7 リョーマという男
かつてガラガラだったリビングは、本棚に花瓶に大きなソファと、生活感溢れる家具やオブジェで満たされている。大体はエリィが集めたものだ。「優雅な暮らしには必要不可欠」と、不要な言い訳をしていた。別にいいのに。
エリィは物欲が強いらしい。リビングに限らず、自室も当たり前に私物で満たされている。この前入った時は、天蓋付きのベッド、額縁が金でできた絵画が三つ、純金製のクマ人形が三つ、全身がうつりそうな鏡が三つついているドレッサーに、でっけぇ宝石がゴロゴロ飾られたショーケース……そっと扉を閉じたものだ。
もはや新居と呼ぶ時期は過ぎた。今や、ここは立派な我が家だ。そう思いながら、リョーマは鹿肉を頬張った。
「ねえ、リョーマ? 私、気になることがあるのだけど」
今は昼、太陽が天辺に上っている時間だ。ここから日が落ちるまでには、もとの世界換算で二日と半日くらいかかるのだが、とっくのとうに慣れたことだ。
「どうした、藪から棒に」
「ここでの生活にはすっかり慣れたのに、私……あなたのことあまり知らないわ」
「あー……そういえば、あんまり話してこなかったなぁ」
箸で米をかきこむリョーマとは打って変わって、エリィはナイフとフォークで鹿肉を食べている。ワイングラスには高級なブドウジュースまで注がれていて、まるで貴族の食事だ。
「ねぇ、聞かせてくださらない? あなたの世界のこと、知りたいですわ」
普段なら、食事中に喋り過ぎると「はしたない」とエリィが怒るのだが、彼女からの申し出であれば、断る道理もない。
「どっから話すかな……俺、子供ん頃はすげぇやんちゃだったんだ。子供なのにタバコ吸ったり、乗り物雑に乗り回したりな。不良ってやつだよ」
「あら、あら。そうだったの? 今のあなたからは想像もつかないですわね」
「そ、そうかなぁ? 照れんなぁ」
大した誉め言葉でもないのだが、なんか嬉しかった。
「なぜ、そんなことをしていたの?」
「え”っ!?」
鋭い指摘だった。何気に、初めて聞かれた。
「そりゃ、えーと……スゥゥー……なァんでだったかなぁ……」
全く覚えてない。多分、大した理由なんてない。中学生くらいのときに始まった記憶があるから、ただ反抗期をこじらせただけな気がする。
「覚えてない!!」
ということにしてみた。
「そう。……あなた、いくつだったかしら?」
「歳か? 千と……七十七かな」
「なるほど。あなたの世界の寿命は、どれくらいだったかしら」
「八十くらいだな」
そこからは、簡単な算数だ。彼女もすぐ理解したことだろう。
「千年前ですか……覚えていなくても、仕方がないですわね」
「エリィでも、千年前のことは忘れるのか?」
「いいえ。人間の話です」
(左様でございましたか)
格の違いを見せつけられた気分だ。とはいえ、印象の強い出来事ならまだまだ覚えている。悲観するようなことでもない。
「んでよ、親にこっぴどく叱られたんだ。償えっつって、無理やり働かされたよ」
「まあ、野蛮ですわね」
「んなこたあねぇさ。身から出た錆ってやつだ。それが親戚の大工だったんだが、まぁ厳しくてなぁ!」
ヘボだの木偶の棒だの、口癖のように吐かれていた。でもたまにコーヒーを奢ってくれた。今でもたまに、あの苦味を思い出す。
「カスだった俺の面倒を見てくれたんだ。おかげで、なんつうか……俺の人生は良い方向に向き直った」
「ふむ。恩人……というものかしら」
「そう! まさしくそれだ」
ありふれたもんだろう。それでも、棟梁はリョーマにとって大事な人だった。まあ、最初は死を願うくらい大嫌いだったわけだが……いざ死なれたときに、三日三晩泣き続けることになるとは思わなんだ。
「でまあ、それからは大工としての一生よ。死ぬ手前まで、ずっとやってたなぁ」
「……? 手前ということは、死ぬ前にやめたということ?」
「そりゃあそうだろ、あっちは老いるんだから。歩けなくなんだぜ?」
「……なぜ?」
原住民はこれだから厄介だ。どれほどすごい世界に生きているのか、まるで自覚がない。
「あのな、ここは病気も怪我もすぐ治るけどよ、あっちはそうじゃねんだ。体の機能だけで治さなきゃいけねえ。薬とかもあるにはあったが、結局は体の調子がモノをいう」
例えば棟梁は、長らく肩を痛めていた。リョーマが一人前になりたかったのは、棟梁に早く楽をさせてやりたかったからだ。その願いが成就することはなかったのだが。
「歩けなくなるというのは?」
「体がしわくちゃになるとよ、怪我が治らなくなんだ。だから、一回ひざとか腰を壊したら、それでおしまいってわけ。寝たきりってやつだ。聞いた事ねえか?」
「知らないわ……大変なのね」
(……流石に世界が違い過ぎっか)
他人事でも、仕方がない。自分だって、”あっち”でこの世界の話をされたら同じような反応をするだろう。
「まあ、俺もそうなって、そのまま死んだ」
「……死は、どのような感覚でしたの?」
「どうだったかな。はっきりとは覚えてねぇんだよな。眠るような感覚だった気がするし、なんか、息が詰まるような感じがした気もする」
「……そう。恐ろしいわね」
エリィのその一言は、この世界において異質なものだった。
「え、エリィ……死ぬのが怖ぇのか?」
「変かしら」
「変じゃねえよ、俺にとっちゃな。しかし……この世界の人間でそんなこと言うやつ、初めて見た」
「人間ではないわ」
ドラゴンよ。叱責するような口調だった。彼女はとてもプライドが高い……それは共に生活を送る中で、幾度となく感じてきた。
だからこそだ。そんなエリィが、死を恐れるという。思い出されるのは四年前……彼女を拾ったときのこと。
彼女がどのように生きてきたのか。何をもって満足として、戦場に赴いたのか。そして、何を感じて逃げ出したのか。何も知らないのはお互い様だ。リョーマだって、エリィのことを何も知らない。
「ねえ、リョーマ」
「ん!? な、なんだ」
エリィの瞳は相変わらず、吸い込まれるような魅力を帯びていた。何となく、肩に力が入ってしまう。
「この世界に来てからは、何をしていたの?」
「ああ、それは……大工を続けたよ。一人前になりたくてな。あまりにも才能がなかったのか、二百年もかかっちまった」
不器用に笑うリョーマ。エリィの表情は変わらなかった。
「あら、でもあなた、今はあまり働いていないようだけど」
「それは、なんつーか……一人前になってから百年は大工を続けたんだが、疲れちってな。あの家を建てて、一人でゆっくり暮らしてた」
「ああ……あなたが自分で消し炭にした、あの家ですか」
「う”っ、その話はよしてくれ……」
思い出したくない過去だ。職人が、自分が建てたものを自分で破壊するなど……棟梁に顔向けできない。
「質問ばかりでごめんなさい。最後に一つ、うかがっても?」
「全然いいぜ? なんだ」
「この世界でのあなたの終着点は、どこにあるのかしら?」
「———それは……」
考えたこともなかった。……正しくは、考える必要のない問いだった。
返答には少し悩んだが、答えは最初から決まっていた。ただ、それを言葉にするのが難しくて、どういう言い方をすれば違う世界の彼女に伝わるのか、しばらく考えていた。
曲がりなりにも、この世界で千年も暮らしているのだ。価値観は十分に理解できている。時間をかければかけるほど、自ずと言葉が浮かんだ。
「もう終わってるんだ」
「……どういう意味かしら?」
「深い意味はねぇさ。俺、バカだし」
自嘲気味に笑う。エリィは困惑した表情を見せていた。
「俺ぁ前の世界で、もうゴールしてんだ。この世界に来たのは、偶然のボーナスタイムなんだと勝手に思ってる」
「でも、未練があるのでしょう? それを成し遂げることが、終着点なのではなくて?」
そうだ、未練があった。エリィの言う通り、やり残したことをこの世界で果たそうと、死に物狂いで努力した。生き急ぎすぎだと、村の人から心配されるくらいに。
「そうだな、だから大工を続けた。でも……ここで一人前になったって、意味なかったんだ」
ただ職人になりたかったわけじゃなかったんだ。
「恩人に見てほしかった。でも、いねぇからさ。叶えようのない願いだったんだよ」
燃え尽きたってのは、そういうことだ。職人としての情熱の源は、もとの世界に置き去りになってしまっていることに気づいた。
「だから、意味をずらさず答えるなら……この世界でのゴールは、まだ見えてねえ。悪ぃな、分かんねんだ」
「……いいえ、ありがとう。興味深い答えだったわ」
エリィはニコッと笑った。本当に満足しているときの笑顔だ。
「そりゃよかった!」
ちょうどご飯も食べ終わった。リョーマは立ち上がり、自分の食器と、エリィのもまとめて持ち上げた。
「洗ってきやす」
当番制だ。今回はリョーマの番ってわけ。
エリィはブドウジュースを口に含んで、舌の上で転がしてから飲み込んだ。視線は、皿を洗うリョーマの背中に釘付けだった。
千年も生きて、新しい生き甲斐が見つからないものだろうか? やろうと思えばなんだってできるのに、リョーマは自然に寄り添った生活を送るだけだ。
エリィは気付いている———彼には、類稀な魔法の才がある。かつて見せた、火竜をも圧倒する炎の魔法がそれを証明している。
(ふふ……私の終着点は、まだまだ先みたいね)
また、ジュースを口に含んだ。酒が飲めないからジュースにしているのに、体裁だけ繕っているのはなんとも彼女らしい……それだけは、背中越しにリョーマにも気付かれていた。




