二 戦地の祈り
まだ日も昇らない早朝、宿舎を出た二人は第七防衛ラインのオフィスに向かった。
共和国から帰還した足で軍の駐屯地に向かったため、オフィスに顔を出すのは随分と久しぶりだった。二人が帰還した噂は瞬く間に広まっていたから、ソルには私設兵団の仲間たちから沢山のメッセージが届いていた。どれにも返事はしなかったが。
管轄のオペレータールームに入ると、ミシェットが待ち兼ねたようにモニターの前から立ち上がった。相変わらず机の上には空のカップと菓子袋が散乱していて、彼女の激務を物語っている。
「二人ともおかえりなさい。無事で本当に良かった」
今にも泣き出しそうな顔で駆け寄るミシェットから、ソルは無意識にわずかな距離を取る。代わりに一歩踏み出したテンが、微笑みながら小さく頷く。
「偵察の疲れは取れた?」
「ああ、問題ない」
テンの返答に、ようやくミシェットの顔に笑顔が溢れた。
「さすが最強コンビだね」
呑気な思考だ、とソルは胸の内で吐き捨てる。入り口に立ち尽くしたまま、ソルが手続きを急かそうとしたとき。丸い瞳がこちらに向けられた。
「ねえ、ソル」
潤んだ双眸を前に、ソルはまた喉を引き攣らせる。
「次の休み、もしよかったら──」
「次の約束などするな」
今から戦地に行く者に向けて発する言葉ではない。そのソルの叱責を含む押し殺した声に、ミシェットは肩を強張らせる。
「ごめんなさい」
「地点配置の手続きを進めてくれ」
俯いたまま頷いて、ミシェットはモニターの前へ戻って行った。何か言いたげにこちらを見詰めるテンを睨み、ソルは淡々と手続きを進めた。
簡単な手続きを済ませ、ジープに乗り込んでしばらく。窓の外に視線を預けたまま、テンが突然口を開いた。
「ミシェットが嫌いか」
タブレットでここ一週間の天気図を眺めていたソルは、目を丸くしてテンを振り返る。
そんなつもりはない。ミシェットは若いながら優秀なオペレーターだ。それはソルも認めている。
「どうにも、苦手なんだ。ああいう目で見られるのが」
無遠慮に奥底まで踏み込み、消費しようとするような、あの湿った熱。情を宿した瞳は、やはりソルの背筋を凍らせる。
「アイリスでは克服できなかったか」
「アイリスはまた違うだろう。最初は驚いたが、彼女には、ある種の欲がなかった」
テンがこちらを振り返る。ソルは咄嗟に視線を足元のペゴに落とした。
「俺にはよく分からんな」
微かなため息がソルの耳に触れる。
「君のその繊細な棘が、人の心を惹くのだろうな」
「人聞きの悪いことを」
微かな苛立ちとともに手元の画面に視線を戻し、しかしソルはふと眉を顰めた。
「俺のせいだと言いたいのか」
液晶を撫でる指が強くなる。
「そうは言っていないさ。ただ、自分を好いてくれる相手には優しくしてやってもいいとは思うが」
「余計なお世話だ」
ソルが吐き捨てると、テンは小さく息を呑んだ。
「そうだな、すまなかった」
驚いて隣を振り返ったが、あの金色はもう荒野を映していた。その横顔に何も言えず、ソルはそっとタブレットを閉じた。
降車地点に到着し、ジープを下りて崖を登りきった先。狭い拠点の味気ないほど見慣れた景色。荷物を背負ったまま崖の端に立ち、ソルは真上まで登った太陽の眩さに瞳を細めた。
第七防衛ラインへと戻ってきた。特に喜びはないが、眼前に広がる荒野は少しだけ季節が進み、緑の葉は落ちた。黄色い砂を巻き上げて風が吹き、ぽつんと取り残された岩山が霞んでいる。
僅か二ヶ月近く離れた戦地は、記憶のままそこにある。録画データの解析が済むまで、またここで襲い来る神兵から国を守るだけだ。
荒野を見張り、旨くもないエナジーバーで栄養を補給し、神兵が現れたら防衛ラインに近付かないよう処理をする。
変わらない日々だ。
防衛ラインで監視を続けながら、ソルは二ヶ月の空白を埋めるように、暇さえあれば戦況報告書と戦闘ログを読み漁っていた。
「ソウゴを失った混乱はないようだな。それとも、影響はこれからか」
どう思う。そう問うて、ソルはタブレットに指を滑らせながら戦闘ログを再読する。戦況は二人がこの国を離れる前と大差はない。
単独の神兵が目立ち、時折少数の群れが観測されている程度。第八防衛ラインと違い、圧倒的に帝国有利なこの地形では、いかに私設兵団の兵が素人といえど脅威にはなっていない。
ソウゴの死による影響は見受けられないことに、ソルは首を傾げる。
ふと考える。ソウゴは神兵にとってどのような存在だったのだろう。神兵を創り出した者。絶望する信徒の魂を救おうとした男。もしかすれば、神兵にとってソウゴはソルと同じ、父のような──。
そこまで考え、ソルは顔を上げた。
「テン」
呼びかけに反応も見せず、テンは崖の淵で胡座を組んだまま、愛銃を支えに遥かを見詰めている。
「貴様の意見が聞きたい」
ソウゴの死の影響はないのか、それともこれからなのか。ソルには計り知れないそれを、テンはどう考えているのだろうか。それが知りたくて問うたのだが、相変わらず細められた瞳を遠くへ置いたまま、テンはぽつりと呟いた。
「どうだろうな」
軍の検査がそれ程大きなダメージをテンに与えたのだろうか。まさか、ソルと同じように搾取の対象になったのか。そう考え首を振る。テンがそれに従う謂れはない。そもそもテンは傭兵だ。
確かにマルグ大佐が私設兵団の指揮権に似たものは持っている。共和国に押されているという現状がそうしている。けれど私設兵団に所属する者は、厳密に言えばそれに従う必要はない。
この国は軍事国家ではないのだから。
ソルが考え込んでいると、ミシェットから通信が入った。
「h-17、半径三キロに複数の聖骸反応を検知。警戒して」
「了解」
素早く頭を切り替え、ソルは双眼鏡を覗き込んだ。三キロ四方をくまなく探すうち、人影が見えた。
「聖骸の小隊を捕捉」
ソルはそう言ったっきり、黙り込んだ。
大地を撫でる風の中、四体の神兵は、どこか互いを労わりながら隊列も組まずに歩いている。
「巡礼地を目指しているのだろうか」
思わずそう溢し、慌てて思考を引き戻す。
「北東二十度。距離は2500。枯れ木の脇だ。この距離だと十センチほど右に流れそうだ」
風の読みなどテンの方が心得ているだろうに、と自嘲しながら、それならばテンに必要な情報は何かと頭を回す。
「四体の小隊だ。一キロ圏内に入るまでに三体処理しておきたいが、少し待とう」
テンは曖昧に頷いて、構える様子もなく大地を見詰めている。
「真っ直ぐ防衛ラインに向かっているな」
このまま進むと開けた場所に出る。
「1300から100刻みでの処理が理想だ。いけるか」
テンはすぐには答えず、その瞳はただ静かに荒野を映していた。やがて、短く息を吐く。
「問題ない。初弾の位置は任せる」
「了解」
その時を図りながら、ソルは注意深く双眼鏡を覗き込んでいた。
神兵に集中していたソルは、不意に視線を感じ振り返る。テンが、真っ直ぐにこちらを見上げていた。
「なんだ」
「ああ、いや」
歯切れ悪くそう答えると、テンは重い動作で身を起こす。ソルもまた双眼鏡に集中し、動向を見守る。
やはり真っ直ぐに崖を目指しているようだ。その道の先には、王都がある。
「三角形の岩が見えるか。あれに到達したらいこう。狙撃タイミングは任せる」
テンは頷くと、ライフルを構えた。
乾いた破裂音が響いた。硝煙が香るのと同時、ソルの視界の真ん中で、先頭の神兵の頭が吹き飛んだ。血飛沫は風に乗り右に流れてゆく。一瞬足を止めた神兵達が、突然の狙撃に逃げ惑う。
キン、と鋭い音を立て、空の薬莢が岩に落ちる。二撃目──岩陰を目指していた神兵が倒れる。旧型か、とソルが胸の内で呟いているうちに、三撃目。
次々に倒れる仲間たちの亡骸の傍らで、最後の一体が地に膝を落とし祈っている。死を覚悟したのだろう。
四撃目が放たれた。残響が失せた後の荒野には、赤い血溜まりがてんてんと落ちている。通り過ぎる乾いた風が、胸に微かな痛みを残した。
双眼鏡を下ろし、ソルはピアスを爪の先で叩く。
「こちらh-17。聖骸の小隊を殲滅した」
「さすがね。偵察機を飛ばしたけど、十キロ圏内にもう反応はないわ。少し休んで」
「了解」
通信が切れる。ソルは無意識に吐いた細い吐息を風に乗せ、弾の装填をするテンを見下ろした。
「相変わらず凄まじい腕だな」
ふ、と顔が上がる。
「ソル」
朝焼けのような金色の瞳が、かすかに揺れている。
「……いや、なんでもない」
「なんだ。言いたいことがあるなら言え。指示が間違っていたか」
テンはライフルを肩にかけ、首を横に振りながら立ち上がった。
「いや、君が平気ならいいんだ。俺は問題ない」
「俺は別に、いつも通りだろう」
返事もせず、テンは崖淵を離れて歩き出した。
「少し休む。一時間で起こしてくれ」
テントに消えてゆく背中が、ひどく遠く見える。ソルは堪らず視線を前へ戻した。
黄色い砂埃を巻き上げながら風が低く這ってゆく。荒野に伏した神兵たちの魂を、静かに抱き込むように。




