第百七話 事故が起きる前に危険な作業は排除します~現場の立場でやりにくさ改善~
クレイ用の木樽の魔法を起動させるのには、小さくても、属性がなくても、魔石が必要だとダッシャーが言う。その為に、シアンさんから大切な思い出の、小さな魔石の入った皮袋を受け取った。
「100個以上はあると思うのですが……」
「えぇ、ありがとうございます。足りなければスカイ・サーペントの『飛天の純鱗』を使うので大丈夫ですよ」
「……足りなければ、川まで探しに行って来ますよ」
シアンさんが真面目な顔で冗談を言った。
「川は結界の向こう側なので、危ないですよ」
冗談で返しておいた。
「ところで、アンセル様よ。魔石は木樽が完成した後にまとめて嵌め込むって話しじゃなかったか?」
魔石嵌めをお願いしたルシアンさんが、不思議そうに聞いて来る。
「僕もそう思ってたんですが、パーツだけでも思った以上に重いってことに気付いたんですよ」
底板だけでも重くて、僕には今ここにある90枚の板を動かすパワーすら無い……。
いくら屈強な冒険者ギルドの人たちのお手伝いがあったとしても、魔法の使えない大工さんたちが、このヘビー級のパーツを相手に100個もの大樽を組み上げていくのは、とても過酷だろう……。
先ほど森へ戻ってきた御者さんから聞いた話では、ダッシャーが切り出した樽材は最初から形が完璧に揃ってはいるけれど、とにかくその重さのせいで、組み立て作業がかなり困難な様子だったらしい――。
「だから、最初から底板に魔石をはめて軽くしておけば、みんなも楽だしその方が良いんじゃないかって思ったんです」
◇◇
かつてのエール醸造所では、4台の荷馬車によって次々に届けられる『白檀魔梛』の木材を前に、王宮職人たちと冒険者ギルドの面々が、文字通り汗だくになって格闘していた。
かつて、この国で作られていたエール醸造用の木樽――その作り方は、極めて高度な職人技と強靭な体力を要する至難の工法だった。
側板を立てて丸く組み上げ、仮締めをして火であぶるなどして形作った上に、逆さまにした状態で底板を上から叩き込んでいくのが、この国の伝統だった。
ダッシャーの切り出した木材は通常の3倍の芯材を使った贅沢な厚みがあり、完成すれば100キロにもなる。しかも、たったの12枚で組み上がる仕様のため、側板は1枚あたり約5.4キロもの重さがあった。
現場では、いつも通り逆さにして上から15キロの底板を落とし込もうとしたために、サイズがキッチリすぎて斜めに噛み込んでしまうパニックに陥っていた。
「……待ってくださいよ。この側板の先端の切り欠き、上から叩き込むためのものではなさそうですね」
冒険者ギルドのオズワルドは、かつてこの国で目にした樽職人のその技を思い起こしては、組み立ての指示をしていた。
しかし、今回は勝手が違っていた。それはこれまでとは真逆の方法だったのだ。
「なるほど……。板をあぶらなくても最初から完璧な樽の形になるということは、昔やっていたように、わざわざ重い樽を何度も逆さにする必要がないのですね」
透き通るような雰囲気をまとったオズワルドは、『白檀魔梛』の樽板を撫でながら、大工の若者たちへ穏やかに微笑みかけた。
「若者たち、少し手伝ってください。床に、そこにあるレンガをいくつか平らに並べてみましょう。……そう、その上に、まずこの『底板』をそっと乗せるのです」
「えっ? レンガの上に、ですか?」
大工たちが小首を傾げると、オズワルドは物静かに、しかし確かな声で言葉を続けた。
「ええ。レンガの厚み分だけ、底板を床から数センチ浮かせるのです。そうすれば……この底板の下側から、側板の切り欠きを上に向けて、引っ掛けるようにすっと差し込んでいける。この厚みなら、二人で支え合えば叩き込む必要すらなく、パズルのように綺麗に組み上がるはずですよ」
「――それだっ!」
大工たちの目が、一瞬にして輝いた。
伝統のやり方に囚われず、目の前の極上素材の性質を瞬時に見抜いて導き出した、逆転のアイデア。
これぞ、かつての全盛期をその目で見て、長き時を現場と共に生きてきたオズワルドだからこそ導き出せる、優しくも凄まじい『職人の知恵』だった。
さっそく床にレンガを均等に並べ、その上に底板を乗せて数センチ浮かせる。側板の、その下側の隙間を下からカチッとはめ込んでみた。
「ハマった! ぴったりだ、やっぱり下から引っ掛けるんだ!」
職人たちから歓声が上がる。しかし、喜びも束の間、すぐに凄絶な「重力との戦い」が男たちを襲った。
下から差し込んだ側板は、まだタガで締められていないため、手を離せば外側へパタンと倒れてしまう。
「おい、しっかり支えてろ!」「わかってる、でも1枚5.4キロだぞ!?」
ギルドの屈強な男たちが必死に抱え込むが、3枚、4枚と側板を差し込んでいくにつれ、底板にかかる重さのバランスが不均等になり、床の上のレンガが「ガタッ」とわずかにズレた。
その一瞬の傾きで、キッチリ作られた切り欠きに変な角度の負荷がかかり、またしても斜めに引っかかって身動きが取れなくなってしまったのだ。
「クソっ! アイデアは合ってるはずなのに、人間の手じゃあ側板が足されるたびに底板がブレちまって、どうしても途中で噛み込んじまう!」
「しかもレンガでは、全部組みあがった時の重みに耐えきれるか心配ですね。位置の微調整もできませんし……」
正解の糸口を掴みながらも、あまりの重量バランスの難しさに、男たちは滝のような汗を滴らせて完全に手詰まりになっていた。
◇◇
「ルシアンさん。この石を底板の穴へはめ込んでみてください」
シアンさんから受け取った思い出の魔石を、皮袋から1つ取り出して手渡した。
それは水底できらきらと輝いていた、小さな小さな、一見すれば子供のガラクタのような石。しかし、セオドア王とシアンさんにとっては、王宮のどんな財宝よりも価値のある、愛おしい思い出が詰まった最高の宝物だ。
ダッシャーの手によって、通常の3倍もの厚みを持つ『白檀魔梛』の芯材から切り出された樽の底板。高さ1メートル、完成すれば総重量100キロにも及ぶ大樽の土台となるだけあって、底板1枚だけでも約15キログラムという、ズッシリとした重厚感がある。
その重い底板の裏手には、小さな丸い埋め込み穴がちょこんと用意されていた。その穴へ、極小魔石をすっとあてがい、親指でグッと奥まで押し込む。
――カチリ。
精巧な仕掛けが内側で優しく噛み合う小気味よい音が響き、魔石は底板の木肌と一体化した。




