ウクライナ地上戦
2050年4月。バルト海戦線から一時的に撤退していたロシア軍は、戦力を再編した上でヨーロッパ方面への再侵攻を開始した。
最初の主要戦域となったのは、ウクライナである。
連合体側は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアを中核とする統合部隊を編成し、過去の侵攻記録および戦闘データを基に防衛線を再構築した。特に、20年前まで継続していた紛争の戦術分析が活用されたとされる。
一方、ロシア側は戦術の質を大きく変化させていた。
同国は、AZAウイルス感染者を兵器として運用し、キーウ周辺に大量投下した。さらに、AIによる行動誘導システムを併用することで、感染者の進行方向を制御し、ロシア領内への逆流を防止していたとされる。
この戦術は、従来の前線概念を崩壊させた。感染者は戦闘単位としてではなく、広域に拡散する“環境兵器”として機能したためである。
加えて、ロシア軍はAIロボット部隊および無人機戦力を大規模に投入した。これにより、初期段階においてはヨーロッパ諸国の防衛線が圧迫され、ウクライナ東部および北東ヨーロッパの複数都市が陥落したと記録されている。
しかし、この優勢は長期的には維持されなかった。
ドイツにおいて、AZAウイルスに対する対抗技術が確立されたためである。
当該技術は完全な治療法ではなく、感染進行の抑制および行動制御を可能とするものであったと推定される。
これにより、感染者の大規模拡散はヨーロッパ域内で一定程度抑制された。
連合体側は反攻に転じる。
ドイツは派生型生物兵器――「ZAウイルスα」を開発し、限定的な逆投入を実施したとされる。
また、イギリスおよびフランスは戦術核兵器の使用を拡大し、ロシア西部への打撃を強化した。
イタリアは東ヨーロッパ諸国、特にギリシャおよびクロアチアと連携し、占領地域の奪還作戦を展開する。
この段階において、戦闘は全面的な消耗戦へと移行した。
なお、当該戦域における人的損害の正確な数値は確認されていない。大部分の記録は戦闘中に消失、あるいは意図的に廃棄されたと考えられている。
最終的に、ロシア軍は北欧および東欧の一部地域を一時的に占領するにとどまった。
その後、ロシア国内においてAZAおよびZAウイルスαの感染拡大が発生し、さらに核攻撃による放射能汚染が深刻化する。
これにより、軍事行動の継続は困難となり、占領地の放棄と後退が開始された。
結果として、ロシアは領土の大幅な縮小を余儀なくされる。
本戦線は多くの観点において連合体側の勝利と分類されている。
しかし、その評価は限定的である。
戦闘の大部分は東ヨーロッパに集中し、西欧主要都市――ロンドンやパリにおける被害は、断続的な空襲を除けば比較的軽微にとどまった。
さらに、戦闘終盤において、フランスおよびイギリスは戦略的優先順位をアフリカおよび中東方面へと移行した。
その結果、東欧諸国への支援は著しく低下したとされる。
この対応は、戦後の政治関係に長期的影響を及ぼした。
すなわち、東西ヨーロッパ間の信頼関係はこの時期に大きく損なわれ、後に新たな地域紛争の要因の一つとなる。




