四 束の間の休息
最初の七日間が過ぎた──。乾いた風が荒野の砂を巻き上げる中、二人は今にも故障しそうなジープから降り、建物の二階部分を占拠するオペレーター室に向かう。ずらりと並ぶ個室のひとつの扉を開くと、モニターと向き合っていたミシェットが振り返り満面の笑みを浮かべた。
「最強コンビのご帰還ね」
新米の彼女は、自分が受け持つ地点で予想以上の成果を出した二人を誇らしげに見上げている。
二日間の休暇に入る前に必要な手続きをするためここに来たのだが、ミシェットの屈託のないその顔を見ていると胸がさざめく心地がした。褒められるべきはテンただ一人だ。殆ど観測手として満足な働きができていない。
とはいえミシェットに当たる気になれないのは、年若い女性が簡易ベッドと狭いシャワールームしかないこの部屋での生活を、崖の上の兵達と同じように強いられているからだろう。モニター前の机には、大量の使い捨てカップや製菓の空袋が散乱している。
戦争さえ終われば、まだ若い彼女の人生をこんな独房で浪費させることもないだろう。
七日間のデータを吸い出している間、感傷に浸るソルの隣でテンが思い出したように声を上げた。
「そうだ、食べ物を買いたいんだが」
やはりエナジーバーで七日間過ごすことに耐えられなかったらしい。最低限の支給はあるが、軍と違い私設兵団の兵は自分で買ったものを持ち込む分には自由だ。かといって、こんな辺境にテンが満足できる保存食があるかどうか。
メモリーの吸い出しが終わり、二人にピアス型の無線機を返しながらミシェットは相変わらず緩みっぱなしの頬を持ち上げた。
「物資の補給ならここから宿舎に向かう途中にあるわ。報酬のクレジットは既にそのロケットに振り込まれているから。特別報酬も出ているし、好きなものを幾らでも買えるわよ」
あれからまた五体を涼しい顔で撃ち抜き、十五体の聖骸を処理したテンに支払われた特別報酬は、それなりの額になっているはずだ。そのバディであるソルも同等の扱いを受けていいのだが、事前に辞退しておいた。その分も上乗せされているだろう。
ミシェットの元を後にして、二人はそのまま割り当てられた宿舎に向かった。第七防衛ラインから異動があるまで、そこが二人の暮らすいわば家となる。同室ではあるが、静かに休める部屋があるだけマシだ。
そこへ向かう道中にはこの街で唯一食料品から日用品までを扱う店がある。ここは第六防衛ラインよりも前線に近いが、まだ住める土地らしく人が残っている。
「そこに住民も使うストアがある。目当てのものがあるかは分からんが、エナジーバーよりはマシなものが手に入る。買い物が終わったらここで落ち合おう」
外観は随分と寂れているが、周辺の建物と比べると大きな店は昼前のこの時間は人も疎らだ。
店先で別れ、ソルは二日間の食料や飲水、生活用品を買ってすぐに店を出た。買うものは決まっていたし、量も多くない。
しばらく待っていると、テンは両手に抱えるほどの紙袋を持って出てきた。一体何を買ったのか、その嬉しそうに緩んだ顔を前に聞く気にはなれなかったが、どうも殆どが食料品のようだ。
そのまま宿舎となる建物へ、浮かれたテンの言葉を適当に聞き流して歩いた。アパート形式の建物の一室、二人に割り当てられた部屋はワンルームで、両脇に二台のベッド。簡易キッチンとシャワールームがあるだけの簡素な作り。前のバディは昼日中から飲んだくれる男だったが、テンはどうか。いなくなってくれるならありがたいが。
買ってきた食材を広げ始めたテンを横目に、ソルは自分の物を冷蔵庫にしまうと腰を落ち着ける間も無く家を出る準備を始めた。
「出かけてくる。この二日はお互いいないものとしよう。食事も勝手にしてくれ。俺のことも構わなくていい」
こちらに視線を向け、テンが軽く頷く。
「分かった」
案外物分かりのいい男で良かった。その安堵と共に、ソルはペゴを連れ家を出た。
この街に質の良いジャンク屋があることはリサーチ済みだった。もう十三年動き続けるペゴは所々ガタが来ている。私設兵団の整備班に頼むこともあるが、軽度なメンテナンスはソルが行っている。その部品や、何か掘り出し物があるかもしれない。ジャンク屋通いは、休みは部屋に引きこもって武器のカタログ漁りや軍が発行するマガジンを読み耽って過ごすソルの唯一の趣味だ。
街外れに佇む店に足を踏み入れると、カウンターでテレビを見ていた店主がちらりとこちらに視線を投げる。気にしていない風を装いながら店内を見て歩く。くたびれた外観とは相反して、品揃えは豊富だ。ジャンク屋とは名ばかりで、ショーケースの中にはなかなかいい武器も取り揃えられていた。その一つの前でソルは思わず足を止め、高揚する気持ちを抑えきれずにガラスに顔を近づける。
細身で滑らかな銃身。男心をくすぐるスマートでありながら重厚感のあるデザイン。このままでも有効射程距離は1000m級。だがバレル交換さえすれば高威力の新弾薬が使用可能で、その場合の有効射程距離は三十口径では最長クラスの1600mを誇る。軍の頒布するマガジンの表紙を何度も飾った、ボルトアクション式狙撃用ライフルの到達点──。
瞳を輝かせて眺めていると、足元で小さな駆動音と共にペゴが大きな口を開けた。
「|SIL-WE1501=γ《シルウィ=ガンマ》デスネ」
「ああ、憧れるな。俺も手にしてみたい」
ソルがいつも借りる| SIL-WE=1001《シルウィ》は、目の前の狙撃用ライフルの初期型だ。初期型とはいえ、長く後継が出なかったほどバランスが取れた優秀な名銃ではあるのだが、やはり最新型には強い憧れがある。私設兵団のレンタル品には並ぶ訳もなく、縁のないものだと思っていた。けれど使う当てもなく、一年で溜め込んだ報酬でギリギリ手が届く金額だ。目の前にあるのに、手が届くのに、武器の所持が認められていない自分が歯痒くて仕方がない。
気落ちしてショーケースを離れ、メンテナンスに使う電子回路や小さな部品を漁りレジに向かう。店主は痩せた瞳を細めソルを眺めたあと、その足元に視線を落とした。
「よく出来たドロイドだな」
「アリガトウゴザイマス」
少し誇らしげなペゴに窶れた心が少し癒され、ソルはカウンターに商品を並べた。けれど店主はペゴへの興味が尽きないようだ。
「この古臭い電子音声は変えないのか?」
「これはこれで味がある。好きなんだ、これが」
店主は深く頷き、ようやくその手がジャンク品に伸びる。
「あんたみたいな客は久しぶりだ。まけとくよ」
何故か嬉しそうに微笑んだ店主が、まるで独り言のようにぽつりと呟く。
「こんな子供が最前線に放り出されているなんてな。どうなるんだろうなあ、この国は」
ソルは答えられず、小さく頭を下げて店を後にした。
宿舎へ帰る道中、鉛を呑んだように身体が重かった。一体この先どうなるのだろう。人の心を持たない残虐な侵攻を前に、帝国はなす術もなく押され続けている。呑み込まれてゆくのだろうか。この大地ごと、全て。
ジャンク屋から帰り、宿舎の扉脇のパネルにロケットを翳す。解錠音と共に扉を開くと、ちょうどシャワールームからテンが出てきたところだった。
「おかえり」
気落ちしていたソルは、その言葉に返事も返さず自分のテリトリーに向かった。買ってきたペゴの部品をベッドの上に投げ、タブレットを開いて頒布されたマガジンの中から気になるものを漁っていると、少し浮かれたような声が背中に投げられた。
「ソル、夕食は決まっているのか」
構うなと言ったのに、夕食を作る気らしい。テンは無防備に下着一枚で徘徊しながら、冷蔵庫を漁って買い込んだ食材を吟味している。
それにしても見れば見るほど腹が立つ。陽に焼けた肌に映える引き絞られた無駄のない身体はしなやかで、トレーニングを積んだ筋骨隆々の軍人とはまるで違う。生きるため、必要なものだけを纏った野生動物だ。
横目で睨みながら、ふとソルは異変に気付き視線を上げた。
「髪を解いたのか」
「ああ。名残惜しいが、新たな地に来たことだし。虫も捕まえてしまうしな」
戯けたように笑い、テンは首に引っ掛けていたタオルで髪を乱雑に掻き乱した。編み込みが解かれ現れた癖が強くうねる黒髪は、民族のものか。その身体中に彫り込まれた模様も、森の民である動かしようのない証。
裸身を飾る壁画に似たトライバルタトゥーをぼんやりと眺めながら、ソルはざらついてゆく心を鎮めようと躍起になっていた。
受け継がれた遺伝子、刻み込まれたアイデンティティ、周囲の認知──同じはずだ。イルガーデン特別孤児院で養育され、この国にとっていつまでも異物であるソルと。それなのに、どうしてこんなに自由に見えるのだろう。
考えれば考える程息苦しく感じ、ソルはベッドに身を投げ先程目星をつけたマガジンを開いた。あまり集中もせずすいすいとページを送ってゆくと、ふと小さな記事に見知った顔が現れた。アカデミーでソルを妬んでいた同輩が、昇進したそうだ。一体何の成果を上げたのか。戦地にも立たず昇進とは、家柄がいい者は気楽なものだ。
もしも、イルガーデンで育たなかったら。もしも真っ当な評価を得られる出自だったら。今自分は何処にいるのだろう。
「ソル」
不意に呼び掛けられ視線を向けると、簡易キッチンの前でフライパンを手にしたテンが笑みを浮かべて手招きしている。
「夕食を食べないか。食材のアレンジは多少必要だったが、森の民の料理だ。いい機会だから食べてみろ」
スラックスは履いたが相変わらず上半身は曝け出し、手慣れた様子で出来上がった料理を皿に移している。誰が食べるか、と胸の内では悪態をついているのに、ふわっと鼻腔の奥に香った香ばしさに、意思と反して大袈裟に腹が鳴る。
「良かった。その顔と違って体は正直なようだ。こっちへ来て座れよ」
羞恥とバツの悪さから睨み付けるソルなど意に介さず、テンは上機嫌でセッティングを進めている。このまま黙っていてもベッドの側まで机を引っ張って来そうだ。それに構うなとは言ったものの、一生縁のないだろう森の民の食事には少し興味はある。
態とらしくゆっくりと身を起こし、ソルはテンの向かいの椅子に腰を下ろした。セッティングを終えたテンは小さな椅子の上で器用に片足を畳みもう片方で立膝をついている。孤児院でもアカデミーでも、こんな体制で食べようものならひどく叱られたものだ。
「食事の前に足を下せ。服も着ろ」
一瞬驚いたように瞳を丸くし、テンは破顔した。
「未開人のスタイルだ、悪かった」
そう言って放ってあった半袖のシャツを羽織り席に戻ると、テンは徐に両手を額の辺りで合わせ瞼を閉じる。それが森の民の儀式なのか、邪魔する気にも先に手をつける気にもなれず、ソルは静かにテンが瞼を開くのを待った。
その隙に目の前の皿に視線を落とすと、想像した通りの料理が並んでいた。メインは芋をすり潰したものを平たくして焼いて、鶏肉を乗せたシンプルな料理。その隣の器は数種類の果物を煮詰めたもののようだ。
「待っていてくれたのか。ありがとう」
その声に我に帰り、ソルは返事をせずまだ湯気が立つ鶏肉にフォークを刺した。口に含んでもやはり見た通りただの焼き鳥だが、しっかり調味料も振ってあるらしく、意外と味は悪くない。
「鶏肉だけだと味気ない。それはジャガイモをすり潰したものでサパと言う。それに包んで食べるんだ」
言われた通り鶏肉の下に敷かれた平らなジャガイモで鶏肉を包んで食べてみる。確かにこの方が美味い。感心しながら食べ進めていると、嬉しそうにその様子を眺めていたテンが少し誇らしげに口を開いた。
「これはもてなしの料理なんだ」
気のない返事を返しながら、ソルは不思議でならなかった。
テンは自身の民族の血を疎ましく思ってはいないようだ。ソルに文化を教え、身体中のタトゥーを曝け出し、今は雑に結ばれたそのうねる黒髪に誇りを持っているらしく切る気もない。それに、もうひとつ。
「何故森を出た。大切な人がいたんだろう」
許嫁という存在が引っかかる。テンが見せた愛しさは、名前と共に心を置いてきた者が醸し出す切なさをソルに見せつけた。そんな存在がいて、何故森を出る必要があったのか。
突然の踏み込んだ問いにも動揺を見せず、テンは口の中のものを綺麗に喉に落としてからようやく口を開いた。
「彼女は共に行きたがったが、俺が許さなかった。こうして戦地に立つこともあるからだ」
確かに女性兵も多くいるが、大切な相手を戦地に連れて行くなどあまり考えられることではない。だがそもそも何故、という問いがずっとソルの心の中で蠢いている。
「そこまでして、何故他国の戦争に加担する」
何故信念もなく、恩もなく、戦争に手を出そうと思うのか。それが一番理解できない。
じっとテンがソルを見据える。その金色は、どうしてか燃え燻るように煌めいている。
「俺は境界線を歩むからだ」
「境界線……?」
低く吐かれた声に思わず息を詰める。
「境界線は常に揺れ動くものだ。ブレずに真っ直ぐ立ち続けることは難しい。どちらの大地にも足を踏み入れ、どちらの正義にも触れなくては見えないものがある。だからこうして旅を続けその国の中に身を置いている」
一体何の為に──その問いは、慌てて飲み込んだ。これ以上踏み込むべきではない。そう本能が告げていたから。
慌てて食事を再開するソルを見詰め、今度はテンが問い掛ける。
「俺のことも少し明かしたのだから、俺からも聞いていいか」
確かに暴いてばかりではフェアじゃない。そう自分を納得させ、ソルは小さく頷く。
ふと凪いだ双眸に見据えられた瞬間、無意識に呼吸が止まる。
「なぜ君はそんなに呼吸が浅いんだ」
なに、と返した声が掠れる。
「君は優秀だ、ソル。自分が思うよりも。それなのに何故自分の権利を放棄した。君の中には、自分を蔑む理由があるのか」
触れて欲しくない最も柔らかいところに、鋭い爪が食い込む。
フォークを握り締める指先が血の気を失い、白く変色してゆく。それでもソルは全身に震えるほどの力を込めて荒く呼吸を繰り返す。
「そんなに怖い顔をするな。君は面白い。だから嫌いじゃない。仲良くしよう」
返事もせず、ソルは果物のスープを啜る。甘酸っぱい液体が喉を落ちる音に夢中になって、奥底で轟く鼓動の音を必死に掻き消した。




