月不知のセレネー21
喫茶店を出るとすぐに京王新宿駅に向かった。目的地は下高井戸。これまた私にとっては本当に縁のない場所だ。
「下高井戸なんてずいぶんマイナーな場所に住んでだね」
駅のホームに着くなり柏木くんがまた失礼なことを口走った。
「そうね。たしかにマイナーかもね……。でも住んでる人居るんだからあんまりそういうこと言わない方が良いと思うよ?」
「お、やっぱ陽子ちゃん真面目ぇ。ま、大丈夫だよ。俺だって営業だし現地着いたらそんなことは言わないからさ」
「……本当にお願いね」
私は少し不機嫌そうに彼に釘を刺した。正直言ってまだまだ信用出来ないのだ。
私たちがそんな会話をしているとやがて電車がホームに入ってきて停車した。シルバー地にピンクのラインの入った車両でどことなくメカメカしく見える。
「んじゃ。行きますか」
柏木くんはまるで先導するみたいに言うと上機嫌に電車に乗り込んだ。私も一緒に乗り込む。
「で? 午後会うのは作家さんだっけ?」
「そうだよ。冬木紫苑さんって作家さん。なんか彼女は『文芸くらぶ』って小説投稿サイトに書いてるみたいね」
「ふへー。半信半疑だったけどマジで冬木紫苑なんだ。ヤバいね」
柏木くんは興奮気味に言うとつり革を握り直した。つり革からはギシギシという革の擦れる音が聞こえる。
「何? 柏木くんも冬木さんのファン?」
「うーん。ファンってほどじゃないけど作品は結構読んでるよ。『異世界奇譚』とか『異世界魔術体系』とか超有名だしね。結構俺らの界隈では有名人なんだ」
俺らの界隈。それは一体どういう界隈なのだろう? オタク的な界隈だろうか? 自然とそんな疑問が浮かんだ。まぁ、私も大人のなので「サブカル界隈では有名なのは知ってるよ」とお茶を濁して答えたけれど。
「うんうん、めっちゃ有名人だよ。てかもうアレだと思う。『文くら系のレジェンド』って奴」
「そうなんだ」
「マジで! 異世界転生っていう一大ジャンルを世に広めたのは冬木紫苑だからねぇ。いや、マジですごい人だよ」
柏木くんの過度な物言いに思わず『言い過ぎじゃないの?』と言いたくなった。でも……。おそらく言い過ぎではないのだ。それはジュンくんの反応からも分かる。
「とにかく! 今からその冬木さんに会いに行くからね。くれぐれも失礼がないように」
「はいよ。……てか陽子ちゃん、俺のことあんまり信用してない感じ?」
「……そうね。まだ分からないかな。ま、今後の君の態度次第で信用するとは思うけどね」
私たちがそんな会話をしていると電車は下高井戸駅に到着した。




