第百四十一話 クレイを100樽回収しました~豊かな未来への第一歩~
地上では、これまでロックされて静止していた手回し車輪へ、男たち6人が再び取り付き、左回りへとグッと力を込めて押し回した。
ガチン……!!
車輪の中心にある『停止』の絵、そしてマニュアルの8コマ目の絵の通り、左へカチリと1/4回転ほど回した瞬間、内部のワイヤーが連動し、地下の水路の奥で大きな仕切り板が滑らかにスライドした。
それまで水車を叩きつけていた水流が、一瞬にして別のバイパス水路へと迂回し、水車の回転が止まった。
しかし、バケットコンベアはすぐには止まらない。
巨大なチェーンの慣性によって、ゴトゴト、ゴトゴトと、ゆっくりと回転を続けながら、すでにバケットに乗っている「残り1.5樽分」のクレイを地上へと運び上げ続ける。
地上では、ギルド職人たちが息を呑んでコンベアの終点を見つめていた。
じわじわと勢いを落としていくコンベアの下で、99本目の樽が綺麗に満帆になる。
「よし、99本目満タン! ラスト、100本目の樽を入れろ!」
手早く、最後にして唯一の空樽である100本目をコンベアの下へと滑り込ませた。
そして――100本目の樽の縁ギリギリまで真珠色のクレイが詰め込まれ、最後の一滴がボトッと落ちた、まさにその瞬間。
地下から上がってきた最後のバケットが、ガラリとひっくり返って空っぽになったその時――。
「……ゴト……フッ」
コンベア全体が吸い込まれるように完全に静止した。
バケットの中はすべて空っぽ。そして目の前には、クレイが満たされた大樽がキッチリ100本。1本の過不足も、1滴の無駄もない、古の工学計算と現代の職人技が起こした完璧な奇跡だった。
「うおおお……! バケットは空っぽ、大樽もジャスト100本満タンだ! 大成功だぜ!」
◇◇
ルシアンさんたちの割れんばかりの歓声が、地下分水宮にも響き渡る。
王宮図書館側、地下のバルコニーから沈殿湖を見下ろしていたセオドア王は、国を救い、完璧な計算でクレイを回収しきったその美しい光景を目にし、大粒の涙を流していた。
「たった半日……わずか5時間で、水路の解放によって押し寄せたあの膨大なクレイを、これほど安全に、そして完璧に回収しきってしまうとは……。アンセル殿、ダッシャー、ルシアン殿、みんな、本当に、本当に感謝する……!」
王の震える言葉には、この国が失っていた豊かな歴史への感動が込められていた。
この地下分水宮には、ここ数十年の間、水路からの水が完全にせき止められていた。
それは、かつてこの国の商人ギルドが仕事を放棄したのと同時だった。彼らは水路脇の森の廃棄場から上質な火山岩を発見し、その研究と利益に目が眩むあまり、過去の噴火で固着してしまった重要な水門をそのまま放置。あろうことか隠蔽魔法で商人ギルドと周辺の森を丸ごと隠し、国を欺き続けていた。
かつてグローが水浴びをしていたプールから、街や畑へと流れていた豊かな水はその勢いを完全に失い、国はかつての豊かさを失っていたのである。
それを、ダッシャーたちが水路と水門の掃除をし、ついに固着を解決して川からの水を流したのだ。
清らかな水が再び地底を駆け抜けたことで、噴火の熱で固着していた『第一沈殿湖』の水門が劇的に溶け、溜まっていた上質なクレイが、一気にこの『第二沈殿湖』へと流れ込んできた。
並々と満帆になり、今にも溢れそうになっていた決壊の危機は、まさに水を戻したからこそ発生した、嬉しい悲鳴の裏の緊急事態だったのだ。
第二沈殿湖が溢れれば、恐怖の泥濁流になる。
だがそれは、今やこの国の未来を豊かにするための最高の商品『特産美容クレイ』へと、一滴の無駄もなく大樽へ回収された。
「商人ギルドの身勝手な隠蔽によって水が枯れ、衰退していた我が国に……アンセル殿たちは水を取り戻してくれただけでなく、その副産物であるクレイを、これほど見事な特産品として我が国にもたらしてくれた。これこそ、国が生まれ変わる光だ……!」
セオドア王は隣に立つシアンさんと顔を見合わせ、積年の重圧と、ついに本物の「豊かな水の都」を取り戻した喜びに、互いに涙を流しながら深く頷き合った。
◇◇
「だけど、最後のバケットまできっちり回収して止まるなんて、本当に計算されつくした装置だね。僕はきれいに引き上げきれなくて、バケットにクレイが取り残されちゃうんじゃないかって、見ていてヒヤヒヤだったよ」
100本目の樽に最後の一滴が収まると同時に、バケットが空っぽの状態でピタッと静止したコンベアを見上げ、僕はホッと胸をなでおろした。
「ま、もし途中で止まっちゃったら、ダッシャーに魔法でなんとかしてもらおうと思ってたけどね。えへへ」
ダッシャーは、巨大な歯車をじっと見つめたまま、静かに、どこか気の毒そうなため息を漏らした。
「当時の王の必死さが、この歯車の噛み合わせ一つひとつから、伝わってくるな。グローのあの形相が、どれほど王の心に恐怖を植え付けたのかがよく分かる。夢枕に5晩も立たれてこれほどの装置を造らされるとは、人間とはつくづく哀れで健気な生き物だ」
「――そっち? 感心するの、装置の仕組みじゃなくてグローの被害に遭った昔の王様の方なの?」
ダッシャーの神獣視点の感想に、僕は思わず突っ込みを入れた。
だけど、グローが火山の熱を体に取り込んでくれなかったら、もっと噴火は激しく続いてたってことだよね? なのに恐怖の対象って……。可哀相なのはグローの方じゃない?
グローのプールに鱗が残っていることを確認し、僕たちは地上へと向かった。
途中、バルコニーで感動にむせぶセオドア王とシアンさんに近寄ると、ダッシャーは「まだまだだ、上に向かうぞ」と一言言い放った。




