6話・分かること、分からないこと
次の日の朝、アレクシ様を玄関で迎えると、彼は少し目を見開いて瞬きした。
「……驚いた。もう起きていたんだね」
「毎日支度の間お待たせするわけにもいかないもの。それに、アレクシ様とお話できる時間が増えるでしょう?」
アレクシ様には聞きたいことが沢山あるのだ。来る時間がだいたい分かっていて、そしてアレクシ様の身分がどれほどのものなのか知ったから、おちおち寝ていられない。幸い、身体もだんだん回復してきたし、起きていられる時間も増えてきた。
「リュシル……」
アレクシ様が蕩けた眼差しになって美麗な微笑みを浮かべる。
何をそんなに感動される要素があったのか分からない。身分が上の者への対応に対して殊勝な心がけだと思われたのかもしれない。
「あぁ、家庭教師のことだけど、こちらで決めておいたよ。3日後から始まるけど大丈夫かな」
「そのことなのですが――」
昨日、メラニーからアレクシ様のことを聞いてから、私はリュシルの部屋を探索した。
日記とかが見つかれば一番手っ取り早いし、そうでなくても持ち物やその置き場所からその人の人となりというものはなんとなく分かるものだからだ。
リュシルの部屋は本がとにかく多かった。
それも、軍事関係の戦術書や、ルーべルージュ皇国に留まらない幅広い地域の歴史書、語学の教本、あとは魔法を用いた機械の設計書なんかがあった。
リュシルは魔法が使えなかったはずだけれど、設計だけなら魔法がなくてもできるのだろうか……と湧いて出た疑問はさておきとして、何故私がそれらの本に何が書いてあるのか分かったか。
それは、不思議とこの国の言葉が分かったからだ。
当然日本語で書かれているわけもなく、何やらアルファベットに似ているような、微妙に違うような、でもキリル文字ほど離れている訳でもない文字で横書きに綴られた書物をひとたび開けば、そこに書かれている文章がなんと書かれているかだけでなくその本がどんな本だったか直感的に理解できたのだ。
自分ではない記憶が急に混ざり込んでくる感覚に不気味さを覚えなかったわけではないけれど、もとよりこの身体はリュシルの身体であって私の身体ではない。
……その、『私』っていうものも、名前も分からなくてあやふやな存在なのだけれど。
なんにせよ、言語の勉強からしなきゃいけないとなると苦しい道だっただろうから助かった。それに、こうして身体に染み付いているような知識が残っているなら、私がこれから生活するのもリュシルを取り戻すのも、想像していたよりは希望があるかもしれない。
あとは、まるでエロ本を隠すような、後ろめたさを感じさせる本棚の奥にロマンス小説が何冊かあって、クローゼットには紫色や金色のアクセサリーやドレスがびっしりと入っていた。
ちらほら、リュシル自身の色に合わせた緑色や青色のドレスもあったけれど、最近着ていそうな取りやすい場所ではなく少し奥の方に仕舞われている。
そして一番手前の方に、ワンピース型の制服のような服が一式仕舞われていた。新品のパリッとした感じではなく、手入れは丁寧にされているもののそれなりに着ていた形跡が見つけられる。
話にあがっていなかったし、家庭教師の話をされたから、てっきりこの世界には学校はなくて家庭教師を呼ぶ文化なのかと思っていた。
しかし、学校があって前のリュシルは通っていたのだとしたら、わざわざ家庭教師を呼ぶより私が復学する方がいいのでは? もしかしたらすでに退学や卒業しているかもしれないけれど……。
それと、結局リュシルの日記らしきものは見つけられなかった。
鍵がかかっている引き出しがあったから、もしかしたらその中にあるのかもしれない。鍵がないか気に留めておこう。
その後の夕食時に、お父様に家庭教師のことを確認した。
お父様は疲れた顔をして、眉間を揉みながら「オールヴェルニュの子息がそう言っているなら遠慮しなくても良い。お金のことなら尚更、気にする方がオールヴェルニュ家に失礼にあたる」と答えて、今日も今日とて上質なステーキを一口含んで、もう何も言うまいといった顔をした。
学校に関しては、アカデミーというものがあって、リュシルはそれに通っていたと教えてくれたけれど、復学の話をすると渋い顔をしてしまった。
前のリュシルが何かやらかして行けなくなってしまったのだろうか。とてもそういう性格には見えないけれど、見た目で人の性格は図るのは良くない。こう見えてとんでもなくやんちゃだったのかもしれないし。
「――私、どうやらアカデミーというところに通っていたようなのだけれど、アレクシ様は何かご存知かしら」
アレクシ様の蕩けた笑みがピシリとガラスに鋭いヒビが入るように固まって、目が笑っていない張り付いた笑みのまま口を開く。こんなことを考えるのも変だけれど、器用だなと頭の隅で思った。
「そうだね、リュシルも僕も通っていたよ。僕はもう卒業してしまったけど」
「アレクシ様は私の四つ上……で合っていたかしら? 私はまだ在学中なの?」
アレクシ様が目の笑っていない笑みを浮かべながら黙る。怖いからやめてほしい、とも言えない。怖いから。
アレクシ様が重たそうに渋々口を開いて、極限まで感情を削ぎ落としたような平坦な声色で答えた。
「そうだよ。リュシルは今年四回生で、来年の三月に卒業予定だった」
関西式の数え方なんだ……と思考が横にずれかけた自分を心の中で叱咤して、本筋に意識を戻す。
「だった、ということは、今の私は在籍していないのですか?」
「……そうではないよ。来週に終わってしまうけど今は夏休みだから休んでいるだけで、リュシルが記憶喪失になったから休んでいるわけじゃない。ただ、記憶喪失になってこの国の基礎知識も危ういのに、学校に行くのは危険だと僕は思ったから、アカデミーは辞めるなり休学するなりして家庭教師から学ぶのが良いと思ったんだけど」
そう言われると確かにそうだ。
算数も危ういのに数3を解けと言われても無理なのと同じで、最高学年ということは今までの知識がある前提で授業が進む中でほぼゼロの状態の私は受けなければならなくなる。
そんな中で当てられたりでもしたら最悪だ。答えられない時に当てられるあの空気感、本当に地獄で大学生になっても嫌いだった。自分でなく他の人がそれに遭ってても胃がキュッと縮こまる。
それに、前のリュシルがどうだったのか分からないけれど、部屋にあった本のラインナップを見る感じ、おそらく頭は良い方だったのではないかと思う。
そんなリュシルが急に何も答えられないバカになってしまったら、きっと婚約者であるアレクシ様の面子も潰してしまうだろう。
「確かにそうよね。せめて一般常識程度は覚え直してからでないと、迷惑がかかってしまうだろうし」
「そう、だから僕の家で家庭教師から学ぶのが良い。大丈夫、リュシルは頭がいいから――」
「アレクシ様のお家なの? てっきり、ナミュール家で受けるものだと思っていたわ。……あ、何か言いかけてたのに遮ってしまってごめんなさい」
「いいよ、大したことじゃないから。とにかく、車は出すからオールヴェルニュ家に受けにきてね」
車まで出してもらうなんて悪いのでは……、と、やけに圧の強いアレクシ様から目を逸らして部屋の隅に立っているメラニーに視線をやると、アレクシ様の視線の温度が下がった気がした。
メラニーから助言をもらうより先に、アレクシ様が私の手を握って顔を近づけてくる。
「リュシルのことだから、「毎回車を出してもらうのは悪い」って考えたんでしょう? 気にしなくていいから。授業がある日は昼食も夕食も我が家で食べて行ってね」
「そんな、食事まで毎度用意して頂くなんて――」
「悪い、ってまた言おうとした? 婚約者なんだから、遠慮しなくていいんだよ。なんなら、もう僕の部屋の横にリュシルの部屋を用意してあるから、いつでも引っ越してきてくれていいくらい――」
滔々と話していたアレクシ様がぴたりと口を閉じる。
私が小首を傾げると、アレクシ様がメラニーの方をちらりと見てから誤魔化し笑いを浮かべた。
「と、とにかく。リュシルは何も気にせずに来てくれればいいからね。アカデミーも暫くは休学にしておいて、この先のことは後で考えれば良いよ」
アカデミーのことまでアレクシ様が決めるのだろうかと若干引っかかったけれど、お父様のあの様子を思えばアレクシ様の意見は我が家にとってもかなり影響力が強いのかもしれない。
とはいえ元のリュシルにとってはアカデミーの卒業は大事かもしれないし、できることなら予定通りの三月に卒業しておきたい気持ちもある。
「……アカデミーのことはゆっくり考えるわ」
「うん、そうしておいて。家庭教師は二日後から週五回で組んであるけど、辛かったら組み直すから教えてね」
「何から何までありがとうございます……あ」
気を付けていたのに最後の最後で敬語になってしまった。
口を押さえて、バレてませんようにと上目遣いでアレクシ様を見上げると、彼は一瞬目を見開いて固まった後にくすくすと笑った。
「リュシルの可愛さに免じて、今回は見逃しておくよ。それに、これからは沢山会えるわけだし」
「アレクシ様?」
「もう行かなきゃ。リュシル、また明日」
アレクシ様が寂しそうな笑みをしたから理由を聞こうとしたけれど、彼は立ち上がって私の髪を一撫でしてから部屋を出ていく。
扉が開く音で私はやっと我に返って、慌ててまだ慣れないドレスの裾を引きずりながら彼を追いかけたのだった。
お読み頂きありがとうございました。ブクマ、評価★5、いいね等、励みになります。




