一 帰還
共和国偵察特務報告書
作成者:私設兵団 KTα所属ソル・アルベール
一、共和国中心部の状況について
共和国内は概ね高度な秩序を維持していた。街路、建造物、公共交通網はいずれも整備されており、住民の生活にも大きな混乱は見られない。市民は平静を保ち、食事、移動、祈り等の日常行動を通常通り継続していた。
一方で、Cエリアと呼称されるエリアにおいては、思考乖離状態の神兵が隔離されていた。
近年帝国で残虐な行為を繰り返す個体はこれに該当すると推測される。思考乖離については、二に記述する。
また、共和国住民の精神的基盤は強固である。これは単なる行政機能や物資配給によるものではなく、信仰を中心とした共同体意識によって支えられているものと推測される。
共和国市街地の様子については録画データ14、36。Cエリアの様子については録画データ22を参照。
二、神兵について
共和国側戦力の中核である神兵は、外見上ほぼ人間と同一である。血液に似た擬似体液が体内で循環し、痛覚、味覚、睡眠欲、排泄機能を有し、性機能に相当する模造器官も備える。これらは単なる擬装ではなく、神兵内部に残された人間脳へ「人間である」と錯覚させ続けるための機構であると考えられる。
共和国の主張によれば、独立戦争以降、帝国が共和国における巡礼地の上に王都を置いたことにより、信仰における環光という魂の救済を受けることが叶わなかった。そのため、魂の保護を目的として神兵が生み出された経緯がある。
確認した範囲では、神兵の本質は「人間の脳」と「補助知能」の複合体である。旧型神兵においては、人間脳の老化または損耗により補助知能との同期が乖離する現象が発生している。共和国側ではこれを思考乖離と呼称していた。
思考乖離の症状は以下の通り。
•記憶混濁
•自己認識の不安定化
•執着対象の固定化
•強迫的な反復行動
•最終的には最も強い欲求に従った逸脱行動
脳が機能を停止すると、人工知能へと切り替わる。新型神兵はこの欠陥を補うため、補助知能による制御比率を高めているという証言を得た。
以上より、神兵は共和国にとって「魂を仮置きする器」として扱われている。戦力である以前に、信仰と死生観の延長線上に置かれた存在である。
三、ソウゴ・ササイ
共和国中枢部において、ソウゴと呼ばれる個体と接触した。当該個体は肉体を伴わず、生体脳のみが保存された状態にあった。外見上は培養液内に維持された人間の脳であり、外部出力装置を介して会話が可能であった。
聴取内容から判断するに、神兵の基礎概念はソウゴにより構想されたものである。神兵が単なる軍事技術ではなく、宗教的救済の延長に位置付けられていることを裏付ける証言を得た。
また、巡礼地については「移動不可能」と断言した。理由は明確であり、彼らにとって巡礼地は地理上の拠点ではなく、「光の生まれた場所」そのものであるためだという。
したがって、帝国側が考え得る妥協案、すなわち巡礼地の移設または代替は、共和国にとって本質的解決にはなり得ない。
加えて、ソウゴは神兵開発が失敗を孕むものであったことを認めている。人間は想定以上に脆弱であり、魂は崩壊すると明言した。これは思考乖離の存在とも一致する。
これに関しては、録画データ28を参照。
当該個体は高度な知識と判断能力を保持していた一方で、特定対象に対し強い情動反応を示し──
キーボードの上を走っていた指がぴたりと止まった。それ以上動かす気になれず、ソルは頬杖をつき、耐えきれず息を漏らした。
書き上がった報告書を眺める。けれど言葉は滑り落ちてゆく。
ソルはため息と共にタブレットを閉じた。狭い部屋を見回して、空のベッドで視線を止める。
テンは明け方近くに出て行ったっきり、昼を過ぎても帰ってはこない。帰還してからずっとそうだ。二人のベッドの間で切り取られた四角い窓に視線を投げ、ソルは思いを馳せた。
提出した録画データは一ヶ月を超える膨大な量であり、全てを確認し精査するには同等以上の時間を要する。共和国の中枢であったソウゴの暗殺は、軍にとって大手柄のはずだ。だが、それがどのような結果をもたらすのか。
そこに喜びがないことが、ソルを落ち着かなくさせていた。
ソルは椅子から立ち上がると、机に広げたキーボードとタブレットを片付け、ベッドに投げ出してあるジャケットを羽織った。
「散歩に行こうか、ペゴ」
「テンヲサガシマスカ?」
曖昧に頷いて、ソルは宿舎を後にした。
軍による精密検査を受けたのは、ソルとペゴだけではなかった。テンもまたラボに一週間留め置かれ、共和国による諜報活動の媒体となっていないか厳しいチェックを受けた。
当然二人とも検査はクリアし、一週間の休養の後戦線復帰が許可された。けれど執拗な身体検査、尋問官による面談、ソルと同じ密度の疑いをかけられたテンは、どこか塞ぎ込んでいるように見えた。
誇り高き自由なあの男にとっては、やはり屈辱的だったのだろうか。
二人が夜明けを待ちながら語り明かした丘の上に、豊かな黒髪が棚引いている。背を丸め、指先で小石を転がしながら。
「テン」
ソルの呼びかけに横顔だけ寄越して、テンはまた遠い地平へ向き直る。その傍に歩を進め、ソルは慎重に問いかけた。
「一人になりたいか」
テンは少し驚いたように顔を上げ、けれど首を横に振るとソルに向かい手を差し出した。素直にその手を握り、引かれるまま隣に腰を下ろす。
ソルが座ったことを見届けて、再びその金色は地平を映す。
「君のことを考えていた。軍の検査を受けている間中」
遠くを見詰める横顔は、やはりどこか沈み込んで見える。
「不愉快だろう。人に根底を疑われることは」
テンは横顔で微笑むと、指先に握っていた石を遠くへと投げた。こつん、と小さな音が、二人の間で寂しく響く。
「君は、強いな」
ぽつりと呟かれた声の響きに、ソルは息を呑んだ。ただの同情ではない。テンはあの密室で、かつてのソルが何に耐えてきたのかを、その身で知ったのだ。
テンの痛みに触れながら、ソルもまた晴れ渡った空の下に広がる荒野を見た。
「一人では何もできなかった」
それを、今ようやく噛み締めている。
二人はそれきり黙り込み、地平線を見詰めていた。砂を巻き上げる風が吹いても、目を逸らさずに。
強くなどない。強くありたいと、いつでも願っているだけだ。




