四 呼び声
森を抜けた先、立ち塞がる断崖のような白い壁──数多の帝国兵の命を呑み込み続けた場所だ。果たして足を踏み入れることはできるのか。本当に無事に帝国に帰り着くことができるのか。不安ばかりが足を鈍らせる。
壁の前で逡巡するソルを置いて、二人はみるみる壁に近付いてゆく。ペゴが側にいれば引き返していたかもしれない。けれどテンの括った髪にしがみつくペゴは、ソルの気も知らず口を開けて壁を見上げている。これから敵地に正面切って踏み入れるというのに、呑気なものだ。
敵地──その言葉を噛み締めながら、ソルはアイリスの瞳を思い出していた。本当にあれはアンドロイドのものなのか。アンドロイドに、あれ程精密な感情表現ができるのか。
彼女の小さな頭の中には脳がある。身体中を赤い液体が流れている。そして、魂がそこには宿っている。
重い頭を振って、ソルは無理矢理に足を踏み出した。そんなはずはない。アイリスは聖骸だ。帝国を脅かす、アンドロイドだ。何を言おうと耳を貸す必要はない。所詮は詭弁だ。帝国の大地を狙い、無慈悲に攻撃をしている敵だ。
短く息を吐き、ソルは二人の後を追いかけた。
少しもいかぬうち、遂に長年帝国を苦しめた壁に到達した。巨大な鉄門の前には人集りが出来ている。皆こちらを見詰め、指を組んでいるものさえいる。
「大丈夫、歓迎しているだけ」
アイリスはソルに向かいそう言うと、足を止めることなく人集りに向かった。恐る恐るその後に続く。近付くにつれ、一定の距離を保ちながら人が割れてゆく。
アイリスの言う通り、誰もソルに近付いては来ない。だが誰もが瞬きもせずソルを見詰めている。測ったかのような、同じ距離で。
無数の唇が動いている。なんと言っているのか聞き取れないくらいの囁きが、ひどいノイズのようだ。
「やめさせてくれないか」
ソルの言葉に振り向いたアイリスの細い眉が歪む。
「ごめんね、みんな嬉しいんだ」
慌てた様子で駆け出したアイリスは、一人の青年の前で立ち止まると、青年の胸に手を当て囁いた。
「お願い、ソルが怖がるから。みんなに伝えて」
アイリスを見詰めていた青年の瞳が赤く明滅する。返事はない。しかし次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように聖骸たちはその場を離れていった。目の前の光景に、ソルは絶句していた。
「新型か」
テンの声に記憶が蘇る。あの崖で初めてテンが聖骸の処理をしたときに、テンが話していたことだ。新型の人間らしさは、不自然だと。
「テンは詳しいね。そう、国境を守るのは新型神兵の仕事」
行こう、と言ってアイリスが歩き出す。ふらつきそうな足でソルはその後を追った。
見た目は人間と見分けがつかない。なによりアイリスは感情豊かだ。とてもアンドロイドとは思えないほど精巧なのに、新型の行動は機械というに相応しいほど無機質な瞬間がある。
どうして。人間を模倣する方が高度な技術を要するのに。つまり新型は、戦争のために生み出されたということなのだろうか。人を殺すため──。
朦朧と考え込むソルは、門の中に足を踏み入れたことにすら気付かなかった。
「ねえ、お腹空いてない?」
突然耳元近くで聞こえた声に、ソルは飛び跳ねるようにして身構える。反射的にサイドアームに伸ばした手はテンにより阻止された。混乱するソルの脇を、聖骸が通り過ぎてゆく。
「今日は混む前に角のステーキハウスに行こう」
その言葉を残し、二人の若い聖骸は手を繋ぎ、微笑みを交わしながら歩き去って行った。
「何をしている、ソル」
テンの声に微かな安堵を覚えゆっくり肩の力を抜いてゆくと、自分の体内に響く荒い呼吸が余計に際立つ。ここは敵の腹の中だ。緊張するなという方が無理な話。けれどこれではどちらが未開人か分からない。
バツが悪くてテンの腕を振り払いながら、ソルは取り繕うように早口で問い掛けた。
「聖骸が食事をするのか」
「ソル、共和国に入ったんだ。蔑称は控えろ」
喉まで出かかった言葉をぐっと呑み込む。テンの言う通りだ。余計なプライドは命を危険に晒すだけ。分かっているが、ぞわぞわと背筋を撫でる恐怖から気がおかしくなりそうだ。
二人から少し距離を取っていたアイリスは、少し困ったように微笑んでいる。
「食事もするよ。肉も、魚も食べる」
何のために──その言葉も、ソルは呑み込んだ。
新型の動力は、まさか生体由来なのだろうか。そんなはずはない。旧型はソーラーだった。荒野で行動するのなら、その方が圧倒的に理にかなっている。今さらそれを生体燃料に変えるとは考えられない。だとしたら、聖骸は意味もなく食事をする。一体、何のために。まさか、人間の模倣か──。
悍ましい可能性に痛む頭を振って、逃れるように視線を上げたとき。白い石畳の先に目を疑う標識を見付け、ソルの脳は揺れた。
「見ろ、トイレだ」
いや、神兵になっていない人間だってまだ存在しているはず。おかしくはない。そう一度は考え落ち着きかけたソルを、アイリスがさらに混乱させる。
「そう、えっと、私たちには、その、排泄器官もある」
少し恥ずかしそうにそう言うアイリスは、まるで年頃の少女だ。そもそもどうして頬が染まるのだろう。無機物の身体に体温があるというのだろうか。何のために。
ソルは思わず頭に手をやり、くしゃりと髪を握り締めた。細い毛先が指先にちくちくとした刺激を与える。それよりも、頭が痛い。
緊張と混乱からひどく息が上がるソルの肩に、テンの大きな手が触れた。
「血が流れ、ものを食べ、排泄もする。言ったろう。神兵は人間だ」
意識の上の話だろう、そう言いかけて、ソルはテンを睨み付けた。
「何故そこまで詳しい」
「この国にも立ち寄ったことがある。共和国は鎖国気味だが、森の民には友好的だ。自然と共生する民族の文化は興味深いそうだよ。大きく見れば帝国と同じだろう。未開人を見下している点で言えば」
口元に浮いた皮肉な笑みに、竦み上がったソルの胸が跳ねる。つま先がむずむずして、どうしようもなく居心地が悪い。
そんな二人の間に、弾むアイリスの声が響く。
「二人とも、こっち。今日はゆっくり休んで」
アイリスが手招く場所には正方形の建物があった。周囲には同じものが均等に建ち並んでいる。余りにも整頓された景色。聖骸の家だろうか。本来なら全身で警戒しなくてはならないが、正直ソルは今にも倒れそうだった。
建物の内部は同じ間取りの部屋がいくつもあるようで、ホテルというには規模が小さく、家というには大きい。エントランスホールから続きでキッチンダイニングとなっていて、二階部分に四部屋。中も目眩がするほど均一で、壁の角が削り出したように整いすぎている。
「一体誰の家だ、ここは」
警戒心を露わに問うソルに、アイリスは曖昧な笑みを投げた。
「なんて言ったらいいのかな。空き家かな」
「勝手に使っていいのか」
こんな所で不法侵入で捕まったらたまったものではない。
「共和国の国民は、所有を持たないの」
「所有……?」
「そう、何もかも皆のもの。ひいては、神のもの」
その神とは一体なんなのか、ソルは苛立ち始めていた。
崇める対象、信仰の象徴。だから、なんなのだ。神は一体何をしてくれる、何を与えてくれる。そんな不明確なものに命を捧げ、肉体まで捨てて、何になる。そしてアンドロイドになってまで食事や血、排泄──煩わしい生理現象を行って、まるで必死で人間の模倣をしている。訳が分からない、理解できない。
また酷い頭痛に襲われ、ソルは頭を抱えた。心配したアイリスは、一瞬駆け寄ろうと踏み出した足をゆっくりと引いた。
「ソル、もう休む?」
「……ああ、横になりたい。気が狂いそうだ」
「そうだな、ゆっくり休むといい。二週間ろくに休まずここまで来たんだ」
テンはソルが背負うライフルと荷物を受け取り、そのままアイリスに手渡す。同じ道を来たはずが、この差は何だと恨みがましく睨みながらも、その逞しさが羨ましくてならない。
睨むソルに気付くと、テンは悪戯っぽく肩を竦めた。
「アイリス、ソルを頼む。俺は少し散歩をしてくるよ」
テンはそう言い残すと、不用心にも愛銃さえ置いて建物を出て行った。しかしテンが武器がなくとも大丈夫だと思ったのならそうなのだろう。その辺りの信頼は厚い。
アイリスに促されるまま階段を上がり、案内されたのは一番奥の部屋。
「ソルが一人で使えるから、安心してゆっくり休んで。部屋にシャワーもある。お腹が空いたら下に長期保存用の缶詰とかがあるから、どれでも好きに食べて」
「分かった」
他に何か説明はあるのか、ソルはじっとアイリスを見詰めた。不意にモスグリーンの瞳が揺れる。ぱっと逸れた視線。髪を耳にかけ、少し血が通った頬。
「じゃあ、また明日」
ソルが呆気に取られているうちに、アイリスによって扉は閉められた。
一体あの反応はなんだ、と不審に思いながら、ソルは扉に鍵をかける。どこかに盗聴器や監視カメラがあるのではないか。赤い光を探して部屋中を彷徨いてみたが、どうも見当たらない。
「ペゴ、何か感知できるか」
小さな駆動音と共に、ペゴは周囲を歩き回る。
「トクニイヘンハアリマセン。アンゼンデス」
「そうか」
ペゴの手前そう言ってはみたが、共和国のテクノロジーを甘くみてはいけない。ペゴの安い探知機能など、簡単にすり抜けられそうだ。しかしやはり特に不審なものは見当たらない。
最低限の家具しかない部屋。ベッドと、机とテーブル。壁も白一色で、黒い点でもあろうものなら疑ったのだが、塵の一つも見受けられない。空気は澱んでいないのに、換気扇の音もなく、自分の浅い呼吸音ばかりが耳についた。
ひとしきり部屋の確認を済ませると、ソルはサイドアームを枕の下に入れ、靴も脱がずベッドに上がった。身体を横たえれば、二週間の疲れから眠りはすぐに訪れると思っていた。だが極度の緊張状態から一向に眠気は訪れない。そんなソルの頭の中で、テンの言葉だけが回り続けている。
確かに民族の保護など、傲慢な思考だった。ソルもまた知らぬ間に森の民を見下していたことに、いまさら気付かされる。同じように見下され生きてきたのに。
テンは決して責めるわけではない。ただ、受け入れているわけでもない。いつでも気高い誇りを胸に生きている。そして、初対面で侮蔑を投げたソルを黙らせるだけの知識と力を持っている。
いや、そうでなければ世界と渡り合うことはできなかったのかもしれない。
ソルはベッドの下に手を伸ばした。微かな駆動音と共に、指先に硬い金属が触れる。
「ペゴ」
大きな瞳がソルを見上げ、きゅい、と鳴った。
「いつの間にか俺は、ひどい人間になっていた」
自分が屈辱を感じていた視線を、テンにそのまま向けていた。言葉としてテンにぶつけた。愚かな自分に、言い訳もできない。
「叱ってくれるか?」
「ソルハ、アイジョウブカク、ヤサシイコ」
ペゴの頭部が静かに開閉を繰り返す。
「ソウゴ、ワタシニイイマシタ。ソルノココロヲマモッテ」
いつもよりもゆっくりと、噛み締めるように古い電子音声が部屋に満ちる。その音はいつもソルの心に温もりを宿してくれる。けれどどうしてだろう。ひどく寒い。
「ワタシハズット、ソルノミカタ」
一抹の寂しさを握り潰すように頷いて、ペゴの傷を爪で撫でる。
「ペゴがいなかったら、俺はここまで来られなかった」
ソルは微かな柔らかさを口元に浮かべた。けれどそれは、笑みではない。微笑みたいのに、顔の筋肉が引き攣って、感情の底に沈んでゆく。いつから笑い方を忘れてしまったのだろう。いつでも眉を顰め、人を威嚇するばかり。
不意にペゴが小さな四角い窓を見上げた。
「ソウゴガヨンデイル」
「なに……?」
「ソル、ソウゴガヨンデイマス」
沈み始めた太陽が、不吉な赤い光でペゴを染め上げてゆく。思わずベッドから飛び降りて、ソルはペゴを抱き締めた。冷えた鉄の感触、錆と油の微かな匂いは、幼い頃より随分と強くなった。
「呼んでいない。そんなものは聞こえないんだ、ペゴ」
「ソウゴ、ソウゴガヨンデイル」
突然のペゴの異常に、不穏よりも深く胸が締め付けられる。
ペゴもまたソルと同じ。置いていかれた、寂しい子供。
「父さん、なぜ俺だけを──」
ソルは思わずそう呟いて、頭を強く振る。その腕の中、ペゴは同じ音程でソウゴの名を繰り返し呼んでいた。




