月不知のセレネー36
翌日。私が出社すると既に西浦さんが事務所でパソコンに向かっていた。柏木くんの姿はない。どうやら今日の出社は偉い人順らしい。
「おはようございます」
「おはよう。今朝も早いわね」
西浦さんは一瞬パソコンから視線をあげて言うとすぐに視線を落とした。
「お時間出来たら昨日の件報告させていただきますね」
「うん……。分かったわ。あ、そうそう。聞いてると思うけど午前中京極さん来るみたいだからよろしくね。」
「はい! 了解です」
そう答えながら私もパソコンの電源を入れる。
「雨が降りそうね……」
ふいに西浦さんがそう呟いた。私は反射的に「そうですね」と答えると窓の外に目をやった。完全な曇天。今にも雨粒がこぼれ落ちそうな空模様だ。
それから私は朝の清掃作業をした。テーブルを布巾で拭き取り、窓ガラスも同じように拭き取る。これが私の朝のルーティンなのだ。床の担当は柏木くん。まぁ当の本人はまだ出社してこないのだけれど。
そうこうしていると始業時間が五分前になった。未だにクリエイター発掘部の新人が出社してこない。
「柏木くん遅いですね」
私がそう言うと西浦さんが「あ!」という声を上げた。そして「ごめんなさい。言うの忘れてたわ。今日は彼には出張頼んでるのよ」とばつが悪そうに言った。
「そうだったんですね……。じゃあ床掃いちゃいますね」
「うん、ごめんなさいね。しかし……。歳はとりたくないわね。報連相出来ないなんて役員として最悪よ。まったく……」
西浦さんは珍しく自分を責めるようなことを言うと苦々しい顔をした。その顔にはかつて彼女が鬼軍曹と呼ばれていた頃の雰囲気が残っているように感じられた。ニンヒアの魔女。新人クラッシャー。社長の番犬……。そんな不名誉なあだ名が付いていた頃の――。
それから私たちが朝礼を終えるとすぐに京極さんが事務所にやってきた。今回はジュンくんと広告代理店の担当者も一緒のようだ。たしか担当者は高橋とか言ったっけ? そんなうろ覚えな名前が脳裏に浮かぶ。
「おお、西浦さんお世話になっております」
「こちらこそお世話になっております。高橋さん本当にご無沙汰しちゃってすみません」
「いえいえ。こちらこそ顔出せなくて申し訳ないです……。どうです? お変わりないですか?」
「ええ、変わらず元気にやってますよ。ちょっと痴呆ぎみですけど」
西浦さんは今朝のことを掘り返すみたいな自虐をすると今度は優しい苦笑いを浮かべた。高橋さんはそれに対して「ハハハ、いやいや」と曖昧に返す。大人の付き合いの見本みたいな会話だと思う。
「んじゃ。初めてもいいですかね?」
二人の挨拶が一段落すると仕切り直すみたいに京極さんが口を挟んだ。
「ええ、そうね」
西浦さんはそう言うとみんなに座るように促した。




