第百十二話 カステラを丁寧に焼き上げます~泡切りと温度が大事~
木枠の準備も出来たし、次は生地作りだ。
卵をたっぷりと使い、砂糖と、お湯で溶かしたはちみつを合わせていく。
とろっと垂れるくらいまで、空気を含ませるように一気に泡立てる。そこに小麦粉をさっくりと合わせたら、濾し器の出番だ。
黄金色の生地を濾し器に通すと、ざらつきが消え、シルクのようになめらかな筋を引いてボウルへと溜まっていく。
「よし! 30分休ませるよ」
「……アンセル様、何もしないのですか?」
「ガナッシュ、カステラはこうして生地を少しだけ寝かせるんだよ。こうすると、泡立てたときに入り込んだ大きな気泡が、自然と表面に浮き上がってきて落ち着くんだ。カステラが息を整える時間だね」
グラシン紙を敷き込んだ特大の木枠を【魔導一体オーブン】の傍へと運んで気が付いた。
この【魔導一体オーブン】専用の天板が必要だったかな。プリン型でも置いて直置きするとしてもカステラの木枠は底が無い。そのまま庫内に直置きするのは柔らかい熱で焼き上げたいカステラには不向きだ。
「ねぇ、ダッシャー」
オーブンの前で、特大の木枠を抱えたまま上目遣いで隣に立つダッシャーを見上げた。
様子を伺っていたダッシャーが、待ってましたとばかりに小気味よく蹄を鳴らし、鼻先を上へと掲げた。
「ふふん! お主の作業を常に間近で見ているこの我が、そこを見落とすと思うか! このオーブンにぴったり合う極上の天板を、すでに作り出しておるわ!」
ダッシャーが誇らしげに翼を一振り光らせると、空間から見事な漆黒の平らな板がコトリとテーブルの上に現れた。
それは、厚さわずか数ミリながらもずっしりとした、【魔導一体オーブン】の左右のレールにピタッとはまる、薄型の「溶岩製天板」だった。
「これ、あの集積場の火山岩を削って作った天板なの!? いつの間に……」
僕が余りのことにが目を丸くすると、ダッシャーはこれ以上ないほど鼻高々に胸を張った。
さっき、カステラ用の大きな木枠を作るのに外の世界へひとっ飛びしたダッシャーは、トレントたちが開けてくれた空間から木材を回収するそのついでに、「あの大きなオーブンなら、型を載せる天板も特大のものがいるな」と先回りして察知していた。
そして、風の刃で最上級の火山岩層から「オーブンの溝にスライドして差し込める、薄くて平らな石の天板」をサクッと削り出し、持ち帰っていたのだ。
「我にひれ伏すが良い! 神獣が作りたもうた遠赤外線の加護を宿せし、特製・火山岩の魔法天板だ! これをオーブンに差し込めば、下からの熱がまろやかに伝わり、至高の焼き上がりとなるぞ!」
「ははぁ――! ありがたや、神獣ダッシャー様! 溶岩石のオーブン天板なんて、あっちの世界のプロのパン屋さんやケーキ屋さんが特注する最高級品だよ! これならカステラの底まで優しく均一に熱が入るし、マフィン型をいくつ並べてもびくともしない。本当にありがとう!」
大喜びでダッシャーに向かって両手でひれ伏す動作をした後で、僕は漆黒の平らな石天板を撫で回した。
ダッシャーは自分の判断が大正解だったことに、満足げに羽を一振り羽ばたかせた。テーブルの端のガナッシュも「ダッシャー様、すごいです!」と小さな手を叩いて大はしゃぎだ。
こうして、最高の「特大カステラ用木枠」を、ダッシャーが用意してくれた「火山岩の特製オーブン天板」の上にしっかりと載せた。
まずは生地を入れていない下段の木枠だけを、180℃に余熱した【魔導一体オーブン】で空焼きする。
空焼きした下段を天板ごと取り出し、高い位置から生地を流し入れ、上から全体にザラメを散らす。
「さあ、ダッシャー、【魔導一体オーブン】を使わせてもらうよ」
「存分に使うが良い!」
誇らしげに鼻先を上に向けるダッシャーに見送られ、木枠を特製オーブンへと滑り込ませた。
焼き始めて数分。オーブンのガラス窓の向こうで、生地の表面がじわじわと膨らみ、薄い黄金色に色づき始める。
ここからが本番だった。
――3分後。
カチリ、と小気味よい音を立てて、オーブンのドアを素早く開けた。
途端に、卵と蜂蜜が熱されて生まれる、格別に甘く香ばしい香りが一気に広がっていく。ふかふかのカウチソファでスヤスヤと眠るらんちゃんが、その匂いに誘われてぴくりと小さな鼻を動かした。
「っよし……!」
霧吹きで表面に一吹きして膜を柔らかくすると、手にした細長いヘラを、生地の奥深くへと迷いなく差し込む。
木枠の縁に沿って大きく、けれど底のザラメを傷つけないよう優しく円を描き、底の生の生地と、熱の通りやすい外側の生地をぐるりと入れ替えていく――カステラ作りの肝である『1回目の泡切り』だ。
「こうして生地の温度を均一にして、中に潜む余分な大粒の泡をヘラで巻き取っていくんだ。そうしないと、あのしっとりとしたキメ細かい断面にならないからね」
――3分後。2回目の泡切りだ。
今度も霧吹きで表面全体に一吹きして膜を柔らかくしたら、ヘラを、生地の底から少し上まで差し込むと、上下左右、前後と生地を混ぜる。
――更に3分後。最後の泡切りだ。
多めに霧吹きをし、真ん中~上層だけを左右前後と混ぜていく。
表面全体にきれいな焼き色がついたら、上段の木枠をピッチリと載せて2段にする。
さらに焼き上がりが近づき、カステラが木枠の縁を超えてむくむくと大きく膨らんできた。
僕はオーブンの前を微動だにせず、数分ごとに、ドアをほんの数秒だけ『開けては静かに閉める』という作業を繰り返した。
「今度は何をしているのですか?」
「ガス抜きだよ。カステラは膨らみすぎると、焼き上がった後に真ん中が凹んじゃうんだ。だからこうしてドアを開けて熱を逃がし、一瞬だけ冷たい空気を入れて、生地の浮きを落ち着かせるんだよ」
決してバタバタと乱暴に動かすのではない。生地にショックを与えないよう、静かに、しかし流れるような一連の動作。
庫内の温度はダッシャーの【魔導一体オーブン】が完璧に記憶・調律してくれているが、生地の『揺れ具合』や『色の変わり方』を見てドアを開閉するタイミングは、完全に僕の勘だった。オーブンの熱と、静かに対話するような時間が流れていく。
そうして、最後のタイマーが澄んだ音を鳴らした。
オーブンから引き出されたのは、見事な深い焦げ茶色の焼き目がついた、ふっくらと大きな、完璧なカステラだった。




