第五十九話 聖風の回廊は慈愛の道でした~水路横の疾走~
ダッシャーからの提案で、急いで沼まで戻ることにした。
商人ギルドの連中はすぐ近くまでたどり着いている状況だ。
ダッシャーの背に跨る。
セオドア王とシアンさんも『フィデロ』と『パドラス』に跨ると、一人だけ自らの足で走って来た男が茫然と立っていた。
「また俺だけ置いてけぼりか? まぁ走るのは慣れっこだ。俺を気にせず全力で行ってくれ」
「誰もお前を気になどせぬわ。そもそもお前は居残りだ」
「ダッシャー様まで俺をそんな扱いですか?」
「違うと思いますよ。僕たちは沼まで全力で走りますが、沼と水路の様子はダッシャーの遠視で掴めています。水路の堆積物を流すには一気に川の水を流す必要がありますが、沼が溢れる前に水門を閉じなければならないですよね?」
「それはそうだな。――まさかそれを俺にやれって言ってるのか?」
「理解が早くて助かります」
「やれやれだ。だが、後から来る商人ギルドの連中の絶望した顔が拝めるんだ。まぁ良いってことよ」
◇◇
水路上の開けた場所から沼地の方を見やる。
ダッシャーの『聖樹の加護』が放たれると、その道は奇跡の道へと変貌した。
神獣の羽ばたきは一振りで木々をなぎ倒し、瞬時に細かなチップとなり地面を覆う。同時に掛かる圧力により踏み固められる。
それはかつての噴火によってもたらされた巨岩を隠し、泥を埋め、激しく地を蹴ろうとも、馬たちの足を痛めぬ究極の衝撃吸収路へと姿を変えた。
水路を濁流が物凄い勢いで進んでいる。
「行くぞ! 遅れるな!」
水路の横に出来た奇跡の道をセオドア王とシアンさんが駆ける。
馬たちの視線の先には、敬愛するダッシャーの姿があった。
水の大蛇の頭を猛追する。
「ドドッドドッドドッドドッドドッドドッ」「ダダッダダッダダッダダッ」
猛追する馬の足音は「ゴオオオオ」と言う水の大蛇の唸り声にかき消される。
「先に行くぞ」
ダッシャーは『フィデロ』と『パドラス』の目線に合わせて低空を駆ける。
神獣のその声は、彼らの魂を震わせ、その背を力強く後押しした。
今度こそ置いていかれたくない──その一心で、馬たちの熱き血潮が沸騰する。憧れの存在が告げた言葉に導かれるように、二頭はさらなる猛加速で地を蹴り上げた。
『聖風の回廊)』その拓かれた空間は空気の抵抗が完全に消失し、沼へ向かって吹き抜ける猛烈な聖風が、その背を力強く押し出す。
ダッシャーの生み出した慈愛に満ちた空間は、高濃度の生命エネルギーに満ち溢れ、その疲労を消し去り、限界を引き上げる。
空気抵抗と衝撃をなくした、疲れを感じさせないその奇跡の道、『聖風の回廊』。
大蛇の首元に並びかけ、その鼻先を前方へと追い抜いた。
そして『フィデロ』と『パドラス』は水の大蛇を背後に置き去りにし、沼の開けた景色へと豪快に滑り込んでいった──。
そこに立つ、神々しいまでにキラキラと輝く、敬愛する神獣ペガサスユニコーンの望むままに。
「良き走りであった。お主たちの主も、さぞ誇らしいであろうな」
聖獣からの最高の褒め言葉に、2頭は嬉しそうに首を振り、甘えるように鼻を鳴らした。
馬の背から同時に降り立ったセオドア王とシアンさんは、お互いの顔を見合わせて呆然としていた。
水の大蛇を抜き去るほどの、文字通りの『激走』だったのに、ダッシャーの張った『聖風の回廊』は、空気抵抗を完全に消し去り、さらには乗馬中に感じるあらゆる衝撃や揺れを、すべて地面へと優しく吸い込ませていたのだ。
「……ダッシャーよ。私は今、生涯で最も恐ろしく、最も心地よい馬術を経験したぞ……!」
セオドア王が、愛馬フィデロの首筋を撫でながら、歓喜に満ちた声を上げた。
「……神獣様の加護とは、これほどまでに優しい奇跡なのですね」
シアンは、深い畏敬の念を込めて、きらきらと輝くペガサスユニコーンを見上げた。
「そろそろ水門を閉めないとマズくないかな?」
一足先に沼地の様子を見ていた僕は、ダッシャーのそれよりも水量が気になっていた。
水は勢いを増したまま、沼に流れ込んでいる。
すり鉢状になった沼地の、地面ギリギリの高さ近くまで水位を上げていた。
だが、その水面は溢れるギリギリのラインで上昇を止めている。
「流れ込み続けているのに何で溢れないんだろ?」
「水面が渦を巻き始めたな。それが答えだろうな」
「……溢れていない。それどころか、吸い込まれているのか!」
セオドア王が驚き、声をあげる。
その視線の先には巨大な渦がグルグルと巻き起こっている。凄まじい水圧に圧された水が、沼の底にある『見えない何か』に向かって、ゴゴゴゴゴ……と大地を震わせながら地深くに吸い込まれていった。




