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BORDER  作者: 鴻上縞
第三部
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七 旅立ちに戦ぐ

 ストアを出て、ソルは両手に抱えた紙袋を一度持ち直した。休暇の二日で必要なものだけ買ったつもりだったが、これでは一週間分だ。どこか落ち着かなくて、ソルは宿舎への道を急いだ。


 宿舎に辿り着き、パネルにロケットを翳し肘でノブを下げ扉を開けた瞬間、ソルは小さく瞬きをした。

「おかえり」

 窓から差し込む光の中に、テンがいた。まだ高い日差しのせいか、頬色は戻って見えた。血の気を失って崩れ落ちたあの瞬間を思えば、それだけで胸の奥がゆるむ。

「そっちの方が早かったか」

 部屋に上がり、狭いテーブルに紙袋を置く。重い音が響き、テンが目を丸くする。

「随分買ったな」

「いや、まあ、一週間分だ。まだ戦線復帰は先だろう」

 言い訳めいた声になったことが癪で、ソルはすぐに背を向け紙袋を漁る。乾いた包み紙の擦れる音だけが、部屋の隅に残っていた静けさを少しずつ押しやってゆく。


 あれから二週間。駐屯地で一週間の検査のあと、ソルは一人戦地に戻り、先程帰還した。テンはというと、今日が退院の日だった。

 神兵との接触があれば検査は必須。それは諦めていたが、結局テンの見舞いには行けなかった。もちろん様子は気になっていた。今日二週間ぶりにその顔を見て、強張っていた身体から力が抜けるようだった。


 食材を冷蔵庫にしまい振り向くと、テンは怪我をした方の手でペゴの頭を撫でていた。包帯の白が、日に焼けた皮膚の上でまだ新しい。

「もう動かせるのか。頑丈だな」

 呆れたようなソルに悪戯っぽく笑いながら、テンはまだぎこちない腕を動かして見せた。

「思ったより傷は浅かった。急所は狙いきれなかったんだろう。あるいは……」

 そこで言葉が途切れ、ソルは顔を上げる。視線がぶつかる。静かに見詰め合い、テンはふと逸らした。

「いや、やめておこう」

 ソルもまた置く場所を失った視線を手元に落とす。

 あるいは──その先は、二人の小さな希望だ。


 落ち着かず、ソルは自分のベッドの端に腰を下ろした。何かしていないと身体のなかで空いた場所ばかりが気になって、意味もなく爪を弄る。

「さっきまでミシェットが来ていた」

 その声に顔を上げる。

「ソルから頼まれた花を、注文通り樹脂で固めておいたそうだ」

 テンの視線の先を追いかけて、喉の奥が微かに痛んだ。

「枯れかかっていたから」

 ソルのサイドテーブルの上。花弁の一部は赤黒く染まったままの白い花は、透明な樹脂のなかで止まっている。枯れかけていた輪郭だけを、無理に引き留めているようだった。


 再び訪れかけた沈黙を破り、テンはいつもより明るい声と共に表情を崩す。

「そうだ、彼女に礼を言っておいた方がいい」

 何のことだと首を傾げるソルに、使い込まれた指が耳たぶを軽く叩いた。つられるように自分の耳へ手を伸ばす。爪先にピアスの固さが触れる。

「音声データをすり替えてくれたそうだ。君にあらぬ疑いがかからないように」

 検査の際、そこまで厳しくは問い詰められなかった。明らかにソルは神兵に対して情動反応を示したのに。偵察任務で多少印象が変わったのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。

「分かった」

 小さく頷くと、それきり言葉はなかった。


 沈黙が二人の間を埋めてゆく。

 ソルは腰を上げ、キッチンへ向かった。マグカップを二つ並べ、インスタントコーヒーのスティックの封を開ける。

「戦況はどうだ」

 サーバーからとぽとぽと落ちる湯の音に紛れ、テンの声が問いかける。

「大きくは変わらない。ソウゴの影響もない」

 二つのカップを手に、ソルはベッドへと戻る。一つを手渡すと、テンは少しだけ目を丸くした。

「第七防衛ラインがこの先長く最前線となるだろう。あそこを崩すには、やはり相応の軍事力が必要だ」

 少なくとも今の共和国にそれはない。今後も持つ気はあるのか。ソウゴの死は、あるいはそこに影響してゆくのかもしれない。

 先の話──そう思いかけて、ソルは頭を振る。その前に、どうにかこの戦争を終わらせたい。


 ふいに、培養液のなかで白く変色してゆく父の姿が脳裏に浮かぶ。ベッドの縁に腰掛け、ソルはゆらゆらと泥む湯気に視線を落とした。

「父さんに、聞けなかった。何故俺を帝国民としてこの国に残したのか」

 何故他の兄弟のように、共和国の教育を施さなかったのか。辛い運命だとは思わない。けれど理解できないことだけが、いつまでももどかしい。


「ソル」

 不意にテンはそう呟いた。顔を上げると、金色の双眸が優しく揺れている。

「その名は、太陽の意味を持つ」

「太陽」

 ソルは譫言のようにその言葉を繰り返す。

「古い異国の言葉だ」

 ソルから視線を逸らし、テンは四角い窓の向こうを見上げた。

「異国には沢山の信仰がある。太陽はその象徴として使われることが多い」

 細められた瞳は、深い底を撫でている。

「恵み、再生、祈り。だが同時に、乾いた土地では災厄でもある。大地を焼き、荒野の境界線を容赦なく照らし出す」

 全てを焼き払う、絶対的な熱──。

「君は父にとって、そんな存在だったのかもしれないな」

 微かな微笑みをその横顔に浮かべ、テンはカップに口をつけた。


 ソルもつられてコーヒーを舌に乗せる。いつもより苦く感じて、思わずペゴに手を伸ばしたときだった。

「俺は正義という言葉が嫌いだ」

 突然のテンの言葉に、ソルは驚いて顔を上げる。

「これほど流動的で、これほど暴力的な言葉はない」

 組んだ指先が微かに震え、金色の双眸が燃えるように揺れていた。

「君は共和国を撃つことが正義だと信じて育った。戦争をけしかけたのは相手だ。この国を守る為にやらなければならない。戦争を憎みながら、同時に戦争を終わらせるために武器を取る」

 その瞳に射抜かれて、ソルは呼吸を止めた。

「そう教えられてきたからだ」

 世界の話をしているのではない。テンの言葉が、細かい破片となって胸に突き刺さる。

「遮断された世界では、知ることができない景色がある。君にそれを教えた者も、そう教えられて育ってきた。それだけを教えられて生きてきた」

 広い肩が震えている。テンが歩き続けた道が、ソルの前に拡がってゆくようだった。

「戦争における最も重い罪は、無惨に命が失われてゆくことではない。まだ何も知らぬ子どもに教えることだ。これは正しい行為で、あれは殺すべき命だと。だから終わらない。正義が受け継がれてゆくから」

 鋭利な痛みに悲鳴を上げる胸を押さえ、ソルは瞼を伏せる。


 気付いていたはずだ。この国で育つ子どもたちが、自分と同じ苦しみを味わわないように。そのために戦ってきたのだから。


 瞼を伏せたままソルは罪を吐くように呟いた。

「テンがいなければ、俺はまだその正義に縋っていた」

 共和国は悪だ。神兵は兵器だ。そう思い込み、まだそこに魂があることも知らなかった。

「君は強い」

 その囁きに顔を上げる。

「俺に肩を預けられるようになった。涙を見せられるようになった」

 やわらいだ双眸が、静かにソルを見詰めていた。

「大丈夫。もう歩けるはずだ、ソル」

 熱いものが目の奥から競り上がってくる。耐えきれなくなる前に、頬に力を入れ、唇を噛み締めた。


 交わされる言葉のひとつひとつが、別れの手助けをしている。そんな予感がずっと爪の先で燻っている。


 少し笑ったテンは腰を上げ、ソルの前に膝をついた。荒れた指先が、耐えていたはずのものを拭い取る。

「すまないな、気の利いたものがなくて」

 乱暴で、けれど優しい仕草。頷いた拍子に、新たな涙が滑る。

「ほら、相棒の出番だ」

 テンがそう言うと、ペゴが勇んで新しいアームを展開する。ジャンク屋で欲しがった窓拭きドロイドのアームだ。

「ペゴ、ありがとう。だが少し痛いから」

 ソルの頬を拭う動きがあまりにも乱暴で、テンは吹き出して笑う。ソルの頬はまだ硬く、笑みのようなものを溢しただけだった。


 二人は二日間、深い傷を労るように過ごした。並んでキッチンに立ち、同じ食事を食べ、眠りに落ちるまで語り合った。


 早朝、アラームの音で目覚めたソルは、素早く身支度を整える。電気はつけないまま顔を洗い、着替えを済ませブーツを履いたところで、テンが起き上がる気配がした。

「起こしたか」

 靴紐をきつく結びながら問い掛けるソルに、テンは薄闇の中で首を横に振った。

「いや、見送るつもりだった」

 ソルの指が一瞬止まり、また忙しく動き出す。

「無理をするなよ。怪我人なんだから」

 そう言ってしまう自分を恥じながらも、靴紐が結び終わってしまうことが怖かった。

 けれど抵抗も意味はなく、ソルは諦めて腰を上げた。

「じゃあ、俺は行く」

「ソル」

 荷物を背負い歩き出そうとするソルを、静かな声が引き留める。

 振り返ると、テンは首にかけていた細いチェーンを外していた。


 立ち上がったテンがソルの目の前まで歩み寄る。

「これを君に」

 テンは首にかけていたロケットをソルに向かい差し出した。まだ温もりの残るそれは、帝国での存在証明だ。

「君に会えて良かった」

 掌に託された銀色のロケットを見詰め、胸が締め上げられてゆく。

「また、会えるか」

 少し高い位置で小さく笑う声がした。

「君が望むのなら」

 その言葉に奥歯を噛み、顔を上げる。ソルを見詰める金色の瞳は煌めきながらも凪いでいた。

「ありがとう、テン」

 ソルはテンに向かい手を差し出す。力強く握り返された手のひらは、縋りたくなるほどに熱い。その思いに答えるように、ソルもまた強く握り返す。

 どちらともなく手を離し、ソルは振り返り歩き出した。テンの視線だけを、背中に感じて。


 宿舎を出て夜明け前の道を歩く。砂を強く蹴りながら、振り返るまいと。

 ふいに(またた)きを感じ、足を止める。星空を見上げた瞬間、呼吸が止まる。荒野を旅した風がソルの髪を漉いて、去ってゆく。世界が開く音がした。握り締めた拳の中は、まだ熱く脈打っている。


 大丈夫、もう歩ける──ソルは耳の奥で、テンの声を聞いていた。

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