三 真名の在処
テンがその本性を垣間見せた次の日のことだった。長く軍が進めていた第八防衛ラインの解析結果が末端の兵の目にも入ることとなったのは──。
手頃な岩に腰を落ち着けチョコレート味のエナジーバーを齧りながら、ソルは今朝公開された報告書を眺め細い眉を歪めっぱなしだった。報告書には第八防衛ラインで起こった惨状の詳細が、胸焼けするほどの密度で羅列されている。
「酷いな」
思わずそう漏らすと、背後でお手製の食卓に着いて同じくエナジーバーを齧っていたテンが声を上げた。
「ああ、本当に酷い。これを七日間食べ続けるなんて気が狂いそうだ。休暇日はきちんとした飯が食えるんだろうな」
ベリー味はまだいけるが、とぶつぶつ言っているが、文句を言うわりに食べない選択肢はないらしい。ソルは呆れに全身の力が抜けるのを感じながら再びタブレットに視線を落とした。
広大な第八防衛ラインを陥落させたのは、三十体を越える聖骸の群れだったそうだ。眠ることなく、銃弾の雨の中を止まることなく敵は命ある全てを駆逐するため攻撃を続けたらしい。
その戦闘で何が行われたのか、見れば見るほど吐き気を催す。食人、命を弄ぶような解体──そして男女の差別なき陵辱。その文字を見た途端、男の汗の匂いが鼻に触れた気がして腹の底が重く傷んだ。まるでこの世の嫌悪されるべき欲望の坩堝だ。
報告書には、戦場での真っ当な戦闘とは到底思えない蛮行が並んでいる。手足を失っても止まらないアンドロイド兵の恐怖に加え、最近聖骸はより強い残虐性を見せていた。
未知への恐怖か、未知を解明するための犠牲か。軍は防衛を強化するどころか、私設兵団という肉壁を最前線に配置するばかり。このままでは帝国が呑み込まれるのも時間の問題だ。
報告書を上げたラボの見立てでは、この聖骸の暴走ともいうべき蛮行は、自律行動を担う補助回路の劣化によるものではないかとのことだった。聖骸は人間の脳を組み込んだアンドロイド兵である。実現不可能だと言われたその技術をどう可能にしたのか定かではないが、捕獲した聖骸の解剖を行った際、補助的な人工知能の介入が見受けられた。それが劣化により機能不全を起こしているという仮説だ。何が真実かは分からないが、それが一番可能性としては強いのだろう。
ソルは無惨に戦死した仲間を想い、細い吐息を吐いた。悍ましい文字列から視線を逸らした先、テンが食事を終えまたペゴを愛でている。その呑気な横顔を眺めながら、不意に思い出す。
「何故あれを新型だと思った」
突然の乱暴な問いかけにテンが視線を向ける。すっと感情が凪いだ瞬間の静まり返った瞳は、やはり背筋を震わせるほど言いようのない恐怖を感じる。
「動き方だな」
そう口火を切ると、テンはペゴを抱き抱えたまま身体ごとソルと向き合った。
「神兵はこれまでずっと人間だった」
のっけから振り翳された素っ頓狂な理論に、嫌悪感からソルは思わず眉を寄せる。確かに聖骸は見た目は人間そのものだ。身体には何故か血のように赤い擬似体液が流れている。初めて聖骸の頭を撃った時、ソルもまた飛散した血飛沫に動揺はした。だが聖骸の体内に臓器は一切ない。脳のみで果たしてそれが人間と言えるか。
「あれは人間の皮を被った兵器だ」
「意識の話さ」
意識、と呟くソルに言い聞かせるようにテンはゆっくりと首を横に振った。
「新型はそうではない。確かに人間らしさはあるが、恐怖はない」
「恐怖?」
そうだろうか。一体目が狙撃された時、それが恐怖からくる行動かはさておいても、周りの聖骸は慌てふためいていたように見える。
「戦場で仲間が見えない位置から狙撃されたらどうする」
「身を隠すに決まっている」
そうだろう、と頷いて、テンはぐっと眉を寄せた。
「先日俺が撃った神兵は真っ先に仲間の心配をした。情に溢れ、献身的で、戦地において最も不必要な行動だ。それが逆に不自然なんだ」
ソルは思わず生唾を飲んだ。確かにあの時他の聖骸が頭を吹き飛ばされた個体の周りに集まってきていた。ソルはまるで人間だと感じたが、それはここが街中であればの話だ。言われてみると全くその通りだ。エナジーバーの味にぶつぶつと文句を言っていた癖に、その観察眼の鋭さにはやはり舌を巻く。
その実力を目の当たりにしてから、ソルは警戒を強めていた。森の民は文明を頑なに受け入れないほど、プライドの高い民族だ。にも関わらずテンは狙撃用ライフルを何の躊躇もなく扱っている。それどころか、歴戦の狙撃手に匹敵するほどの腕だ。それはとてもセンスだけで身につくものではない。
民族の元を離れ、一体何をして生きてきたのか。何故ここにいるのか。その金色の瞳の奥で揺らぐ焔は、帝国に害するものではないか──それが最もソルの危惧するところである。
「それよりソル、水はいつ浴びれる」
考え込んでいたソルの背中にかけられた言葉があまりにも間抜けで、思わず眉を顰めたまま振り返る。
「何の話をしている」
「帝国に来る前、南に住む民族の髪がなかなか素晴らしくてな。別れの記念に結ってもらったんだが、たまにこの隙間に絡まって虫が死んでいたりするんだ。気になる」
そう言って編み込まれた頭頂部辺りを指先で掻きながらテンは不快そうな顔をしている。不快なのはこちらだと、ソルも負けじと鼻に皺を寄せた。
「汚い奴だな」
「だから毎日洗おうとしているんだろう」
その毒の抜けた顔は、聖骸の小隊を一人で殲滅した凄腕の狙撃手とはとても思えない。のしかかる怠惰感に肩を下げ、ソルは細い息を吐いた。
「あと五日待て。割り当てられる兵舎には温水シャワーがある」
「五日も待ったら痒くなってしまう」
知ったことではない。だが不衛生な男が隣にいると思うと、ソルも落ち着かない。仕方がなくリュックを漁り、支給品の中から小分けされたアルミの小袋を取り出しテンに向かい放り投げる。
「使え。ドライシャンプーだ」
最低限の衛生品だが、ないよりはマシだろう。パッケージを繁々と眺め、テンは幼子のような無垢な笑みでソルを見上げた。
「ありがとう」
どういたしまして、と気のない返事を返す。
「手入れが大変だから、もう解いてしまおうかな」
「切ってしまえ」
結べなくなる、と真剣な顔で訴えるテンから視線を逸らし、ソルは再び荒野を見据えた。
新型の聖骸──それが真実だとしたら、一体これまでと何が変わったのか。そして聖骸の暴走。如何に素人同然とはいえ、三日で広大な防衛ラインを陥落させた兵器を前に、帝国を守り切れるのだろうか。未知が僅かに開かれた先に拡がった、より深い暗闇。
不安と恐怖に背にじっとりと汗が滲む。テンの呑気な思考に流されている場合ではない。常に緊張しなければ。この国を守る為に。
それから数日、二人は崖の上で荒野を見張り続けた。最前線とはいえ共和国側が毎日攻めてくるわけではない。そもそもこれまで食い止めてこられたのは、共和国が軍隊を持たないという特異な状況があったからだ。
共和国は大陸に広く根付く信仰を集結させた宗教国家だ。共和国は、今帝国がある土地はかつて自分達のものだったという主張を繰り返している。確かにそれは事実ではあるが、そもそも同じ神を信仰していた帝国が独立した頃の、もう何百年昔の話である。アカデミーですらその歴史は浅く撫でるだけだった。
テクノロジーのレベルは圧倒的に帝国は共和国に遅れを取っているが、新しい兵器の開発の制限や威力の規制は国際法で厳しく定められている。既存の武器に頼るしかないとなれば、軍を持つ帝国が圧倒的に有利だ。それでも共和国は諦めなかった。その妄執の最たるものが、神兵などというふざけた名前のアンドロイド兵だ。
腕が機関銃になっているわけでもなければ、身体に爆弾を埋め込んでいるわけでもない。そもそも神兵の名が指す通り、ただただ神に仕える兵というだけで、人々の信仰心の元、自ら志願して脳のみ移植しアンドロイドになるのだという。それ故に国家的な命令機関はなく、各々の意志の元に戦うのだと共和国は言い張っているらしい。
この長きに渡る戦争に関して、国際社会は冷ややかだ。核を持たない小競り合いなど取るに足らないのだろう。
かつてこの地は共和国の大地だったかもしれない。帝国の独立は多くの血を流したかもしれない。けれど今ここには信仰を知らぬ人々が暮らし、大地を奪った者など当然生きてもいない。それを今更掘り返して攻めてくるなど、あまりにも利己的だ。
ソルが強い憤りと共に荒野を睨み付ける背後では、今日も気の抜けた男がペゴに夢中になっている。
「ペゴは何をしている」
その問いかけに振り返りもせず、ソルは吐き捨てた。
「周辺の探知だ。元は愛玩ドロイドだが、俺が手を加えて組み込んだ」
軍の許可も下りた、厳しい戦地で生き抜くために必要なツールだ。
「おいで、ペゴ」
とことこと近付くペゴの前に膝をつき、ソルは傍の草を手に取った。
「例えばこの植物が食べられるかどうか、この土の含有成分はなにか、放射線レベルや毒性の高い成分の検出などそういった用途が多い」
ふ、と視線を上げた先。生まれながらの帝国民ならば手の甲に埋め込まれるIDチップが収納されたロケットが映る。
「他には貴様のIDチップの照会も可能だ」
そのロケットは紛いもない部外者の証。この男もソルと同じ、異物だ。
「スキャンシマスカ?」
「ああ、頼む」
ペゴが近付くと、テンは何の躊躇もなくロケットを差し出した。
「便利なものだ」
それどころかそう言ってペゴの頭を使い込んだ手でそっと撫でる。
スキャンしたテンの情報がデバイスに送信され、ソルは待ちきれずに目を通してゆく。IDチップには出自や血統、病歴からこれまでの居住地など全てが詰め込まれている。外から来た人間だろうと、追えるだけ追う。小国であるこの国は、そうしないと生き抜けなかった。
だが画面に指を滑らせながら、ソルは眉を寄せた。テンという名前の他、ヒィメル族という森の民の学術名以外殆どが空欄になっている。定住せず、放浪を続けていたということか。IDの登録自体もごく最近のもので、帝国に足を踏み入れたのは、顔合わせの僅か数日前になっている。
何も分からなかったことに肩を落としながらも、ソルは物珍しいその名前の二文字を眺めた。
「ミドルネームはないのか」
「ない。産まれた胎ではなく、大樹の根から繋がる葉脈のように、我らは全て繋がっていると信じているから」
未開人らしい考えだ、と胸の内で悪態をつきつつ、ソルはタブレットを閉じて顔を上げる。
「それでテンか。偽名かと思ったが、納得した」
その言葉にテンは小さく笑った。
「偽名さ。生まれた時から使っているがな。森の民は、心を預けた相手にしか本当の名を明かさない」
「心を、預ける」
それが何か、ソルには分からない。
「唯一無二の友だとか、最愛の妻だとか」
そっと微笑んだ横顔が、遥か彼方を静かに見据えた。
「俺の本当の名は、部族を離れる時許嫁に渡してきた」
許嫁など時代錯誤もいいところだが、その顔は、勝手に決められた相手に不満を持っている様子はない。それどころか見たことのない、愛しさを抱いているように思える。不思議と胸の奥が微かな痛みを覚えた。きっとそれは自分には一生縁のないものだという諦念がざらざらとした砂のように心を覆ってゆく。
「友にも、渡したのか」
「友はいない。部族の男は競い合うものだから」
そう言って、テンは金色の瞳を細めてソルを仰いだ。
「俺の友になってくれるか?」
「断る」
少し会話した程度で心を許したとでも思ったのか。やはりおめでたい思考回路だ、と侮蔑を含んだ視線で見下ろすソルを前に、テンはおかしそうに笑った。
「つれない奴だな。じゃあペゴ、君はどうだ」
「ワタシデヨケレバ」
人工知能が拒絶を持たない事を知らないのか、嬉しそうなテンを見てソルは肩の力を抜いた。
「ペゴに変な事を吹き込むな」
きょとんと目を丸くするペゴに頬を寄せたテンが悪戯な笑みで囁く。
「君の友達は独占欲が強いようだ」
「ソルハアイジョウブカク、スコシイゾンタイシツデス」
「ペゴ!」
誰が依存体質だ、と吐き捨てて、ソルはそれきり二人に背を向け荒野の監視を再開した。
ここは命を奪い合う戦場だというのに、全く気が抜けていて嫌になる。やはり前のバディであるセルゲイの方が楽だった。こんな風に、心の奥底を抉られることもなかったから。




