第七十九話 水位がかなり減っていました~明るい未来を夢見て~
地下分水宮への扉が開かれ、セオドア王に続いてダッシャー、僕と抱っこされているベルちゃんとらんちゃん、次にシアンさんで、最後尾はルシアンさんと次々に降りていく。
――サァァ……、サラサラ……。
「遠くで何か音がするね」
恐くないと言いながら、やっぱりちょっと恐い。
シアンさんも同じなのか、いつもと思うと距離が近い。
足を止め、暗闇の奥へ耳を澄ます。遠い、はるか遠い奈落の底から、風に乗って届くかのような、微かで、どこか冷涼な水の音が聞こえてきた。
光を掲げながら進むと、長い階段を降りた先には、踊り場を兼ねた通路が広がっており、そこからさらに地階へと続く階段が伸びていた。
壁の少し高い位置――大人の目線の高さに光を掲げると、そこには古びた石肌に、薄く『大樹の若葉』の紋章が彫り込まれていた。
「あ、あった。シアン、見てみろ。若葉の先端が右を向いている」
「本当ですね……。あの日、私たちは暗闇が怖くて足元ばかり見ていましたから、こんな高い場所にある目印には、それは気づかなかった訳です」
「お主では見えぬのではないか?」
「そりゃ見えないけど、それが描いてあるのって大人の目線よりももっと高い位置だよね」
「アンセル様、抱っこしまちょうか?」
「我の後足が滑りそうだが良いか?」
ルシアンさんを蹴る気満々でダッシャーが迫った。
「じゃあ俺は一番後ろを歩きますんで」
スゴスゴと退散して行った。
1つ目の角を曲がり、2つ目の角に差し掛かると、あの『洗剤』の香りが一際漂って来た。
柑橘系のような、爽やかな香りが、閉ざされていた地下の空気を清涼に満たしている。地上から流れ落ちた水が、確かにここへ届いている証拠だった。
2つ目、3つ目の目印を頼りにさらに奥へと進む。水音が大きく響き、小さな滝が流れ込む姿が目に飛び込んで来た。
「――ザザァァァー……、ザァァー……」
暗闇の奥から聞こえてきたのは、耳に心地よく響く、ひっそりと、しかし途切れることなく囁き続けるような、いくつもの小さな滝の音だった。
「ああ……間違いない。これだ。あの時と、同じ音がする」
セオドア王は、愛おしそうに目を細めて地底湖への最後の角を曲がる。
その先に広がっていたのは、変わらず巨大な石柱が立ち並び、澄んだ水が湛えられた、息をのむほど美しい『地下分水宮』の空間だった。壁の魔導水晶が放つ光線が水面に反射し、青く天井に揺らめいている幻想的な光景も、あの日のままだ。
遥か頭上の岩肌からは、山からの副水流が細く美しい、いくつもの滝となって、白く飛沫をあげながら最下層の荘厳な『分水宮』へと流れ落ちている。
水の音は地下の壁に反響し、心地よい重低音となって僕たちの身体を包み込んだ。
「こ、これは――」
どこかセオドア王の声に張りがない。
「ここが地下分水宮ですか。すごく広くて清々しい空気が流れていますね」
「えぇ、ですが……」
子供の頃に見たあの光景と決定的に違うものがあった。それはその水利としての圧倒的な「勢い」だった。
「あの日の景色は、耳を震わせるような滝の音と、巨大な石柱の半ばまで満ち溢れていた水の質量だった。――なぁ、シアン」
「えぇ、あの時は、おとぎ話のドラゴンが今にも現れそうな、力強く神聖なエネルギーが満ちて、美しさが余計に恐ろしさを引き立てていました」
それが今はどうだろう。かつて白波を立てていた大滝は、岩肌を優しく撫で落ちる幾筋もの細い絹の糸のような、小さな滝へと姿を変えていた。
「これがデルポフが川の流れを操作し、商人ギルドが水路をせき止めた結果と言う訳か」
ルシアンさんが王達の嘆きに答える。
だが、落胆だけでは終わらなかった。
「……水位は、随分と下がってしまったな。だが、見てみろ」
セオドア王の言葉に、全員の視線が水面へと注がれる。
「水量は減った。しかし、昨日みなで水路を融解し、一気に掃除した成果は、この地底湖の透明度を極限にまで引き上げたのではないか」
長年の煤や水垢が綺麗に削ぎ落とされたことで、プールに湛えられたわずかな水は、濁りが一切なく、まるで巨大なダイヤモンドを敷き詰めたかのように、底の石畳までくっきりと透き通って見えたのだ。天井に揺らめく青い光の波紋は、かつてのそれよりも一層クリアに、美しくまたたいている。
「水は減っても、死んではいない。それどころか、これ以上ないほど清らかに澄み切っている」
セオドア王は、青い光が揺れる天井を見上げ、拳を強く握りしめると続けた。
「本流の水門を本格的に開ければ、この水宮は必ずかつてのあの圧倒的な輝きを取り戻す。この清らかな水を、今度こそ誰も遮ることのできない勢いで、王宮へ、街へ、そして畑へと溢れさせてみせようぞ!」
王が見上げた先を僕たちも見つめる。すると、神殿の巨大な石柱たちに支えられた巨大な『何か』が、せり出しているのが遠くに見えた。
「あのせり出した部分は何だろう?」
「あれこそが私が『むしろこれが最高の形』だと言った全てですよ」
「第二の沈殿湖、と言うのが正しいのだろうな」
第一の沈殿湖が商人ギルド裏の沼、そしてそこから流れついた先のあの巨大な『何か』が第二の沈殿湖――。クレイはそこに溜まっている。
先ほど下りて来た階段をゆっくりと戻り、最初にあの爽やかな『洗剤の香り』が漂ってきた最初の角へとたどり着いた。その突き当りにある『太陽のレリーフ』にセオドア王は左手をそっとあてた。




