7話・寝起きドッキリ、回避
冒頭はメラニー視点です。
次の日も同じ時間にやって来てはお嬢様と少し話してから出仕しようとナミュール家を去ろうとするオールヴェルニュ様を、玄関門の手前で呼び止めた。
「オールヴェルニュ様」
私の声に鷹揚に振り返った彼の表情はぞっとするほど冷たく、リュシルお嬢様と話している時とはまるで別人のようだ。
「何? そこの馬車に刻まれている皇室の紋章が見えていないわけではないよね? そこに乗っている方を待たせてまでする話?」
乗っているのが誰かは想像に容易いが、ではその御方を毎朝待たせているのはどこの誰なんだか、と悪態を吐きたくなるのを堪える。間違ってもそんなことを言っていい身分差ではないからだ。
「リュシルお嬢様のことです。お許しください」
とても許して欲しいと下から頼むような態度ではない慇懃無礼さで告げたが、彼は鼻で笑って私の台詞の続きを待った。私の態度がオールヴェルニュ様に対して良くないのは今に始まったことではない。お互い、リュシルお嬢様のことがあるから話すだけ。
「毎朝来られては困ります。お嬢様がオールヴェルニュ様にお気を遣って早起きなさろうとしておりますが、お身体に障りますので」
記憶がなくなっても彼女は変わらず人に気を遣ってばかりで自分のことを疎かにしがちだ。それが彼女の素晴らしいところでもあるし私を救ってくださった部分だが、それ以上に心配になる。
「……」
黙ったまま私を見据える彼に眉根を寄せそうになるのを堪える。目付きが鋭くなってしまっているのは自分でも自覚できた。
「お嬢様が何故記憶喪失になったのか、どんな事故に遭われたのか、他でもない貴方が覚えていないわけではないはずです。何故なら目の前で、」
「やめろ」
「貴方様の目の前で、お嬢様はあの山の向こうの崖から飛び降りたのですから」
「やめろ!!」
オールヴェルニュ様が耳を塞いで私の言葉を掻き消すように叫んだ。皇室の血縁を表す紫の瞳に恐怖が色濃く滲んで、不安定に瞳孔が揺れる。
彼にとってもきっと心的外傷となっている記憶を呼び起こしたのは申し訳ないが、それよりも私の思考は「お嬢様がこの声を聞いてこちらに駆けつけませんように」と願うばかりだ。
「生きていることが奇跡なくらいなのですよ。治癒が行える魔法師をすぐに呼べていなかったらとても五体満足の状態には戻せなかった。それくらい酷い状態で見つかったのを貴方様が覚えていないはずはありません。崖の下でお嬢様を見つけたのは貴方なのですから」
口にした私自身も、腹の下のあたりが冷たくなった。もう二度と思い出したくないのに、何度も何度も夢に見るのだ。世界で一番敬愛し申し上げているお嬢様の、目を背けたくなるくらい悲惨なお姿を。
「もう……もうやめてくれ」
オールヴェルニュ様が濁り一つない金髪を必死に揺らして俯く。金髪が朝日を反射して眩くて、酷く憎らしい。お前のせいで、と思うがままに詰ることができたらどんなに良かったか。
浅く、気づかれない程度に溜め息を吐く。もっとも、今の彼にはきっと気にする余裕もないが。
「……本来ならもう二度お嬢様に会う資格はないと存じます。ですからお嬢様をほんの少しでも疲弊させたり辛い思いにさせたりしましたら、次はないとお思いになってくださいませ。今ナミュール家を出禁になっていないのは旦那様の温情でございます」
「……分かっている。許してくれ、それでも、……それでも手放せないんだ。リュシルがいなくなったら、僕は生きていけない」
そう零した表情は俯いていて窺えないが、項垂れている姿はとても公爵家ご嫡男とは思えないほど威厳が消え失せていた。
――――――
二日後、アレクシ様はいつも通りの時間にやって来て、談話室で腰を据えるわけではなくそのまま私の手を取って玄関門の前に止めてある馬車へとエスコートしてくれた。
しきりに「歩ける?」「僕が抱き上げようか?」「大丈夫?」と聞いてくるものだから、もしかしたらリュシルは元々身体が弱い子だったのかもしれない。だとしたら私も気をつけなければいけないはずだけれど、特に誰にもそういう話はされなかった。初日に会ったお医者さんがしてくれそうなものだけれど。
アレクシ様と向かい合わせに馬車に乗って、窓の外から見えるナミュール家を眺めた。
思えば、お屋敷から出たのは初めてだ。限られた部屋しか使っていなかったから実感がなかったけれど、ナミュール家のお屋敷は建物だけではなく庭も大きい。
馬車が出発してナミュール家の大きなお屋敷がだんだん遠ざかって小さくなっていくのを見届けてから、目の前で行儀良く座っているアレクシ様に向き直る。
「リュシル? どうかした?」
……もしかして私が座っているのって上座なのではないだろうか。
馬車での上座下座の概念も、そもそもこの世界に上座下座の概念があるのかも分からないけれど、私が座っているのは進行方向を向いている席で、アレクシ様が座っているのは進行方向に背を向ける席だから、もしかして本来座るべき位置は逆なのではと思ったのだ。
「座る位置が逆だったのではと思ったのだけれど……」
アレクシ様は瞬きをして、私が何を言いたいのか思い当たったようで柔らかく笑みを浮かべる。
「身分のことを気にしているのかな? リュシルももうすぐオールヴェルニュになるんだから、あまり気にしなくていいよ」
「いえ……そうだけれど、そういうことではなくて」
私がリュシルとは別人だと伝えたはずなのに、アレクシ様は分かっているのか分かっていないのか曖昧な言動をする。
いつかリュシルが戻ってくると思っているから結婚を辞めるつもりがないのか、実はリュシル自身には興味がなくてナミュール家の令嬢と結婚できればいいのか。態度がどうしても後者のようには思えないから、まだ心の整理がついていなくて単なる記憶喪失だと思い込もうとしているのかもしれない。
それなら私は無理に現実を直視させようとまでは思わない。自分の存在を認めてもらうために人を追い詰めたいわけではないからだ。どうせ、私はいずれこの身体から消えるのだし。
「本当に気にしなくていいよ。リュシルは昔から馬車酔いが酷かったから、リュシルの記憶が失くなる前は隣に座って背中をさすってあげていたんだ」
私が考え事をして黙り込んでいたのを迷っていると思ったのか、アレクシ様は台詞を言い加えた。
懐かしむような、どこか寂しそうな笑みを浮かべるアレクシ様に、訳もなく胸がきゅっと苦しくなる。人の本能的な共感か、それとも元のリュシルが無意識的な部分に残っているのか。もし後者なら、元のリュシルの人格はこの身体の中に残っていることになるのだけれど、今私にそれを確かめる術はない。
「……でしたら、隣にお座りにならないの?」
アレクシ様が目を見開いた。瞳が乾いてしまうのではというくらい私を凝視していて、何かまた間違えたことを言ったのだろうかと私の視線は彼から逃れるようにそろそろと下がる。
「……いや、リュシルを見ていたいから今日はこっちでいいよ」
視線を上げると、アレクシ様は困ったように笑みを浮かべていた。
「そう……」
気を遣ってくれたのだと思う。アレクシ様にとっては何年も前から婚約者として懇意にしていても、私にとっては知らない男性であることを考慮してくれたのだ。
二人きりの馬車の中に沈黙が落ちる。
防音機能が発達しているのか外の音がほとんど聞こえてこない。椅子にもふかふかのクッションが付いていてお尻に伝わる振動も和らげられている。だから余計に私たちの間に流れる沈黙が雑音で誤魔化されなくて居心地が悪い。
「あー……えっと、アレクシ様は今日はお仕事ない、の?」
足元に彷徨わせていた視線を上げると、アレクシ様と目が合って動揺で言葉が崩れてしまった。
綺麗な顔でじっとこちらを見られると、本人にそんなつもりはないのかもしれないけれど圧が強くて居心地が悪い。たぶん高貴な身分の人だから人と視線を合わせることに慣れているのだろうけれど、私は元根暗大学生だからできればご遠慮願いたい。勿論そんなことを口に出せるわけもない。
「リュシルを屋敷に案内しなければいけないし、家庭教師の紹介もあるからね」
「お仕事あるのに私のために申し訳ないで……、わ」
あっ……ぶな……!
申し訳なさから一瞬敬語になりかけたけれど、持ち前の軌道修正力でギリギリ寝起きドッキリを回避した。ESの長所の欄に軌道修正力って書けるかもしれない。
結構無理のある軌道修正をしたから普通にバレてしまったようで、アレクシ様は苦笑を浮かべる。満面の笑みの時よりもよほど素に近い表情に見えた。
「話しづらいなら敬語で話してもいいよ」
「寝起きドッキリはしてこない?」
「どっきり……? が何かは分からないけど、その場合寝顔は毎日見に行くことになるね」
いや寝起きドッキリがなくなるわけじゃないんかい。
敬語の方が気楽だけれど、どんな顔して寝てるか分からない状態を見られたくない。それに寝言でどんなことを口走ってるかもわからない。
「私の寝顔のことはどうでもよくて。アレクシ様は今日私のためにお仕事を休んだの?」
「気にしないで。消化しなければいけない休暇が溜まっていたんだ」
そうだとしても、貴重な休暇を私のために使ってしまって良かったのだろうか。もっとゆっくり休める日に使いたかったかもしれないのに。
「一通り案内して頂いたあとは、私のことなど構わずゆっくりお休みになってね」
「どうして? リュシルと一日中ずっと一緒にいるために休みを取ったのに」
「…………」
縋るような、ともすればどこか責めるようなアレクシ様の視線に私は閉口した。
私は本物のリュシルではないのにアレクシ様の親切を受け取るのは申し訳ないと思っているけれど、アレクシ様にとってはリュシルにしてあげたいことをしているだけだから、断られたら悲しい、のかもしれない。
別人だとは伝えたのだからこうなるとは思っていなかったけれど、彼自身がリュシルを望むなら、私はリュシルとして彼の真心を受け取るべきなのだろう。
「アレクシ様が、そうお望みなら」
自分の存在がないものとされているようで、分不相応な蟠りを胸中に抱えながらも、頷き代わりに視線を落としてから窓の外へと意識を逃した。
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