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BORDER  作者: 鴻上縞
第二部
16/17

七 源へ

 地平線を切り裂いて、朝日が昇る。


 手元のタブレットを見詰めるソルの脇で、靡く黒髪を結いながら、テンがぽつりと呟いた。

「荒れそうだな」

「ペゴが五キロ先に砂嵐を観測している」

 火の始末をしていたアイリスが、慌てて駆け寄りソルの手元を覗き込む。

「ドームの方だ」

 急ごう、と続いたアイリスの言葉で、三人は素早く野営地を片付け地下のホームに向かった。

 階段を降り切った景色は、寸分の違いもない。緑の光の中、寂しく佇むベンチ。

「次はいつ来るんだ」

「もうすぐ来るはず」


 アイリスの言葉通り、ほどなく空気を押しながら現れた鉄の塊が停車した。

 無言のまま乗り込んだ三人がそれぞれ間を空けて席に着き、やがて扉が閉まり走り出す。生気のない車内で、ソルは薄い息を吸う。


 ふとテンの言葉が浮かんでくる。アイリスと心を通わせることで、何が壊れるか──いや、少し違ったような気もするけれど、確かめようもない。

 確かにソルの心は大きく揺らいだ。信仰の中心に立つ意味。聖骸の中に残る魂。アイリスという、一人の少女を認めること。それは大きな変化ではあるが、全てが覆ったわけではない。


 自分が何を求めているのか──まだ靄がかかったまま。姿は朧げだ。


 時間潰しにペゴの身体の汚れを拭いながら、ソルは幾度も手を止める。

 ソウゴに会った時に、何を話すべきなのか。この戦争を終わらせたい。それが変わらぬソルの願いだ。けれどアイリスに出会い、共和国の痛みを知ってしまった。満ち足りて見えた笑みの裏。彼らにもまた苦悩がある。

 ペゴの駆動音が振動として指先を震わせ、ソルは思い出したようにウエスを持つ手を動かした。

 帝国が王都を移すことなどできるだろうか。そこにはもう営みがあり、命がある。聖地への執着を捨て、共和国側が巡礼地を移せないのか。そんな考えが平気で頭を過ぎり、ソルはまた手を止める。


 そこに希望を見出してしまうのは、信仰を知らぬからなのだろうか。


 憂を吐いて、ソルはペゴを膝から青漆のシートに下ろし腰を上げた。通路を挟んで座っていたテンがこちらに視線を向ける。それを視界の隅で感じながら、ソルは二つ前の席に座るアイリスの元へ歩み寄った。

 通路を挟んだシートに腰を下ろす。俯いて指先を見詰めていたアイリスが顔を上げた。

「新型の聖骸……神兵にも脳はあるのか」

 アイリスは曖昧に頷いて、再び膝の上を見詰めた。

「思考乖離は、思ってもいなかった現象だった。だから新型は少しだけ人工知能による制御を強めたんだ」

 太ももの上、爪が落ち着きなく繊維をなぞっている。不安になり、ソルはアイリスの顔を覗き込む。

「どうした」

 整いすぎた横顔には、深い苦味が滲んでいる。

「彼らの魂は、失われてしまったような気がするんだ」

 その言葉に、胸の空洞に乾いた砂が降り積もってゆく心地がする。ソルはそれ以上何も言えず、アイリスの薄肉色の爪が、ぶつけどころのない感情を引っ掻き続けるのを見詰めていた。


 やがて目的の駅に着き、三人はホームに降りた。見慣れたホームを抜け、地上へと続く階段を登る。

 緑色の導光板だけが満ちた世界から一歩外へ──世界の肌理(きり)が変わる。胸の奥深くで囁きがした。ここが、源だと。


 嵐が近付く爛れた空の下、砂を巻く風の中に沈み込む半円形のドーム。白い屋根は継ぎ目もなく、微かな歪みすらもない。その天辺で、円環のシンボルが回っている。時を刻む長針のように、ゆっくりと。

 遥かに望むドームに向かい歩く三人の間に、言葉はない。

 統制された景色。寸分の狂いもない設計。手を繋ぎ歩く親子。塵の一つもなく、笑顔ばかりが張り付いた真っ直ぐな白い道。


 歩き続ける。純潔すぎる輝きの中を。


 憎んでいた。この国を。この国の人々を。それが全て消えたわけではない。それでもソルはもう、敵意だけに身を浸すことができなくなっている。

 この先に答えがあるのだろうか。その問いを引きずりながら、ソルは浅くなる呼吸を鎮めることに集中する。見極める。父が何を思い、そして父が、何をソルに残そうとしたのか。


 辿り着いたドーム。道の先で口を開ける深い虚。その中へと足を踏み入れる。荒野の匂いさえ、ここには立ち入らない。誰も皆深く首を垂れている。ソルの歩く道を開け、最奥へと導くように。

 ソルは踏み出す足と同じ速度で胸を叩く鼓動の音を聞いていた。気味の悪さはない。ただただ、ざらついた、けれど重い湿り気だけが胸を満たしている。


 何かを信じ命を賭ける意味を、ソルは知っているから。

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