺らぐようだ。
先手を打った方がいいだろう。ソルは拳銃を握り締めたまま崖際まで躙り寄った。来るとしたらここしかない。最後に捕捉した位置からは700m程度はあった。アンドロイドの足で走ったとしても、到達までにはまだ少しの猶予はあるだろう。崖をよじ登ってくるならこちらのものだ。辿り着く前に撃ち落とせばいい。
ちょうど崖に到達した頃を予測し、慎重に端から下を覗き込み、ソルは思わず小さな悲鳴を飲み込んだ。目の前に赤い眼光を光らせた聖骸の姿があったのだ。こんなに早くこの距離を走り、この崖を登ってきたというのか。砂嵐の影響も考慮したことが裏目に出た。完全に読みが甘かった。
「しまった……!」
思考する間もなく、筋肉を纏わぬ細い腕がソルの腕を掴んだ。強烈な力で押し倒され背中を固い大地に打ち付けられる。
まずい、頭の中で一瞬その言葉が浮かび必死に抵抗を試みるが、機械の力に勝てるわけもない。手首を押さえ付けていた聖骸の手が離れ、ソルの顔に向かい伸ばされる。
殺される──そう覚悟を決めた瞬間、頬に冷たい感触が触れた。痛みはない。荒れた皮膜に包まれた指が、まるで愛でるように撫でてゆく。内部が露呈した頬を引き上げて、聖骸は微笑んだ。
「やっと見付けた」
聖骸から放たれた声。それは紛いもない、人工音声とは程遠い、人間の青年の声だった。
「ソウゴ、やっと見付けたよ。宝物は僕が見つけたんだ」
「……え?」
ソウゴ──その名に全身が震え上がる。
「ソル、ソル、会いたかったよ、ソル」
爛れた唇を震わせ繰り返されるものは、自分の名だ。
一体何が起こっているのか、何故自分の名を、何故ソウゴの名を、そんなにも、愛おしそうな顔で──。
混乱と恐怖、そして今自分の置かれている現実が目まぐるしく脳を焼き、ソルは無我夢中で皮膜が捲れ上がった眉間に銃口を向けた。
引鉄を引く指は重く、ソルを逡巡へと引き摺り戻そうとする。けれどソルの中に育まれた正義が、震える身体に力を与えた。
乾いた破裂音が、嵐の轟音に吸い込まれてゆく。聖骸の身体がゆっくりと後ろへ傾ぎ、そのまま崖下へと消えていった。
肩に何かが触れ、ソルは小さな悲鳴と共にそれを振り払い、震える銃口を向ける。
「落ち着け、俺だ」
血で濡れた手でそっと銃口を伏せ、テンが眉を寄せる。
「ソル、平気か」
「あ、ああ、すまない」
慌てて銃を引くソルにペゴが手を伸ばす。ソルの白い頬には、返り血に似た擬似体液がべっとりと付着していた。
「ユウガイブッシツハケンシュツサレマセンデシタ」
太陽が沈む。光を失う世界の中、砂嵐が唸りを上げて大地を震わせていた。




