6 新居
「エリィー!」
リョーマの声が、診療所に響き渡る。優雅な座り方で本を読んでいた金の竜人———エリィは、その声に明るい表情で振り向いた。
ここはニコラス———リョーマが世話になった異世界人が営む大きな診療所だ。と言っても、彼の専門は医療だけでなく数学、芸術に魔法など多岐にわたる。そのすべてを専門的に行うために、リョーマが時間をかけて増築して、大きくなったのだ。
エリィは読んでいた魔法の本を棚に戻し、リョーマを迎えに行った。リョーマも何となく、彼女がどこにいるのか分かっていたようで、廊下で鉢合わせることになった。
「上機嫌ですわね。もしかして……」
「おう! 新居が完成した!」
三年を経て、ようやく新しい家が完成したのだ。己の腕一つで建築したので、こんなに時間がかかってしまった。……まあ、たかが三年だ、気にするほどのことでもないけど、
「荷物は明日でいいからさ、見に来いよ!」
親の絵を描いた幼児のように、見せびらかしたい気持ちが抑えられないのだ。
「あら、あら……そんなに急がなくても、ちゃんと聞いてあげますわよ。森の方に建てたんだったかしら?」
「おう! ちと歩くが、昼のうちには着く場所だ」
エリィと並んで歩き出した。道中、重めの風邪にかかって今朝から入院している人や、画材を抱えた人、魔法の本を歩きながら読んでいる人など、この診療所の様々な利用者とすれ違った。入口の門に辿り着くと、
「おや? 二人とも、揃ってどこに行く」
ニコラス先生に出くわした。買い出し帰りのようだ。手に大きく膨らんだ布袋を携えている。
「あ、先生! 新居ができたんですよ! トビっきりデカいのが!」
「ああ、君の家か。エリィさんも住むんだっけ」
「ええ」
新居ができるまでの繋ぎとして、この診療所に住まわせてもらっていたのだ。もちろん、タダではない。ニコラスの仕事を手伝ったり、もろもろの力仕事を行ったりした。
「クロガネは一緒ではなくて?」
「彼女なら、広場で村の子供たちと遊んでいるよ。意外と子供好きなところがあってね……大人になるまで面倒を見てやると意気込んでいた。それは親の仕事だと止めたがね」
軽い冗談を言えるくらいには、二人の関係は良好なようだ。初めはクロガネがポカしないか怖かったが、無用な心配だった。戦闘狂な一面はすっかり鳴りを潜めており、この三年は刀を握っているところすら見かけていない。
「じゃあ、やっと引っ越すわけか」
「邪魔者みたいな言い方しないでくださいよ」
「荷物はどうする? 君たちの部屋のもの、転送しようか」
「いいんすか?」
「もちろん」
大した邪魔はしていないはずだが、どうも厄介払いされている気がする……とはいえ、わざわざ運ぶよりは魔法で転送してもらった方が早いし楽だ。お言葉に甘えることにした。
「このあとすぐ送るよ。だからもう帰ってこなくていい……いや、新しい家に帰るといい」
「俺なんかしました??」
「何も? ただ、お前がいるとクロガネがそわそわして怖いんだ。早くどっか行ってほしい」
(ひでぇ!)
そんなこんなで、リョーマとエリィは一度自室に戻って、貴重品だけ携帯した。と言っても、リョーマは望遠鏡を、エリィは、
「それ……熊の人形か?」
手のひらサイズで、なかなかリアルな人形だった。木彫りのアレに似ている。
「ええ。可愛いらしいでしょう?」
(純金製の人形とか初めて見た)
可愛いという価値観も難しかった。分かり合うのも大変そうだったので、もう触れなかった。
そうして大事なものだけ持った二人は、診療所を発った。
村を出て、平原をしばらく歩き、やがて森に入った。
「ちゃんと挨拶しなくてよかったのかしら?」
「……? 先生にはしたろ?」
「ニコラスではなくて。あなた確か、他に師匠がいるのでしょう」
大工の師匠のことだ。
「ああ! その師匠なら、今は村にいねぇんだ。七百年一人で暮らしてる間に、どっか行っちまったらしい。つか、エリィこそよかったのか? クロガネに声もかけねぇで」
「いつでも会えますわ。あの子が村にいるうちは、ね」
適当に話しながら、しばらく歩いていると……日が暮れる前に、大きな建物が見えてきた。
「あら、あら———」
「とうちゃーく!」
二階建て、レンガ造りの立派な家だった。竜人の身体的な特徴を考慮したのだろう、二階建てにしても高く、二人で住むには大きすぎる間取りだった。
中に入れば、すぐにリビングだった。最低限、テーブルと椅子は既に用意されており、その他には何もない……声が反響する、だだっ広い空間だった。
「吹き抜けにしたのね」
二階は一階より狭くなっていて、空いた部分は全て一階から天井までの吹き抜けになっていた。大きな家が、更に広く感じられる。
「エリィの部屋は一階に用意してる。二階は俺の部屋と物置にしたから、小さくしたんだ」
「覗いていいかしら?」
「あたぼうよ! 感想聞かせてくれ」
リョーマの案内で、エリィは自室に辿り着いた。
これまた、とても広く作られた部屋だ。とはいえ、家具も物も何もないから、それ以上の特別さは感じられないが、
「あら、あら! テラスを作ってくれたのね」
「よく空飛んでるだろ? 玄関じゃやりにくいと思ってさ、他に入口がありゃ良いなと思って、つけたんだ」
壁一面がガラス張りの窓になっていて、その向こうにテラスが広がっていた。日が少しだけ傾いていて、窓の向こうに向かって影が伸びている。
「特に要望は伝えませんでしたのに、よくぞここまで……」
「イイ感じか? 気に入ったか!?」
「ええ。素晴らしいですわ」
エリィが見せたのは、いつか彼が見惚れた可憐な笑顔だった。
「よぉーし!! 大工冥利に尽きるってもんだ! ……まあ、今回は大工っつうよりレンガ職人だったが、どちらでもよし!」
満足げに大笑いした後、リョーマは懐から巻物を取り出した。ニコラスから渡された、転送のための魔法陣が刻まれたスクロールだ。
「多分だけど、すぐに荷物送られてくっから、簡単に片付けたら飯にしようぜ」
「食材はあるのかしら? 必要とあらば、調達してきますが」
「いいのか? 助かるよ! 兎とか鹿とか見かけたことあっから、捕ってきてくれ」
「いいでしょう。……ふふ」
えーっとこうやってこうして、床に敷いて……そんな風にスクロールと格闘している間に、エリィはガラガラと窓を空けて、テラスに出た。
ぬるい風が吹いている。彼女の金の髪が揺らめいて、影からはみ出した部分がキラキラ輝いていた。
反射した光が一瞬、リョーマの瞳を突き刺した。思わず顔を上げて、彼女の方を見てみれば、彼女は髪をなびかせながら、リョーマに向き直っていた。
「ねえ、リョーマ。あなた、ぜーんぜん気付いていないようだけれど、私の気を引くなんて、とても光栄なことなのよ」
「え!? あ、ああ……そうだよな! 分かってるよ」
こんな別嬪さんに気に入られるなんて、とても光栄なことだ———彼の考えは、的外れもいいところだった。
「ふふ、強がらないで。憂うことは何もない……安心してちょうだい。遥か未来で、あなたが私と過ごした日々の価値に気付いたときに、後悔なんてものが生まれないくらい———ずぅっと付き添ってあげる!」
そう告げて、彼女は飛び立った。驚くほど静かに、そして煌びやかに。
「……な、なんなんだぁ?」
彼女らしくない、どストレートな言葉だった。まるで告白だったが、あくまでドラゴン、その価値観は人が簡単に図れるものではない……なにより、身に覚えがない。だから、勘違いしてはいけない。
「……調理場の片付けでもするか!」
気を紛らわすには、手を動かすのが一番だ。スクロールを床に放っぽって、彼は調理場の掃除を始めた。
優雅に空を駆けるエリィは、眼下に獲物を探しながら、つい先日の出来事に思いを馳せていた。『寿命がねぇ世界で未練なんか残してみろ。それこそ本当の笑い者だぞ』……彼が言った言葉だ。これまでも、ずっと反芻している。
「———ふふっ、人間のくせに……面白いヒト」
金の翼が大気を揺らす。尻尾は元気に左右に揺れる。黄金の輝きに怯んだ動物たちは、木々の影に身を隠し、酷く上機嫌な彼女の鼻歌を聞き届ける者は、誰もいなかった。




