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BORDER  作者: 鴻上縞
第二部
11/30

二 辺境の花畑

 深い樹海の中、肩を並べ和やかに笑みを交わして歩く二つの背中を睨みながら、ソルは一定の距離を保って歩いていた。神経を張り詰め、銃把(じゅうは)を指先でなぞりながら。

 アイリスは罠を解除してくれた礼に国境の街までの案内を申し出て、ソルが拒絶するより早くテンが快諾してしまい今に至る。だがアイリスの目的は礼よりも、ソルを連れて共和国に行きたい方が強いようだ。それがまたソルの警戒心を掻き立てている。


 ふとアイリスの右脚に滲む赤色の染みを見て、ソルはまた厳しく眉を寄せる。

 痛いと言っていたくせに、アイリスはもう両の足で軽やかに歩いている。見た目は少女だ。少し目尻の上がったモスグリーンの大きな瞳や、表情豊かな頬。よく動く唇は血の気が通っており、アンドロイド特有の整いすぎたきらいはあるがここが帝国であれば彼女が聖骸だとは気付かないだろう。

 けれど何よりソルの眉を顰めさせるものは、彼女が満ち足りて見えることだった。テンと会話をするアイリスはよく笑い、驚き、興味深気に頷きながらくるくると表情を変えている。防衛ラインが陥落し、死都となった街から流れてきた者たちの顔を思い出してみても、帝国の民に笑顔などなかった。表情らしいものすらも。虚で、陰気で、希望など知らない顔──。

 共和国が、聖骸(せいがい)が奪ったのだ。遥昔の歴史を今更掘り返し、神などという不明確な存在のために。


 不意にテンが振り返る。憎しみを隠すことなくアイリスを睨み付けていたものだから、一瞬驚いたように金色の瞳が丸くなる。すぐに呆れがその顔に滲み、ソルもまたバツが悪くて視線を逸らした。

「ソル、いい加減肩の力を抜け。君に攻撃しようと思っていないことは分かるだろう」

 攻撃性の有無が問題ではない。帝国民として、沢山の仲間の命を奪った聖骸は憎しみの対象だ。例えそれが、見た目はとてもアンドロイドとは思えない、普通の少女だとしても。聖骸を憎むことは忠誠の証。この感情は間違いではない。相手は兵器だ。撃つ覚悟はある。だが今は少しでも情報が欲しい。この戦争を終わらせる鍵となるもの。それに、自分のこと、ソウゴのことも──。


 一瞬薄れた敵意を再び燃え上がらせるソルに向かい、テンは戯けたような笑みを向けた。

「握手でもしたらどうだ」

「貴様の善人面にはたまに吐き気がする」

 思わず吐き捨てた言葉に、嘲笑めいた笑い声が返された。

「俺が善人か。そう見えるなら、ソル。君の目は節穴だ」

 振り返り歩き出すテンの豊かな黒髪が、残像を残して揺れる。ソルは沸々と湧き上がる怒りにきつく拳を握り締めた。


 ただでさえ目の前に聖骸がいて気が立っているというのに、このうえテンまでも不穏を滲ませてくる。そもそもテンは適応能力が高すぎる。世界中をたった一人で旅してきたからなのか。それにしても今は帝国側に加担しているくせに、敵地のただ中で、その敵の兵器と和やかに笑みを交わす横顔に苛立ちは燃えるばかり。

 気付けばソルは、アイリスではなくテンを睨みながら歩いていた。


 しかし歩けども傷跡はずっと続いている。ここで長く戦いが繰り広げられたのは、まだ聖骸が戦地に投入される前のことだ。アカデミーでの教育は、第一次の戦闘は帝国の圧倒的勝利という輝かしいものだった。だが今目の前にあるものはどうだ──。

 帝国の紋章が焼き付けられた戦車は爆撃で半壊し、聖骸が投入され敗北を喫した第二次の戦闘から随分と時が経ち、関節に忍び込んだ土が苗床となっている。黒く変色した土には長い時を経ても草木は生えず、錆びた鉄が僅かに顔を出しているばかり。

 沢山の命が散った。勝利や敗北の裏側で。この犠牲の上に今自分が生きていることを思い知らされる。誰も知らない、戦地の記憶。


 ソルが僅かに意識を離し胸を痛めていた隙をつくように、突然アイリスがソルを振り返る。思わずサイドアームに触れていた指先に緊張が走る。けれどやはりその顔に、敵意など微塵もない。

「街に戻る前に少しだけ寄り道がしたいんだけど、いいかな」

 何を呑気なことを──爆発的な苛立ちに、ソルは瞳を尖らせた。

「その前に聞きたい。貴様はあそこで何をしていた」

 低い問いを受け止めたアイリスは、やはりどこまでも無垢な笑みを浮かべる。

「樹海の調査だよ。この辺りは昔の戦争の傷が深いから。どれだけ森が復活しているか調べていたんだ。そうしたら罠にかかっちゃって」

 照れ臭そうな笑みも、随分とうまいものだ。ソルは胸の内でそう毒づく。

「救難信号は送ったんだけど、あの辺りは磁場が強いから、うまくいかなくて。二人が通りがかって助かったよ」

 トラバサミなど、聖骸の手にかかれば簡単に外せるだろうに。痛覚などないはず。現に今普通に歩けている。見た目は普通の少女で、どこも不自然なところはない。けれどやはりそこかしこに滲む違和感が鼻先をくすぐる。


 警戒を続けたまま、ソルは少しだけ右脚を引いた。少しでもおかしな動きを見せればいつでも撃てるよう、重心を移動させる。

「どうして俺がソルだと分かった」

 何故聖骸がソルを瞬時に認識するのか。不思議でならなかった。アイリスの細い指が、テンのリュックの上に乗せられたペゴに伸びる。

「まずひとつはペゴに埋め込まれた微弱な信号を受けたから。帝国には解析できない。高度な暗号化されて隠されているから」

 そんなものが仕込まれていたらとっくにソルは他の孤児たちと同じ道を辿っていたはずだ。テクノロジーの差をこんな所でも見せ付けられ、浅く唇を噛み締める。

 アイリスがそっとペゴの頭の傷に触れる。まるで、慈しむかのように。

「あなたはソルを守るもの。ソルのためにソウゴが作った子だから」

「ワタシハ、ソルノタメニ」

 微笑むアイリスから滲む慈愛に、ソルはまた身を震わせる。


 一度呼吸を整えたくて、ソルはテンに視線を向けた。こんな悍ましい告白を、どんな顔をして聞いているのかと。アイリスを見下ろす瞳はいつも通り静かで遠いものだ。何重にも重ねた心の壁を、そっと透かすような眼差し。アイリスを精査しているのかと思うと、少しの安堵が胸に落ちる。


 心を落ち着け、ソルは続けて問い掛けた。

「あの赤い光は」

 第七防衛ラインでもソルの眼球を貫いた、あの光。アイリスも同じものを発した。

「スキャンシステムみたいなものだよ。一キロ程度なら識別可能なの」

「それで、俺だということが分かるというのか」

 ロケットのID情報を抜かれているのか。そう思っていたが、アイリスからもたらされた答えは予想外のものだった。

「遺伝子情報が共有されているの。大きくなったソルの顔は分からないから」

 無邪気な笑みを浮かべるアイリスを前に、ソルは悪寒に震える。


 しかしソウゴは一体何のためにそんなものをペゴの内部に隠したのか。ソルを共和国に連れてくるため──それならば何故、他の子供達と同じよう共和国の精神を叩き込まなかったのか。何故帝国の教育を受けさせ、そして何故、帝国に置いて行ったのか。


 それきりソルは黙り込んだが、二人は気にもせず相変わらず楽し気に会話をしている。もうそれに苛立つ余裕もなかった。疑問ばかりが脳を支配し、ソウゴが去ってから十年に渡りソルを苦しめ続けた日々が蘇っては沈む。

 聖骸の口からその名が出るたびに、父と慕い愛した人さえも憎く思えてしまう。


 やがて森がふと途切れた。重たい新緑の天蓋が割れ、朝のするどい光が差し込む。踏み出した土がわずかに沈み、靴底に湿り気がまとわりついた。白い花弁が風に擦れて、微かな音を立てる。

「やっぱり、少しずつ広がってる」

 アイリスが嬉しそうに息を弾ませる。去年はここまでだった、と彼女は指で示す。爛れた黒土の縁を、白い色が滲むように侵食している。


 呆然と目の前に広がる純白の花畑を見詰めるソルの前髪を撫でるように、柔い風が抜けた。湿った土の匂いに、甘さが混ざる。

「ソル」

 呼ばれ顔を上げると、アイリスが花を一輪摘み取っていた。茎を折る仕草はあまりに自然で、そこに機械らしさはない。

「貴方にあげる」

 屈託のない笑みを浮かべるアイリスを前に、ソルは苛立った。

「花などいらん」

「似合うよ」

 ソルに向かい差し出そうとした腕を、アイリスは突然ぴたりと止めた。光の反射か、モスグリーンの瞳が瞬いて見える。

「綺麗だね、ソル」

 花を握る指先に、力がこもってゆく。

「ずっと探してた」

 小さな唇が譫言(うわごと)のように呟く。

「なんだろう、初めての気持ち」

 細い指が頬に向かい伸ばされる。肌が触れ合うその瞬間、ソルは全身を一瞬にして駆け抜けた嫌悪感に、アイリスの手を払い除けた。

「触るな!」

 叫びと共に一歩身を引き、サイドアームに手を掛ける。

「貴様は聖骸だ。聖骸は、帝国を脅かしている」

 吐き捨てたその言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。


 聖骸だから──そうじゃない。アイリスの眼差しに触れた途端、マルグの顔がちかちかと明滅したのだ。熱を帯び、全身を舐め取るような纏わりつく視線。天井の汚れや、心を砕かれてゆく音さえも鮮明に素肌を辿る。


 じり、と後退るソルの肩を不意に包み込んだものは、やたらと体温の高いテンの腕だった。

「アイリス、急に距離を詰めてはいけない」

 思うより近くで聞こえた声に、ソルは驚いて振り返る。ソルを見詰める双眸は、アイリスとは対照的で揺らぐことなく凪いでいる。

「大丈夫か。震えている」

 一応にも頷いてはみたが、確かに指先がひどく震えている。帝国にいた頃は大したことではなかった。天井の汚れを数えながら、耐えれば終わるものだった。

 震える指先を握り締めたとき、ぐっと肩を抱く腕に力が込め、テンがアイリスを見据える。

「彼の傷に触れるな」

 業務だと割り切ってきた行為を傷などと思ったこともない。けれどその言葉に、やはりひどく泣きたくなる。

「ソル、ごめんね」

 眉を下げながら、アイリスが恐る恐るテンに向かい手折った花を差し出す。その花を受け取り、テンは何を思ったかソルの耳元にそっと差し込んだ。

「何をする、やめろ」

 悪戯っぽく肩を揺らすテンを睨み付け、ソルは耳元に咲いた花を乱暴に毟る。不謹慎な男だ。だが、テンの空気を読まないその行動のおかげで、先程まで震えていた指先に微かな熱が通り始めている。

 震えの止まった指先で摘んだ、健気に咲いた白い花──聖骸から贈られたものだと、無情に握り潰すことが何故かできない。

 無数の犠牲の上に芽吹いた小さな命。それを握り潰すことは、この戦地で散った者たちまで冒涜するような気がしてしまう。


 立ち尽くすソルから少し距離を取ったまま、アイリスが囁いた。

「ソル、ここではもう誰もソルを壊そうとはしない。だから安心して」

 その整いすぎた顔に浮かんだものは同情ではない。純真な喜びが花開いてゆく。

「ソウゴに会わせてあげる」

 行こう──そう言って、アイリスは煌めくような笑顔を花畑に添えた。


 風が離れてゆく二人の間を埋めながら抜けてゆく。淡い栗色の髪は、戦旗が翻るように誇り高く棚引いている。息を呑み、浅い呼吸を繰り返す。


 父と慕った男の名。会いたいと咽び泣いた幼い日の記憶。だが、会える喜びと同じ強度の不安が脳を激しく揺さぶる。目眩に似た感覚に酔いながら、ソルは歩き出した二人の背中を見失わないように必死に足を踏み出す。

 ひどい吐き気がする。それでも、動き出した身体を止めることができなかった。

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